2011年4月25日月曜日

保団連 東日本大震災 救援復興FAXニュース 24号

4月18日から岩手協会への支援するため、静岡協会の村山氏と保団連の鈴木氏が現地に入っています。19日より被災された会員の先生方に、直接見舞金をお届けするために、会員訪問をしています。
4月21日は、大船渡市を訪問した内容が、本日(22日)報告されましたので、お知らせいたします。

4/21)保団連支援隊 岩手県大船渡市を会員訪問

[保団連支援隊・保団連鈴木氏からの概要報告]
4月21日、岩手支援隊(静岡・村山、保団連・鈴木)は、大船渡市で被災を受けた会員へ見舞金を届けるために訪問しました。
訪問結果は、訪問会員数、10人。見舞金を届けることが出来た会員8人。2人は、不在でした(1人は休診)。

 直接お話しを伺うことのできた先生からは、次のようなお話しをいただきました。

Y医師からは、診療所が泥だらけになり、空調や床暖房を取り替えなければならなかった。パソコンが故障し、処方箋が作成できないため、緊急災害時処方箋を作成し、対応した。3月14日から診療を再開したが、雪が降る中での診療だった。診療所そばの薬局も被災し、薬の半分は使えない状態となり、患者さんが5時間かけて診療所にきても薬不足で、3日分しか出せなかったことが大変心苦しかった。それでも患者さんからは、感謝された。患者数は多い時は一日に250人前後。今は落ち着いている。薬不足が大変困った。との話しを伺いました。

H歯科歯科からは、医院が全壊したため、再開のための用地を建設中である。患者さんに会うたびに「大船渡ならどこでも良いからはやく診療して」と言われる。資金は工面できるので、用地が見つかり次第、診療所を建てる予定である。しかし、行政が迅速に対応できていない状況にある。要望は、用地確保後も、診療所開設までに二週間程度待つ必要があるなど、時間がかかりすぎるので、早く対応できるよう要請してほしい。との話しを伺いました。

T医師からは、院内の内装にひび割れができるなど一部損傷した。診療開始後は、午前中は新患が多いが、午後は逆に少なくなっている。その理由は、リハビリで通っている患者の交通手段がなくなったこと、水産加工業の会社等に勤務していた患者が失職したため、来院しなくなったことが考えられる。また、学校が現在避難所になっているため、部活をしていないようで、そのため来院することがない状況だ。津波は、怖い。家も車も人も飲み込む。何よりも早く逃げることが大切であることを患者さんから学んだ。との話しを伺いました。

2011年4月23日土曜日

現地レポート26  自宅全壊の中、診療を継続

 4月21()仙台市内の18医療機関を訪問。内1件は自宅が全壊、また診療を再開できていない医療機関も1件あった。
 自宅が全壊した歯科医師は、現在は臨時休診日を設けて自宅の対応をしながら診療をっているとのこと。取り急ぎ仮住まいを見つけて引っ越したが、自宅は取り壊すしかないと話していた。診療所の被害は少なく、診療上困ることはあまりないとのこと。保団連・協会の訪問を受けて「訪問やお見舞金などとてもありがたい」と話され、こうした活動が協会への信頼を高めることにつながることが実感された。
 診療を再開できていない医療機関では、先生が地震以降体調を壊して療養中とのこと。幸い、今回の行動の中ではそういったケースは他になかったが、会員の健康が損なわれている場合もあり、共済利用も含めて個別対応を要する先生も実際にある。今回の行動では共済の加入状況などは確認せずに動いたが、こうした場合に訪問時に可能な限りその場で対応できるよう、訪問先の先生の情報を事前に把握しておく必要があったと準備段階の反省があった。
 また、ある歯科医師の先生は行政への不満を訴えていた。自身は医院・自宅ともほぼ被害はなかったが、近隣で開業している大学の同級生の歯科医師が半壊のため診療再開の見通しがついていない。当初は患者を預かる形で治療していたが、その先生の収入確保のためにもその医院の臨時診療所としてユニットを貸して診療してもらうことにした。しかし、そうした患者に対して、同じ先生が継続して治療しているにもかかわらず初診としなければならないとのこと。請求のためにエックス線撮影も無意味に撮りなおさなければならず、患者負担も増える。非常時にとりあえず医療体制を確保しなければならないときに、行政の対応にはまったく柔軟性がないと批判していた。

2011.4.21
兵庫県保険医協会事務局 納富章宏

2011年4月21日木曜日

現地レポート25 「ここで診療を続けていけるのか」

 4月20()は、19日に引き続き、仙台市泉区で全半壊を含む15件の医療機関を訪問した。
 被害報告のない医療機関を中心に訪問したが、ほとんどの医療機関はすでに通常診療を再開しており、大きな被害は少なかった。しかし、やはり4月7日の余震の影響が大きく、昨日訪問した医療機関と同じく、落ち着くまでは修理を見合わせているという状況もあり、見通しがつかないまま損壊箇所がそのままになっているところも多く見られた。中には本震後に専門家に建物を見てもらい大丈夫だと判定されたが、余震でひび割れなどが拡大し、それ以降はまだ見てもらえていないという医院もあった。先生は「このままここで診療を続けていけるのか、不安の中で診療を続けている」と心中を述べていた。いくつかの医療機関は移転も含めて考えているとのこと。
 また、昨日に続きフロア自体が閉鎖されたテナント開業の歯科医院があり、そこは診療再開の目処がまったくたっていない。一概には言えないものの、戸建開業の医療機関の多くが早くから診療を再開していることを考えると、ビル診での開業が災害時に受ける被害は少し様子が違うように感じられる。

 予定の訪問を終え、空いた時間で市内で津波の被害を受けた地域を見て回った。流され着いた車や家がそのままとなっており、信じ難い状況。一帯は広大な瓦礫の原と化しており、1ヶ月経ってなお手付かずのまま放置されているところも多い。瓦礫の山の中には行方不明者もまだそのままで埋まっているだろうとのこと。かろうじて浸水ですんだ家には人も戻っているとのことだが、昼間にもかかわらず住人らしい人影はまったくなかった。地震被害とは質量ともに異なり、長期にわたる復興施策と支援の必要性が痛感された。

2011.4.20
兵庫県保険医協会事務局 納富章宏

保団連 東日本大震災 救援復興FAXニュース 23号

(4/20) 保団連支援隊 岩手県大槌町・山田町を会員訪問

4月20日、岩手支援隊(静岡・村山、保団連・鈴木)は予定していた大槌町、山田町の診療所を訪問しました。
訪問結果は、大槌町は3件を訪問し、お見舞い金を手渡せた医療機関は全壊の2人です。1件は、勤務医の会員を訪問しました。
[大槌町]
M医師は、診療所が全壊し、大槌町で最後まで残る予定の城山にある中央公民館の避難所で診療されていました。M医師からは、今後は、5月6日にアパートの一室を借りて、診療所を再開する予定。避難所での診療については楽しんでやっている。患者は、今はうつ症状など心のケアを必要とする人が増加している。今は、避難所支援に来ている沖縄県医師会の医師等と共同生活で、学生時代に戻った気分でやっている。今後の要望は、私が診療所を再開した後は、避難所で診療できるドクターが1人減るため、それを補う対応が必要だ。との話しを伺いました。
[山田町]
U医師は、診療所が全壊。U医師からは、仮診療所で4月11日から診療所中だが、本診療所についてはまだ未定。見舞金は本当にありがたい。今後の要望については、急には考えられないが、何かできることがあれば可能な限り対応したい、との申し出だけで嬉しい。がんばります。との話しを伺いました。


(4/20) 保団連支援隊 宮城県仙台市を会員訪問

本日は仙台市青葉区、泉区、太白区を3つのグループに分かれて訪問を行った。医療機関数は49件、うち全半壊は6件。概要は以下の通りです。
[青葉区]
本日は、被害状況報告書を提出いただいていない会員医療機関(19件)について訪問活動を行いました。青葉区を担当したのは福元(鹿児島)、上田(宮城)、小林(保団連)の3名。仙台市中心部では医療機関の被害は少ないのですが、地盤の弱い一部の地域やビル最上階(12階)の診療所では全半壊しているケースがありました。お見舞金をお渡しできた先生からは、「高層階のため揺れが大きく、レントゲンが天井にぶつかって壊れる等の被害が出た。また水道やガスが1ヵ月以上ストップしたため、漸く今週月曜日(4/18)から診療を再開することができた。わざわざ遠くから訪問してくれて大変嬉しい」と感謝の言葉をいただきました。また、被害の軽微な医療機関の先生に要望を伺った際にも「特にはないよ。というのも、日頃から保険医協会は頑張ってくれているから」との大変有り難い言葉を頂戴し、宮城県保険医協会の日々の取組みが確実に会員に伝わっていることを実感する場面もありました。
【出された要望】
・ 被害状況に関する報告がまとまり次第、ぜひ県歯科医師会に知らせてほしい。現在、県歯で集約している情報と併せて確認作業を行い、情報交換ができればよいと思う。
・ マンションの1室で開業しているが、今回の震災で上の階からの水漏れ被害にあった。しかし、民間保険に加入していなかったため困っている。様々な器具が錆びたり、現像機が壊れたりする等の被害があり困っている。
・ マンションの1室で開業。診療所(部屋の内部)では特段の被害は無かったが、建物の共有部分(部屋を出てすぐの廊下に亀裂あり)には被害が出ており困っている。
[泉区]
甚大な被害を受けた荒浜地区(撮影4/17
全壊は2件。1件は、壊れた窓からカーテンがむき出しになっていました。もう1件は、本震で弱った建物に余震が来て損害がひどくなったそうで。業者に再建できるか調べてもらっているが、この場所で続けることには不安もあるとの話しを伺いました。
その他は一部損壊などで、建物にひびが入ったり、地盤が沈下したりしていましたが、診療は再開されていました。わざわざ訪問してくれてありがたいと、お茶を出してくださる先生もおられました。
医療機関訪問が終わった後、甚大な被害を受けた沿岸部・荒浜をタクシーで訪問しました。まるで爆心地のようで、がれき以外は見渡す限り何も残っていませんでした。津波の恐ろしさをひしひしと感じさせられました。
[太白区]
診療所が全壊された先生は、「移転を考えている。患者さんのことがあるので近場で捜したい。収入が減るので、大きな不安がある」とのことでした。
また、地震直後に患者さんのことを考えて診療所に寝泊まりした先生もいらっしゃいました。その間、老人ホームを回ったりされていたそうです。
そのほかの先生がたの感想としては、「頼んでもいないのに震災後にチェアを持ってきてくれたメーカーさんがあった。早速購入した」「患者さんが少なくなった。受診をがまんされているのでは。重傷化が心配だ」「地震から1カ月たって、そろそろ疲れが出てきた。しかし患者さんのことを思うと疲れたとは言っていられない。わざわざ協会から来ていただき、それも大きな支えになった」「もう、薬もガソリンもある。うちは診療できているので全壊した医療機関を回ってほしい」などの言葉をいただきました。
また、政府が進める電子化についての批判もありました。「電子カルテは停電になると使えない。紙カルテのほうが、非常時にはずっと優れている」「電子カルテが故障し、メーカーを変えたが、データに互換性がなかった。今までのデータがパアになった。厚労省はデータの互換性を確保してほしい」「医療機器は安くない。その修理代を国が補助してほしい」などの意見・要望をいただきました。

保団連 東日本大震災 救援復興FAXニュース 22号

(4/19) 保団連支援隊 岩手県釜石市を会員訪問

4月19日、岩手協会支援隊(静岡協会・村山俊一、保団連・鈴木沙波)は岩手県釜石市の会員で、診療所が全半壊となった会員を中心に一部損壊となった会員を含め、お見舞い金を持参して、被災状況や復興状況を聞きました。
訪問結果は、全訪問会員数は13人。実際にお見舞い金を手渡せた会員は11人。不在会員は、1人。携帯電話で繋がった会員は1人。釜石は全対象機関を訪問できました。
お見舞い金を受け取った会員の先生からは箱石会長によろしくお伝えくださいと、とても感謝されました。一部損壊の先生は、壁にひび割れがあるなどしても私の診療所の所は問題ない。流されている診療所がある。と口を揃えて言われていたのが印象的でした。
以下、三人の会員から伺った話を紹介します。
神経内科クリニックのH医師は、壊滅地域の鵜住居町(うのすまいちょう)の診療所が完全に流出。3月22日から仮診療所で診療を開始して、一日に50~60人前後を診療(以前から通院されていた患者中心)している。診療所再開に向けて資金面は工面できる見込みがあるが、問題は診療所の用地。跡地には建てられないのでどうするか困っているが、同様の状況にある医院は多いのではないか。
歯科医院のF歯科医師は、待合室の大きなガラスが割れ、壁にひび割れ、キャビネット脱落破損。診療状況は、震災後の一週目は、死体安置所の検体、二週目は、避難所診療所、三週目からは、通常診療をしている。
協会、保団連への要望は、全壊の診療所へのサポート、ケアを行ってほしいこと。
小児科医院のI医師は、児童の心のケアはされているが、学童以下の子どものケアがないので、絵本を集めて保育園などに行っている。津波がトラウマになり、お風呂に入れない子どももいる。釜石では、44人が孤児となった。物資支援も人的支援も5、6月で引き上げるのではないかと心配。以前から医師不足に加えて、津波による影響を危惧している。長期的支援をお願いしたい。
以上です。


(4/19) 保団連支援隊 宮城県仙台市を会員訪問(1)

4月19日は仙台市の太白区、青葉区、泉区を3つのチームで回った。訪問医療機関数は計51件、うち全半壊は8件、一部損壊が43件だった。各区の概要は以下の通り。
○太白区
全壊は1件だけ、あとは外見はきれいでも壁にヒビがあったり、医療機器の修理が必要だったりした。医薬品は十分足りているとのこと。要望としては「一部負担金の猶予か免除かの通知がわかりにくい。患者さん向けの窓口に貼る簡単な説明書きがほしい」「国は税金を免除してくれたり、機器の修理代を援助してほしい」などがあった。
見舞金を手渡すと「私は診療できているので結構だ。ほかの人に回してほしい」など遠慮される先生もいらっしゃった。震災の感想としては「診療を再開するまでの1週間がつらかった。患者さんと接してやっと落ち着いた」「患者さんが待っている。早く再開したい」「今回、命にかかわる仕事をしていることが本当にわかった」「他県からの医療支援に任せるわけにはいかない。聴診器一つで避難所を回っている」「地区医師会や大学病院と連携して在宅診療を始めたい」などの話をいただいた。
被災された整形外科医院
○泉区
全半壊が2件、1件は復旧の見込なしとのこと。もう1件は透析をやっているので午前中だけ患者さんに薬を出している。震災時の話としては「本震より余震のダメージが大きかった。余震でひび割れが拡大した。家屋を修理してもまた余震が来たらどうにもならない」「地震保険の対応がひどい。見舞金ほどしか出なかった」などがあった。
行政への要望としては「避難所の皆さんの健康状態が悪化している。エコノミークラス症候群の症状も出始めているという。是非、避難所の皆さんの健康診断をやってほしい」などがあった。
○青葉区
①K整形外科  休診
②Mクリニック
[被害状況]
機材が動いた程度。診療はすぐに再開できた。震災以降、スタッフが1日も休まず協力してくれている。
③O内科医院
[被害状況]
古い給湯器は壊れたが、医療機器は大丈夫。翌12日から診療を再開できた。停電中(2~3日)は手書きレセプトで対応した。
④S整形外科麻酔科
[被害状況]
レントゲンの一部や建物のボイラーが壊れたが、休診は土曜日(地震後翌日)のみで、日曜夜から診療再開できた。有床診のため、スタッフが泊まり込みで対応した。
[要望]
電気やガソリンの復旧が診療再開には必須だと感じた。
⑤K循環器科クリニック
[被害状況]
若干の停電や断水程度。
⑥I矯正歯科クリニック
[被害状況]
自宅は酷い状況。家の事は考えずに、ひたすら診療するしかない。
[要望]
被災地における歯科患者の支援システムの構築を求めて、矯正歯科関係の学会に要望書を出したが、日歯の対応が鈍いこともあり検討が進んでいない。協会として、可能であれば日歯の後押しをしてほしい。例えば、主治医を失った被災者(矯正歯科の患者)を自分の診療所まで移送する体制さえ確保してくれれば、無償で診療する準備はある。
⑦S歯科
[被害状況]
建物の被害が大きく、無数のクラックが生じた。薬瓶も全て落下し、あたり一面に薬品と割れた瓶の破片が散らばる状況。また、4月7日の余震でもさらに被害が拡大した。
⑧A歯科医院  建物全半壊、体調不良で休診
⑨A歯科クリニック
[被害状況]
自宅はガタガタになってしまったが診療所は何とか無事。
[要望]
訪問してくれたので、一人じゃないと実感できた。本当に嬉しい。これからも宜しくお願いしたい。
⑩Aクリニック
[被害状況]
レントゲンが壊れた。また、プリンタ等の機器も吹き飛んで壊れたので、買い替えの必要が生じた。マンションの1室のため、建物自体もジョイントが壊れる等の被害が出ており不安だ。
[要望]
普段から必要な資料等があれば協会に連絡をしてもらっている。現時点では足りているので大丈夫。
⑪I歯科医院
[被害状況]
スタッフが通勤できなかったこともあり、震災から10日間は休診した。
[要望]
被災地で診療所やすべてを失い、借金のみ抱えて呆然としている先生方が心配だ。現在、当院では歯科医師、歯科衛生士を募集しているので、是非そういった先生を紹介してほしい。そういった意味では、求人のマッチング体制が確保できればとても良いと思う。
⑫G整形外科クリニック
[被害状況]
若干カルテ等が落ちた程度。むしろ4月7日の余震で当ビルに亀裂が入ったのが心配。診療所は今のところ問題なくやれている。
[要望]
お見舞金は、もっと困っている先生方に是非回してください。(お気持ちのみ、ということで見舞金の受け取りは辞退された。)
⑬I内科クリニック
[被害状況]
物が若干落ちた程度で問題ない。
[要望]
お気持ちだけ十分いただきました。お見舞金は、もっと困っている先生方に是非回してください。(見舞金の受け取りは辞退された。)
⑭Oクリニック
[被害状況]
診療所が入っている建物がかなりの被害を受け、1ヵ月以上診療ができなかった。本日(4月19日)から漸く再開ができた。そういった意味では被害が結構大きかった。
⑮O脳神経外科
[被害状況]
地震翌日の3月12日(土)のみ休診。日曜日からは再開できた。
[要望]
沿岸部の先生方が心配。よろしくお願いしたい。


(4/19) 保団連支援隊 宮城県仙台市を会員訪問(2)

[A班(檜山・杉山・川辺)]
19日は朝から雨も降ってきており、肌寒い気温。街を歩いている人たちも春物というよりは、冬物を着込んでの出勤姿の人が目立っている。
今週の訪問対象地域が内陸部ということで、津波の被害が無い地域とのこと。比較的被害の小さな地区との認識でいたが、面談等の出来た医療機関のほとんどで、壁にヒビが入っていたり、医療機器が破損したりと、地震による被害は小さくない。そのような中でも、訪問したほとんどの先生が既に診療を開始しており、口にした言葉が「お見舞金については、自分より被害の大きい先生に廻してください」と辞退されていた(その後、何とか説明をして受け取っていただいたが…)。
自宅も含め全半壊の所もあるなか、患者さんから急かされて早く診療を再開することが、復興に向けたモチベーションになっていたり、診察が出来ないことで憂鬱な気持ちになってしまっていたと言う先生もいて、地域医療を担っている先生方の姿を垣間見ることが出来た。
また、ある内科の先生は「不謹慎だと思うが…」と前置きしたうえで、「開業して、今までの診療のなで直接命に関わる診療をしている認識が薄れていた。今回の震災で、薬ひとつが手に入らないことで、命に関わる患者が、こんなにいる事に驚いた。自分の診察がいかに大切なのかを再認識できる機会となった」と、これからの地域医療を考えさせられる機会となったと複雑な思いを打ち明けてもらえた。
夕方からは、雨が雪に変わって雪見桜となった。
17件訪問中13件面談。全半壊は以下特徴的な報告。
・内科(地区医師会副会長)
 待合室の窓ガラスが破損。建物全体に足場やブルーシートが敷かれており、いまだ修理が完了していない中で、診療を再開していた。震災から一ヶ月経過したが、今後は「地区医師会-大学病院」と連携して在宅患者へのサポートへ力を入れて行きたいとの事。震災直後は沿岸地域の避難所へ支援に行っていたとのこと。
被災された歯科医院(ビル診)
・小児科
外観は目立った損傷は見慣れなかったが、面談の中で、水道が使用できないとの事が判明。建物2階は復旧したが、1階(診察室)はトイレも使用できない。今は診療を頑張りたいとのこと。
・歯科(ビル診療)
テナント2Fで診療していたが、明らかに全壊。内部も損傷がひどい。歯科チェアがどの位使用できる状態なのかも分からないが、この地域で診療を再開することを目指している。
・内科
診療所の被害としては、震災直後は水道が止まって、トイレも使用できない状態だった。患者だけでなく、トイレも使用できないので、1週間くらいは午前のみの診療を強いられた。むしろ自宅の被害が甚大で、家が傾いていて、中に入れない状態。現在は、実家(診療所裏)にいて、何とか生活しているとのこと。
※その他、全体の印象
・ 報道されている医薬品不足を指摘する先生は、ごく一部の薬を除き、一人しかいなかった。ただ、ゴールデンウィークが近付いていることから、2週間分の投薬では、連休中に無くなってしまう患者が現れてきている。
※出された要望
・ 一部負担金の猶予について、通知文章が分かりづらいうえ、患者への周知が出来ていない。窓口でお話しすると初めて知ったという患者が多いので、診療所用の周知ポスターがあれば助かる。
・ “猶予”だと後から請求されるので、今の内に払っておくとの患者もいて対応に困るので、“猶予”ではなく、“免除”にして欲しい。
・ 全壊した診療所を再開する場合に、諸々の届出等を簡素化してもらいたい。
・ 震災被害で、診療所を立て直す場合や、医療機器を買い替える場合(修理も含め)に、税制上でも措置をして欲しい。
[B班(知念・納富・前島)-仙台市泉区(訪問19・面談14)]
19日は、宮城協会の行った被災状況調査への回答があった(安否確認の出来ている)、一部損壊・全半壊の開業医を対象に訪問した。仙台市主要部より北に位置する泉区は、津波の被害は無く、地震動による被害が散在している状況。区内を回った概観では、地盤の状況により局地的に大きな被害をうけた地域もあった。
一部損壊の医療機関では内外壁・駐車場のひび割れ、設備の破損、薬品・カルテの棚が倒れる等の被害が目立った。片付けに追われ、水道・電気が復旧しない中でも、全ての医療機関が早期に診療を再開していた。
ある内科の先生が、「壁のひび割れを補修した途端に余震でまた壊れてしまい、薬もカルテもめちゃくちゃになったのを二度片付けた。薬がないと困る患者さんがいるからやめようとは思わない。」と、語られたのが印象に残った。
また全半壊の医療機関では、壁の崩れと、柱や基礎への損害が深刻なため、仙台市から「危険な建造物」に指定された整形外科や、ショッピングモールの4階で開業しているが、その階から上が閉鎖されてしまい、先生(自宅は気仙沼)との連絡もこちらからは行うのが困難な歯科医院。
外壁全体が崩れ、足場とシートに全体を覆われた医院は、外観からはとても診療を行っているようには見えないが、透析の患者さんを他院へお願いし、外来のみを行っていた。正面玄関は使用不可のため、従業員用の通用口を臨時で出入り口としていた。5・6人の患者さんが待つ待合椅子の真上の天井は崩れ落ち、鉄筋と配管がむき出しになっている。また壁の崩れと、柱や基礎への損害が深刻なため、仙台市から「危険な建造物」に指定された整形外科などがあった。

保団連 東日本大震災 救援復興FAXニュース 21号

4月12日から13日にかけて保団連支援隊2名<小林・耕、堀江(保団連)>は、11日に行った畠山事務局長との打ち合わせをふまえて、県内沿岸部地域の被害状況を把握するため、町役場や医療機関を訪問しました。(4月14日の行動については既報)

被災したS医院
【4/12 宮古市以北地域を訪問】
 岩泉町と田野畑村、普代村、野田村を訪問し、岩泉町と田野畑村では直接役所の担当者からお話しを伺うことができました。
<岩泉町>
 町役場の担当者からは、沿岸部の小本(おもと)地区で甚大な被害があったが、町役場や済生会岩泉病院は機能しており、現在6カ所の避難所に対して、保健師が巡回面談を行い、ニーズを把握しながら対応するなどの活動をすすめているとの話しを伺いました。
 小本(おもと)地区で床下浸水されたS医院が現在避難所から毎日通いながら診療を再開されています。S医師からは、現在、薬剤を注文してもなかなかとどかないとの話しを伺いましたので、支援物資からロキソニンやマスクなどお渡ししました。在庫が少なくなっていたとのことで、大変喜ばれました。
<田野畑村>
 村役場及び保健センターの担当者からは、国保診療所と保健センターが連携して、震災当時から現在まで医療、保健活動を行っており、一定機能しているとの説明を伺いました。鉄道の復旧が一部にとどまっており、宮古市や久慈市の医療機関への通院が困難なケースもあるとのことで鉄道の復旧がまたれる状況でした。
 盛岡市内からの主要幹線道路は、ところどころ工事中のため片側交通規制などがありましたが、ほぼ問題なく通行可能でした。ただし、断崖で有名な北山崎などに向かう道路は通行止めとなっていました。

【4/13 大槌町を訪問】
 町内は甚大な被害を受けており、高台にある中央公民館にある災害対策本部を訪問し、会員の安否を確認するとともに、避難所で医療活動を行っている先生を訪問しました。
M医師は、障害者支援施設四季の郷と災害対策本部のある中央公民館で医療活動を行っているとのことでした。当日は、中央公民館ではなく四季の郷の方で医療活動をされているとのことで、直接お会いすることができませんでした。

被災した県立大槌病院
  弓道場が避難所になっており、そこに避難され、同地で医療活動を行っているU医師にお話しを伺うことができました。
 U医師からは、避難当初は、一人で対応していたが、その後長崎大学とAMDAの医師の協力を得て、現在はある程度落ち着いてきている。検査ができないため、慢性疾患のケースでどのような経過をたどってきたのか調べられないのが心配である。現在、釜石病院の入院が機能していないので大変だが、現在宮古病院で対応してもらっているなどのお話しを伺いました。

2011年4月20日水曜日

現地レポート24 仙台市泉区の被災医療機関を訪問

 兵庫、愛知、神奈川各協会の事務局員で、仙台市泉区の医療機関19件を訪問。各医療関に見舞金を届け、被災の状況や要望などを聞いた。
 仙台市泉区は仙台市街から比較的近い内陸部で、被害は地震の揺れによるもののみ。大体の医療機関はすでに通常の診療を行なっており、壊滅的な被害は少ない。しかし、中には全壊で診療再開の目処が立たない医院もあった。
 ある整形外科医院は建物を立て替えなければ診療できない状態。再建にせよ移転にせよ、年内は診療を再開できないだろうと先生は話していた。院内はまだ未整理で、無事だった医療機器やリハビリ器具の置き場に困っているとのこと。貸し倉庫を探しても見つからず、また長期になれば費用も大きくなると当面の問題を聞くことができた。また、全壊した透析を行なっている医院では、建物は完全にシートで覆われ、破損したガラスや院内の物品が大量に駐車場に積まれている状態だった。院内は天井がはがれた悲惨な状態だが、そんな中でも最低限必要な薬だけは処方するため、先生は午前中壊れた医院で限定的な診療を行い、午後には他院に預けた透析患者の所に行っているとのことだった。テナント開業の歯科医院でも、未だフロア全体が閉鎖されていて休診している所があった。
 すでに通常診療を再開している医療機関でも、建物のいたるところに壁のひび割れが見られたり、地盤が沈下し明らかに傾いているなどの被害を受けている所も多い。特徴的なのは、3月11日の地震で受けた被害が、4月7日の余震で拡大されているということ。地震の後に必要な部分を応急的に直して診療を再開したが、その後の余震でまた壊れてしまい、今後の不安と費用のことを考えると再度修理しようとも思えないと、ある歯科医院の先生は話していた。また、地震で倒れたカルテの棚が余震で再度倒れ、新しいものを購入したが、そのままで置いてある医院もあった。まだ余震があるかもしれないという不安が、再建の足かせとなっている状況が伺えた。
 健診専門のクリニックも訪問した。ここは、直接的な被害は高額な医療機器がひとつ破損しただけとのことだが、一般的な外来診療ではないため、震災以前のような状況には中々戻らないだろうとのことだった。震災当日も、津波被害を受けた石巻市の漁協の団体健診を行なっていたというが、その後団体の予約はすべてキャンセル、今後も住民に健診を受けようという心の余裕が生まれるまではどうにもならないと話していた。また、先生は避難所生活の中でエコノミー症候群が実際に見られることなどにも触れ、「復興を進めるためにも、被災者の健康確保が第一。こういう時だからこそ、健診と予防を徹底しなければならない」と対策の必要性を訴えていた。
 その他のことでは、地震保険がまともに支払われないことについての怒りもあった。地盤沈下などは評価の対象にされず、「お見舞金程度」といわれ一部損壊の小額の保障しか受け取ることができなかったという歯科医院があり、リスク回避のためにかけていた保険がいざという時に役立たないと、強い不信感をもっていた。
 全体として、医院の改修や備品、設備の購入が必要であり、そのための資金として見舞金の提供は非常に喜ばれた。
 明日以降の行動は、状況の把握が出来ていない会員医療機関の現状確認と、全半壊の医療機関に見舞金を届けるための訪問となる。今日と同じ地域で、20件程度の訪問を予定している。

2011.4.18
 兵庫県保険医協会事務局 納富章宏

現地レポート23 保団連支援隊8人が宮城で支援活動

 保団連支援隊に合流するため、4月18日(月)、東京駅発の高速バスに乗り、約5時間で仙台に到着。15時に宮城協会に集合後、保団連支援隊の顔合わせと意思統一、翌日からの行動の計画を決めた。支援隊には保団連1人、神奈川協会1人、東京協会1人、栃木協会1人、愛知協会2人、兵庫協会1人、鹿児島協会1人の計8人が参加。19日(火)から三班に分かれて市内の医療機関を訪問する。19日(火)は青葉区、太白区、泉区の医療機関を訪問する予定。

 会員医療機関の被災状況については、約1,630人の会員のうち960人ほどが確認できており、全半壊が100件ほど、一部損壊が350件ほどとなっているとのこと。被害報告に基づき見舞金を届けることと、情報を提供し要望をくみ上げることが支援隊の任務。宮城協会では、当面の対応として①会費の免除(4月会費は全会員を免除、全半壊医療機関については1年間を目処に診療再開まで免除)、②災害特別融資制度の準備(1,000万まで、原則無担保、協会手数料無料で医院の再建など以外にも運転資金としても利用可能)などを行なっており、保険請求にかかわる情報提供や大保協共同購入の案内などとともにそうした案内を行なっていく。

 津波の被害もあった沿岸部の訪問はこれまでの行動でほぼ完了しており、これから訪問するのは地震の影響のみを受けた内陸部になる。中には全半壊の医療機関もあるが、被害状況としては比較的軽微な地域であるとのこと。また、市街地を含む地域であり、医療機関が比較的密集しているので訪問しやすい地域でもある。19日には一班約20件、全体で60件ほどの訪問を予定している。 

2011.4.18
兵庫県保険医協会事務局 納富章宏

2011年4月19日火曜日

現地レポート22 加藤 擁一先生から

 歯科の役割は大きい    加藤歯科クリニック 加藤 擁一

 4月9()10()と、宮城県の被災地に行ってきた。8日()夜、診察を終って最終の新幹線で東京に前泊、翌朝5時から車で6時間かけて仙台へという強行軍だったが、一同、元気に頑張ってきた。
 出発直前の7日深夜、東北地方を震度6の大規模な余震が襲った。復旧しかけたライフラインがまた被害を受けたと報道されており心配だったが、何とか無事到着できた。
 まず、宮城協会の事務所に行き、被災状況の説明を受けた。事務所の壁一面に被災医療機関の写真などが貼ってあり、すさまじい状況の一端がうかがえる。未だに連絡の取れない会員も多いとの話である。
 午後からタクシーで石巻市に入る。死者・行方不明者5,000人以上を出した、最大の被災地である。沿岸部はほぼ壊滅状態で、一カ月たった今も見渡す限り瓦礫とヘドロに被いつくされている。
 高台にある石巻中学と高校が避難所になっている。係の人に許可を得て、避難している人に「歯のことで困っていることはありませんか」と声をかけて回る。津波で義歯を紛失した人、義歯の調子が悪い人、歯茎を腫らして抜歯の必要な人などが少なからずおられた。歯ブラシなども十分には行き渡っていない様子で、歯磨剤、義歯洗浄剤の要望も多かった。血圧の高い人も多数おられる。現地の医科・歯科医療機関もひどく被災しており、かなり大変な状況である。
 翌日は、仙台の南東にある名取市を訪れた。ここも津波の被害が大きかったところで、今も1,000人以上の方が行方不明である。市の中心部にある文化会館が避難所になっていて、200人ほどが生活しておられる。
 避難所周辺はライフラインがほぼ復旧しており、近隣の歯科医院も診療を再開していた。歯肉炎のひどい人、一治療が中断したままの人もおられて、受診を勧めた。現地の歯科医師会の方や、保険センターの歯科衛生士さんとも懇談をする機会を持てた。阪神・淡路大震災の経験も話し、激励した。「保険でより良い歯科医療を」兵庫連絡会から預かってきた歯ブラシをお渡しし、活用をお願いした。
 2日間の限られた日程で、十分なことができた訳ではないが、被災者のみなさんにあたたかく迎えていただいたことが何よりであった。当初「歯科医療は充足している」との行政サイドの話もあり、歯科ニーズが十分把握されていないことを心配していた。やはり、現地で被災者一人ひとりに声かけをすると、歯科医として、できること、しなければならないことが数多くあると、改めて実感した。震災関連死につながる誤嚥性肺炎の防止に口腔ケアが重要なことは言うまでもない。
 今後とも現地支援を続けていきたいと、参加者一同が感想を持った。ぜひ、多くの先生にも参加を呼びかけたい。

2011年4月18日月曜日

保団連 東日本大震災 救援復興FAXニュース 20号

(4/14)岩手、避難所回って歯科医療進めたい

4月14日、保団連支援隊の2名<小林・耕・堀江(保団連)>は、岩手県の釜石市の被害の状況を把握するため市役所や医療機関を訪問し、支援物資を届け被災会員に見舞金を手渡しました。

岸壁の上に散らばった瓦礫
【行動参加者からの報告概要】
市内の医療機関の状況を確認するため、シープラザ釜石にある市の災害対策本部を訪問。バン1台分の医薬品・衛生材料、水などを対策本部に届けました。同市からは、市内医療機関診療状況一覧等の資料を入手。偶然、シープラザ釜石にて、市内の被災歯科医療機関と県歯科医師会との相談会が間もなく開催されるとの情報を得ました。相談会の合間に参加されていた井上宏紀先生、工藤英明先生、三浦孝先生、佐々木憲一郎先生(4医療機関とも釜石の沿岸部にあったため、壊滅)に個々に状況を伺いました。見舞金を手渡し、4月会費の免除措置をお知らせし、復興のための参考資料を差し上げました。4人の先生とも、異口同音に、見舞金や会費免除はありがたいと述べられました。
井上先生は、ご自宅は被災しておらず当面街の復興をみながら、仮設での再開を目指したいとのことでした。なお、この日の相談会開催の情報は、事務局が先生の医療機関の被災現場に掲示されていた連絡先に電話をした際にご提供いただいたものです。
工藤先生は、仮転居先である野田村の旧黒田医院に避難中であり、医院の復興は見通しが立たないと述べられました。
三浦先生は、ご自宅は大丈夫のようでしたが、今後の医院復興の見通しは立たないとのこと。
佐々木先生は、2メートルを超える浸水のため、釜石市内の知人宅に避難中。今迄の場所で再建したい。半年のうちには再開したいと意欲を語っておられました。
県歯科医師会との相談会に参加された関係者の話では、県歯からは、早急に仮設診療所開設をとのアドバイスがされ、県歯側は資材等の支援をしたいと表明したとのことでした。
 
被災後の釜石市内の被災医療関係者の動きについて、井上宏紀先生には、次のようにお話しいただきました。
被災一週間後から県歯より歯ブラシが届き、釜石市保健福祉課の歯科衛生士、保健師さんたちと避難所まわりを開始しました。そのころより、県歯からの依頼で、検死、検案を1週間ほど避難所でやりました。その後は県歯から歯科医師の派遣があり、検死、検案を替わっていただいたので、避難所まわりに力を注ぐことができるようになりました。被災された歯科医師は、皆さん週2~3回の避難所まわりをしています、釜石市内の60箇所程ある避難所をそれぞれ3~4箇所受け持っておられます。
5月末までの患者窓口一部負担なしの時期は避難所を回って歯科医療活動を進めたい。それ以降は、仮設での診療開始か、勤務医への転進を選択するかを個々の先生で決めていただくことになるでしょう。


(4/9-10)近畿などの歯科医師6人・医師1人が岩手支援

大阪歯科、兵庫、和歌山、京都歯科と福岡歯科の各保険医協会に所属する歯科医師6人・医師1人など12人のグループが4月9、10の両日、宮城県石巻市、名取市の避難所で医療支援に当たった。大地震に大津波、さらに余震のストレスで極限の状態にあり、依然として圧倒的なマンパワー不足にあることが分かった。参加した歯科医師らは「亡くなったり体調を崩す人をこれ以上出さないためにも、医師・歯科医師の派遣を急ぐ必要がある」と強調する。
避難所で歯科診療にあたる
9日は午前5時に東京を出発し、東北道を北上。同11時に仙台市内に。宮城県保険医協会で被災地の状況を聞いて、午後2時から600人が避難する石巻中学校、午後4時頃から300人がいる石巻高校に。3班に分かれ、体育館や各教室の避難者たち1人1人に声掛けし健康状態などをチェックした。
その結果、義歯を津波で流されたり、逃げる際に壊したり歯が折れたりして満足に食べられないなど、歯科に対するニーズが非常に高いことが分かった。また、多くの避難者で1週間前までは正常だったという血圧が高い数値を示し、歯肉が腫れるなど、震災から1カ月近くが経過して、健康状態が悪化した人が目立った。
避難所では、炭水化物に塩分を加えた食事が中心になっており、「残さず食べないといけない」という。偏食や栄養不良がうかがわれ、中には、持病の糖尿と高血圧などで17種類の薬を飲んでいたが、震災後は中断しがちで、偏食やストレスから血圧が200を超え、起き上がることも難しくなった女性も。体を適度に動かすことや食事指導をし、早急に専門医を受診するよう強く勧め、同行した市の保健師にもその旨伝えた。
翌10日は朝から400人余の名取市文化会館に。「掛かりつけの歯科医院が倒壊したため困っている」「支給された歯ブラシが硬すぎて歯肉から出血する」「子ども用の歯ブラシはありませんか」などの声が多く寄せられた。
「入れ歯が少し歯肉に当たって痛い」との男性の要望に、義歯を研磨するなどした。「歯肉からの出血がひどくなった」男性には歯科衛生士が歯間ブラシなどを用いて歯肉マッサージ。「これでようやく安心して食べられる」と笑顔が戻った。
避難所は1000カ所をゆうに超え、状況は異なるが、プライバシーもなくストレスは想像以上に大きい。また、自宅で1人で生活している高齢者も少なくない。医療、歯科医療を十分に受けられず、被害はさらに拡がる様相だ。参加した中津正二医師(脳神経外科)は「今行かないで、いつ行くのか。被災していない地域の医師、歯科医師の出番だ」と話す。(保団連理事・杉山正隆)


(4/13)宮城、厚労省通知などを丁寧に周知

歯科のユニットは塩水に浸かると、真水(河川の洪水等)での浸水と違って(真水の場合は修理可能とのこと)、細かい粒子が機械に入り込み、修理が困難とのことです(ユニットの修理のために派遣された保守担当者がそのように話したとのこと)。この点についても情報を収集し対策を講じる必要があるのではと思いました。
来週から(4月18日~)、4月下旬から、5月初めから、5月連休明けからと、診療再開を予定している医療機関が多くありました。これらの医療機関では、この間、診療室・受付・待合室の修繕・清掃、浸水したカルテの乾燥、電子カルテの復旧、医療機器の交換・修理等々に一所懸命取り組まれてきており(先生方・スタッフの注意が医療機関の復旧に集中)、情報不足も相まって、一部負担金免除の取り扱いへの窓口対応をどのようにしたらよいかなど、診療再開にあたって不安を感じているようでした。被災の状況(全壊・流出、半壊・床上浸水1m以上、一部損壊・床上浸水)によって、医療機関の復旧に時間差があり、それぞれがその時々によって意識や要求が異なると思われます。厚労省のこの間の通知など震災対応の特別な取り扱い等を、繰り返し丁寧に周知していく必要があると思いました。

保団連 東日本大震災 救援復興FAXニュース 19号

(4/8~10)宮城支援に歯科医師送る…東京歯科協会

(*個人名は伏せ字にしています)
 東京歯科協会は4 月8 日~10 日にかけ宮城県に役員ら3 名を派遣し、東松島市、石巻市の避難所など4 カ所の状況を視察。また、その居住者で歯科治療の希望する方に対し、義歯の修理・調整、脱離冠の再装着、急性症状に対する投薬など必要な措置を行った。

東松島市 人口43,153人、世帯数15,075世帯
死者920人、避難者3792人、避難所58カ所(4/11現在)
石巻市 人口162,822人、世帯数 60,928世帯
死者2698人、避難者14776人、避難所125カ所(4/12現在)

概要
診察に当たる東京歯科協会の先生方
◆2団体を訪問、被災工業地域を視察
8 日には宮城県の保険医協会事務所を訪問した。森元主税協会副会長から震災への弔辞を述べ、野地事務局長から避難所や行政、会員の状況などの情報を提供していただいた。宮城県保険医協会として国や県に対し概算請求の要望書を出していること、県内では8 名の医師・歯科医師(協会会員4 名)が行方不明の状況であることが紹介された。また、宮城県歯科医師会会館にも訪れ、あいさつした。
その後、多賀城市に移動し視察した。仙台市内から多賀城市にかけて町並みは鉄筋コンクリートの建物がひび割れ、ガラスが割れている状況。工場地帯は本来海上にあるブイや積み重なった車、工場の部品などがあちらこちらにまみれ、いかに被害が激しかったかが分かる有様であった。この日は風が強く津波で陸上に上がった砂が風で舞っていた。
夜には齋基之協会理事(青葉区開業)と会い、県内の避難所の状況などの情報を得て、10 日の予定の参考にした。

◆避難所とデイケアセンターを視察・歯科医療支援
9 日、東松島市の避難所2 カ所(赤井・上町西両市民センター)とデイケアセンター(百合の里)を訪ねた。市の職員である保健師の●●さんが事前に避難所に連絡を取り、歯科医療の求めがあった方13 人に対し、必要な処置を行った。
しかし、事前に希望のあった避難所2カ所では求めのあった方が不在で、取りやめた。
歯科治療希望者の症状はう蝕、歯髄炎、義歯破損など。対応した歯科医師は患者さんに文書での提供を行い、地元の歯科医院に受診したら見せるよう話し、地元の歯科医院に引き継いだ。
デーサービスセンターでは、避難されている高齢者の飲み込みが悪いとの職員からの訴えに対し、馬場安彦理事が嚥下について診査し、利用者の首もとに聴診器をあて、職員に飲み込み音を聞かせるなど、今後の療養生活が改善されるよう分かりやすく助言をする場面もあった。
●●さんによると、震災後は内科系の訴えが強かったが、最近ではお口の問題もあるという方が増え始めている。東松島市全体で2 歯科診療所が再開をはじめたとのことだが、避難所には日赤や民医連が医療支援しているが歯科は入っていないそうだ。(死亡者数800 人、行方不明者数不明、避難所は80 カ所)
歯科医療支援の考えがあることを●●さんに伝えると、お礼を述べられ、「電気が復旧して避難所にいた方で自宅が残っている方は戻りはじめている。しかし家が流された人は避難所に留まるだろう。歯科医療の要望が今後、どれだけ必要になるかは見通しが立たない」と先行きは不明であるとのことであった。
昼には野蒜地区を視察し、津波で壊滅的な被害を受けた状況を確認した。●●さんによると、避難所に指定されている野蒜小学校に避難した方は「まさかここまで津波がくるとは思わなかった」が津波に飲まれた。「目の前で死んでいく人を見たという人、生き残っても大変な思いをする人ばかり。この辺は地獄でした」と伝え聞いた惨状を振り返った。
終了後、井上博之先生(協会副理事長)、●●先生(宮城県歯科医師会石巻支部被災担当*)に連絡を入れ、活動の報告をした。●●先生には、協会は現地の先生方が1日も早く再開できることを願っていること、今後とも継続した支援を検討している旨を話すと、「こちらは会員の安否状況をようやく把握しはじめた状況で、これから。支援いただけるのはありがたい」といわれた。翌日に河北総合センターに行くことを勧められた。
*宮城県歯科医師会石巻支部は石巻市、東松島市、牡鹿郡を範囲としている

◆避難所を視察・歯科医療支援
10 日には、石巻市河北地区の方が避難している河北総合センター(ビックバン)を視察(避難者は538 人・看護師は2 名常駐)。連絡を入れずにいったため、急遽、職員に対応していただいた近隣の本庁舎には歯科医療スタッフが期日を決めて入っているが、ビックバンには歯科医療チームは入っていない様子。歯科受診が必要であれば避難所で指定をされる歯科医院への受診を促しているようだ。(4/10現在9歯科医療機関が掲示されていた)紹介される先は曜日により指定される医院がかわり、必ずしも近医に受診できるとは限らない。この避難所には弘前大の医療チームが入っているようであったが、歯科医療チームは入っていない。東北大学が来る予定であったが、中止になったそう。
2階の部屋に歯科治療をする場所を設けたが、放送で呼びかけても当初は誰も来なかったため、看護師さんと協力して声を替えて回った。のべ12 名ほどの患者さんを診た。患者さんのほとんどが高齢者であった。
症状は義歯破損、脱離冠の再装着など。限られた歯科材料の中で、求められる急性的な措置を行った。中には「入れ歯はなくしたから」とあきらめる方もおられた。脱離冠の再装着の方もはじめは断っていたが、何とかできるかもと説得して受診につなげた。その方が待っている時に一昨日の地震の状況について尋ねると、3 月11 日に車で高台まで逃げたが、第一波がきたので車を捨てて、走って逃げたが、胸まで浸かったこと。第2波に飲まれたら死んでいたと、堰を切って話された。声をかけ話しをすることが被災者のストレスを解消されるとも感じた。
終了後には●●先生に報告をし、今後また連絡することを伝えた。


(4/12)宮城支援、「チリ地震の十数倍の津波だった」

 12日は、気仙沼方面に向け7時にホテルを出発。参加は、①谷川(保団連)、服部(愛知)班、②小川(兵庫)、寺川(群馬)、市川(東京)事務局班の2組5人。
多賀城方面は、8時30分に協会事務所を出発。参加は、①加藤(愛知)、滝沢(東京)班、②槇(栃木)、桐原(鹿児島)班の2組4人。

泥が溜まった待合室
 以下は、訪問結果の概要と被災会員からの特徴的な意見・感想などです。なお、訪問の後、見舞金を受けとられた会員から改めてのお礼や、不在だったので「訪問と資料を頂きありがとうございました」との電話が協会に寄せられました。

<気仙沼について>
 訪問結果は、訪問件数31件(面談21人。不在等9人)。
 被災状況は、全半壊・流出9件、一部損壊3件、その他5件。
 お見舞金支給は、全半壊10件、一部損壊7件。
*特徴的なこと
・一番困っていることは、「街の復興」だとして、復興への強い願いが寄せられていること。
・ご自身も全半壊なのに、大変な方がたくさんいることを心配され、「お見舞金」を遠慮される先生もいたこと(受け取っていただきました)。
・チリ地震を経験された先生からは、チリの時の10数倍の規模との感想で、激震災害の激しさを述べられ、訪問に厚い感謝の言葉をいただいたこと。
・湾の奥まった所までは来ないと思ったが、津波が押し寄せ被害に遭ったこと。
・全半壊された自宅には、避難や待機している旨を書いたプラスチックの箱が置いてあったこと。

<多賀城について>
 訪問結果は、訪問件数35件(面談28件、不在等5件)。
 被災状況は、全半壊・流失4件、一部損壊2件。その他1件。
 お見舞金支給は、全半壊5件、一部損壊2件。
*特徴的なこと
・医療機関の施設内が1.5メートルもの浸水に合い、被害を受けた様子の説明を受け、激しかった被害の実態を見たこと。
・「街の復興のシンボルとなるように、医療機関の再開をめざしたい」との強い思いを込めて活動されている会員がいること。
・多数の医療機関で、まだ泥水の被害がひどく、中和のための石灰が手に入らないこと。家電も周辺では買えず、山形までいって購入したこと。
・隣のビルが倒壊しそうな状態のため、退去せざるをえないと不安の声が寄せられたこと。
・高台等で被災の少なかった地域の医療機関は、患者さんが多数来ていて多忙をきわめていたこと。


(4/9~10)近畿と福岡歯科の役員、宮城支援に入る

 近畿と福岡歯科の保険医協会有志とともに行った活動は、歯科支援第一弾としても取り組まれ、兵庫協会から加藤擁一副理事長、中津正二先生(三田市・中津クリニック院長)、藤田典子歯科衛生士(加古川市・うちだ歯科)、楠・山田事務局員が参加。大阪歯科協会から山上紘志副理事長と後藤剛事務局次長、京都歯科協会から平田高士理事、福岡歯科協会から杉山正隆副会長と大水継圭理事、和歌山協会から小谷隆久先生と上野佳男事務局長で総勢12人。

4月9日(土)
 5時に東京を出発し、11時頃に仙台市入り。宮城協会事務所を訪問し、野地事務局長から被災地の状況などについて説明を受けた。北村龍男理事長や井上博之歯科代表らと電話で表敬、激励しあった。
 14時に石巻中学校へ。約600人が避難している。3班に分かれ、2時間ほどかけて各教室や体育館にいる避難者に声をかけて回った。
 加藤擁一先生が一人ひとりに「歯はちゃんとみがけていますか」「入れ歯をなくしていませんか」「痛いところはありませんか」と声をかけて口腔内を見て回ると、「入れ歯用の歯ブラシと洗浄液、ケースがルしい」「柔らかい歯ブラシはないか」など声があがった。
 阪神・淡路大震災のときに多くの避難者が誤嚥性肺炎で亡くなられた経験から口腔ケアの大切さを説明すると、避難者らは熱心に聞き、自分の歯の状態なども訴えた。
 加藤先生は、「避難所での歯科ニーズは非常に高い。当面大切なのは、避難所で困っていることを手助けすること。フロスがほしい、歯磨き粉がほしいという人も多かった。入れ歯があたって痛いという人がいたが、少し削ってあげるとQOLがずいぶん向上する」との感想を話した。
 16時からは石巻高校へ。約300人が避難している。ここでも3班に別れ、1時間半ほどかけて巡回した。

被災者一人ひとりの相談に乗る中津正二先生
 中津正二先生は血圧を測定して回ったが、多くの避難者が高い数値を示した。中津先生は一人ひとりに「野菜を食べろ、塩分をとるなと言ってもこのような状況だから難しいでしょうが、できるだけこまめに血圧を測定してもらう機会をもってくださいね」と声をかけて体調の相談に乗り、持参した痛み止めや降圧剤などを必要に応じて提供した。
 中津先生は、「一週間前に測ったときは正常だったという人が多かったが、今日は多くの人が高い数値だった。この一週間ほどで事情が変わってきている。炭水化物に塩分を加えて食べており、また『残さず食べる』ことが言われている。野菜もなかなか口にできない。余震の恐怖で夜は眠れず、運動不足、避難所生活でのストレスなどが血圧を高めている。開業以来10数年使っている血圧計で測定したが、こんなことは初めて」と感想を話した。
 
4月10日(日)
 2日目、9時30分頃に名取市文化会館へ。414人の方が避難している。初日同様、3班に分かれて1時間半ほどかけて巡回し、医療ニーズを探った。
 中津先生は避難所に詰めていた看護師と共に巡回。「子どもが日に何度も鼻血を出す」「足がパンパンにむくんでいる」などの訴えが避難者から出され、看護師と相談しながら対応していった。
 また歯科では避難所に詰めている歯科衛生士と共に巡回。「治療通院していた歯科医院が地震で潰れてしまった」「歯医者さんの所においてあるハブラシが欲しかったところ」「小さい子ども用のハブラシを下さい」などの相談を受けた。
 「保険でより良い歯科医療を」兵庫連絡会も、歯ブラシ1000本を寄付した。

2011年4月14日木曜日

現地レポート21 引き続き会員訪問と見舞金をお届け

 4月11日(月)から宮城入りしている保団連現地支援隊は14日、引き続き会員訪問・見舞金届けを行う。本日も4班にわかれて8時に出発、仙台市宮城野区、若林区、名取市、岩沼市などの全半壊・一部損壊を被った医療機関と被害状況不明会員が重点対象。本日からは宮城協会理事の高橋医師と事務局も加わる。
 なお、保団連と宮城協会は全国の保険医協会に支援隊への事務局派遣強化を呼びかけ、現地支援隊を16人体制まで増員し、来週、再来週で全被災会員の訪問を完了する方針。
 既に訪問した会員からは遠路よく来てくれたと、保団連支援隊への感謝が述べられるとともに、一日もはやい医院再開のために見舞金はありがたく使わせてもらうなどの声が聞かれた。しかし、津波による泥と塩水の損害は深刻を極め、建物の損壊を免れた医院でも、特に歯科、産婦人科、整形外科など、必要な電子医療機器が全滅した会員は廃業を考えざるを得ない現実や融資の希望が寄せられている。一部損壊の医療機関では診療を再開した医師もあるが、親・妻・子どもを津波に奪われながら、地域の患者に必死で医療を提供している。かかりつけ医院を失った住民が残されたクリニックに殺到している。
2011.4.14
兵庫県保険医協会 事務局次長 小川昭

被災地 石巻市内の医療機関


2011年4月12日火曜日

現地レポート⑳ 中津正二先生から

 今行かないで、いつ行くのか?   中津クリニック 中津正二  
 
 兵庫県保険医協会がホームページに掲載した現地医療支援の募集に応募し、4月9()10()、歯科医師中心の医療支援ボランティアに随行したので報告と感想を述べる。
歯科医師の方々の目的は口腔ケア用品の無償提供と指導とのこと。4月8日()午後と9日()の診療を休診、4月8日()午後出発した。同日東京で一泊、4月9日()早朝に現地へ向けて出発した。途中のガソリン供給状況は良好とは言い難かったが午前中に仙台市着、正午には石巻市にタクシーで向かった。出発前タクシーの運ちゃんと二人きりで話す時間があり、前々日夜の余震について尋ねてみると“規模は3月11日の本震に比し3分の1の規模ながら、精神的にとどめを刺された地震”とのことであった。 
午後1時過ぎには石巻中学校に到着。早速、同避難所責任者の校長に挨拶、歯科医療支援の主旨を説明、許可を得て活動を開始。私自身は同地には兵庫県医師会のチームが入っているため、成すべきこともなく歯科の先生方の邪魔にならないようにお手伝い、医師会チームの事務職の方や内科医の先生と情報交換などに時間を費やした。特筆すべきは口腔ケアのニーズの多さで、同日午後1時過ぎの時点で救護診療所を受診された方は約90名とのことであったが、口腔ケア用品を希望された方は優にその数倍にのぼり、改めて歯科医師と歯科衛生士さんのニーズの高さを実感した。
次に向かった石巻高校は全体を統括する人はおられず、3チームに分かれリーダーさんと呼ばれる方が、約70人ずつのまとめ役を担っておられた。さし当たって、血圧計・筆記用具等を持って避難所の中へ。数人に話を聞きながら血圧を測ると、被災者の方がにこにこ応対してくれるのに対してこちらの顔がこわばっていくのがわかった。皆、異常に高いのである。10人程測ると3人は200mmHgを越えていた。1週間前に血圧測定をする機会があった時には正常血圧であった方が当日150mHg前後、また元来150mmHg前後で当日190mmHg前後の方もおられた。いずれの方も前回測定機会より高かった。さらにお話を聞くと、4月7日夜の余震で退避と不眠の為ストレスの増加があったことや、数日前より支援物資が量的に充分手に入る様になったものの、東北人の律儀さか、食事を残すことを厳禁されているとのことであった。一部報道では下水やゴミの問題のせいとあったが、かの地の方々はそれらが解決してもなお、相当数の方が支援物資を塩分が濃いという理由では簡単には棄てないように感じた。自身の震災前の食事より塩分が濃いことをほとんどの方が自覚されていた。ひたすら、相当困難ではあるが、塩分の濃いものを控えること、野菜をとる機会があれば逃さないこと、適度な運動を、等々くり返し、この避難所を後にした。
翌4月10日には名取市総合文化会館(約700人収容)を訪れた。こちらは仙台市が近いこともあり、看護師2名が常駐の上、定期的に東北大学から医師が診療に来られているとのことであった。昨日の石巻高校と異なり、明らかに正常血圧の方が多かった。 
さて、以上から私見を述べさせていただく。やはり圧倒的にマンパワー不足のように思われた。余震のストレスに耐え、野菜と魚のない食事で凌いでいる全く罪なき被災者を、さらに血管障害のため泣かせることがあってはならないと思う。また、血管障害の患者が発生すれば、地元の病院はますます機能不全に陥ることになりかねない。ここは非被災地の開業医・歯科医の出番であろう。県医師会はJMATの増派を5月中旬まで募り、5人の枠を3人以上とし看護師や保健師のいない救護所の巡回診療に当てるべきである。保険医協会は団体の枠を越え、5月中旬まで毎土・日曜日に巡回診療できる医師・歯科医師・看護師・衛生士を募り、これを全力で支援するのが望ましい。その際、医師・歯科医師を含むチーム全てに申請さえあればJMATの保険を適応するよう医師会と協議してほしい。 無論、全ての派遣チーム間を極力多くの救護所に行き渡らせるため、医師会との情報交換を躊躇すべきでない。さらには、一人でも多くの地元開業医を見つけ、一緒に巡回し記録をその医師に託すことで引き継ぎの成立を計る取り組みも必要となろう。とにかく、これ以上の防ぎ得る不幸を食い止めるためのマンパワーが必要と私は思う。どうか、医療行政に若干でも責任を持つ立場の方は上記を積極的により上の立場の人に働きかけ、増派を実現できるよう切にお願い申し上げたい。紙面に限りがあり、詳細は省いた。さらに情報をお求めの方は、電話079-561-2277mail; shouji2@aol.com  まで、4月末頃まででお願いします。


現地レポート⑲ 保団連第二次支援隊が宮城協会会員を訪問

 4月11日から宮城入りしている保団連の被災地第二次支援隊(室井正保団連参与、小川昭兵庫協会事務局次長ほか保団連1、愛知2、東京2、群馬、栃木、鹿児島各1名の事務局員10人の編成は12日、2隊4班に別れて津波と火災による壊滅的被害をうけた気仙沼、多賀城地域の会員医療機関を訪問。安否確認とともに、それぞれ37人、36人の会員に3万円から30万円の見舞金を届ける。
 気仙沼地域では判明しているだけで2人の会員が死亡し、8人が全半壊の被害を受けている。気仙沼方面隊は朝7時に仙台を出発。被災状況報告査書、会費減免、特別融資制度、レセプト提出期限延長の届け、医薬品共同購入のお知らせなど、医療機関再開に必要な情報と資料を手渡した。
 明日13日以降も15日まで宮城県に滞在し、順次、南三陸町、石巻、名取市、岩沼市の会員を見舞う予定。

兵庫県保険医協会事務局次長 小川 昭




2011年4月11日月曜日

「被災者に歯ブラシを届けよう!」募金の呼びかけ

「被災者に歯ブラシを届けよう!」募金にご協力ください


兵庫県保険医協会
歯科部会長 田村忠之


 兵庫県保険医協会も参加する「保険でより良い歯科医療を」兵庫連絡会世話人の足立了平先生(神戸常盤大学短期大学部口腔保健学科教授)は、16年前の阪神・淡路大震災以来、口腔ケアと全身疾患の関係を訴え続けています。
 今回の東日本大震災の被災地に医療支援に入ったある医師によりますと、歯ブラシを欲しがっている被災者が多数いらっしゃるということです。歯ブラシがないと、インフルエンザや肺炎のまん延が心配されます。
 兵庫県保険医協会でもすでに義援金の募金をお願いしていますが、今後被災者の避難所や仮設住宅での生活は長期にわたることも予想されますので、ご賛同いただける方は歯ブラシ募金としてさらなるご協力の程をよろしくお願いいたします。スタッフの方や患者さんにもご協力いただけましたら幸いです。



「被災者に歯ブラシを届けよう!」募金のお願い


「保険でより良い歯科医療を」兵庫連絡会世話人
神戸常盤大学短期大学部口腔保健学科教授

足立 了平


 今回の東日本大震災で、避難所にて過ごされている被災者の方々に、歯ブラシを届ける募金にご協力をお願いいたします。
 阪神・淡路大震災後に健康悪化で亡くなられた震災関連疾患死の被災者は約1000人おられましたが、最も大きかった死因は肺炎で、関連死の約24%を占めました。その内、半分以上が誤嚥性肺炎だと私は思っています。高齢の方は人前で義歯を外したがらないので、洗浄せずに義歯をはめたままの状態で寝食を過ごし、口腔ケア不足で口の中の細菌が増加します。さらに避難所生活による体力低下も加わって、誤嚥により細菌が肺の中に入りやすくなるのです。震災直後から口腔ケアがしっかりできていれば、肺炎死をもっと減らすことができたのではないかと思うのです。
 避難所では歯ブラシを使っての口腔ケアがとても大事です。保険でより良い歯科医療を目指す当会ならではの支援活動として、ぜひご協力の程よろしくお願いいたします。
 歯ブラシは確実に被災者に届けられるように配慮してまいります。また、現地の要望がありましたら、洗口剤や保湿剤などの調達もいたします。

■募金お振り込み先
・ゆうちょ銀行  店番(支店名)「四三八(よんさんはち)」 預金種目「普通口座」 口座番号「4329044」
口座名 足立了平
・三井住友銀行 「長田支店」 普通口座 口座番号「7630490」 
  口座名 「保険でよりよい歯科医療を」兵庫連絡会 代表 足立 了平

現地レポート⑱ 協会第四次支援チームが宮城県で救援活動


兵庫県保険医協会・第四次被災地支援チームが4月9日()10()に宮城県内で救援活動を行った。近畿と福岡歯科の保険医協会有志とともに行った活動は、歯科支援第一弾としても取り組まれ、兵庫協会から加藤擁一副理事長、中津正二先生(三田市・中津クリニック院長)、藤田典子歯科衛生士(加古川市・うちだ歯科)、楠・山田事務局員が参加。大阪歯科協会から山上紘志副理事長と後藤剛事務局次長、京都歯科協会から平田高士理事、福岡歯科協会から杉山正隆副会長と大水継圭理事、和歌山協会から小谷隆久先生と上野佳男事務局長で総勢12人。

4月9日(土)

避難者の口腔内をチェックする加藤副理事長

5時に東京を出発し、11時頃に仙台市入り。宮城協会事務所を訪問し、野地事務局長から被災地の状況などについて説明を受けた。北村龍男理事長や井上博之歯科代表らと電話で表敬、激励しあった。
14時に石巻中学校へ。約600人が避難している。3班に分かれ、2時間ほどかけて各教室や体育館にいる避難者に声をかけて回った。
加藤擁一先生が一人ひとりに「歯はちゃんとみがけていますか」「入れ歯をなくしていませんか」「痛いところはありませんか」と声をかけて口腔内を見て回ると、「入れ歯用の歯ブラシと洗浄液、ケースがほしい」「柔らかい歯ブラシはないか」など声があがった。
阪神・淡路大震災のときに多くの避難者が誤嚥性肺炎で亡くなられた経験から口腔ケアの大切さを説明すると、避難者らは熱心に聞き、自分の歯の状態なども訴えた。
加藤先生は、「避難所での歯科ニーズは非常に高い。当面大切なのは、避難所で困っていることを手助けすること。フロスがほしい、歯磨き粉がほしいという人も多かった。入れ歯があたって痛いという人がいたが、少し削ってあげるとQOLがずいぶん向上する」との感想を話した。
 16時からは石巻高校へ。約300人が避難している。ここでも3班に別れ、1時間半ほどかけて巡回した。
被災者一人ひとりの相談に乗る中津正二先生
中津正二先生は血圧を測定して回ったが、多くの避難者が高い数値を示した。中津先生は一人ひとりに「野菜を食べろ、塩分をとるなと言ってもこのような状況だから難しいでしょうが、できるだけこまめに血圧を測定してもらう機会をもってくださいね」と声をかけて体調の相談に乗り、持参した痛み止めや降圧剤などを必要に応じて提供した。
中津先生は、「一週間前に測ったときは正常だったという人が多かったが、今日は多くの人が高い数値だった。この一週間ほどで事情が変わってきている。炭水化物を塩分を加えて食べており、また『残さず食べる』ことが言われている。野菜もなかなか口にできない。余震の恐怖で夜は眠れず、運動不足、避難所生活でのストレスなどが血圧を高めている。開業以来10数年使っている血圧計で測定したが、こんなことは初めて」と感想を話した。
 
4月10日(日)
 2日目、9時30分頃に名取市文化会館へ。414人の方が避難している。初日同様、3班に分かれて1時間半ほどかけて巡回し、医療ニーズを探った。
中津先生は避難所に詰めていた看護師と共に巡回。「子どもが日に何度も鼻血を出す」「足がパンパンにむくんでいる」などの訴えが避難者から出され、看護師と相談しながら対応していった。
また歯科では避難所に詰めている歯科衛生士と共に巡回。「治療通院していた歯科医院が地震で潰れてしまった」「歯医者さんの所においてあるハブラシが欲しかったところ」「小さい子ども用のハブラシを下さい」などの相談を受けた。
「保険でより良い歯科医療を」兵庫連絡会も、歯ブラシ1000本を寄付した。

2日間の医療支援活動を通じて、参加者からは「避難所の医療ニーズは極めて高い。保団連として継続的な医療支援が必要」が寄せられた。

2011.4.11
兵庫県保険医協会事務局 楠 真次郎

2011年4月8日金曜日

(4/6)宮城協会・保団連支援隊 石巻市、七ヶ浜町、多賀城市を会員訪問

4月6日、宮城協会の鈴木さんと支援隊の4名<神藤(栃木協会)、伊藤(愛知)、小川(愛知)、里村(保団連)>は、住江先生と大阪の原さんを乗せて、石巻へ。石巻診療所の矢崎先生の診療所に車を置いて、2手に分かれて、石巻市内の38会員医療機関を訪問した。
前日の塩竈市とは違って、診療所が流されてご本人と会えないところや診療再開困難というところが多数あった。
宮城協会の青井さんと岩淵さんは、七ヶ浜と多賀城市の11会員医療機関を訪問した。

【行動参加者からの報告概要】
石巻地区を訪問。津波の被害が最も大きい地域では、建物の跡形もない焼野原状態。建物はあっても1階の天井近くまで浸水し、再開は困難。ライフラインも未通のところが多い。かろうじて残った2階自宅部分などに暮らしているが、再建のめどがたたず、日に日に意欲が失せている様子。(保団連:里村)
津波による被害の大きかった石巻市の会員訪問を行った。市内は道路はかなり通行可能な状況であったが、津波によって流された車や瓦礫などが積み上げられている状態だった。泥なども残っており、粉塵が巻き上がって空気も悪い状況。
多くの医療機関が被害を受けており、診療を再開していても、「薬の処方のみ」や「時間を短縮して診療」というところがほとんどであった。診療所の床や機器は泥にまみれたままの状態で、床にブルーシートを敷いて診療を再開している医院や、待合室に臨時の薬局をつくって処方を行っている医院もあった。診療所に被害がない場合でも、先生の自宅やスタッフの自宅などに被害があることなどから通常通りの診療はまだ難しい状況であった。
また、医療機関まで伺っても、診療の再開のめどが立っていないため、誰もいない医療機関もあった。
全国から集まった見舞金を持って訪問を行ったが、どこの医院でも非常に感謝された。
ある産婦人科では、1階に浸水し機器などはほぼすべて使えなくなったとのこと。診療再開のめどは立っていないが、石巻市内にある産婦人科4件のうち、2件が今回の被災を機に廃院をする可能性が高いため、自分のところはかならず診療を再開すると語っておられた。開業医で担っていたお産が拠点病院(日赤病院)に流れると拠点病院がパンクしてしまう恐れがあること、妊婦検診や乳がん検診など自治体の行う検診の受け皿がなくなる可能性があることなどを危惧されていた。石巻の地域医療を守るためにもぜひがんばりたいとのことであった。
ある歯科医院では、診療所自体には被害がなくすでに診療を再開していた。先生はPTAの会長をしていることもあり、避難所の責任者を引き受けており、被災後しばらくは診療どころではなかったとのこと。今、心配なのはヘドロなどによる感染症と、肉親や友達などを亡くした方々の心のケア。これから暖かくなると感染症が一気にひろがる可能性があり、早急な対応が必要と話されていた。また、心のケアの問題では、どの様な方法が必要か苦慮しているとのこと。被災者を元気付けるために餅つきを企画しようとしたが、この時期には不適切として開催できなかったことなどのお話を伺った。(愛知:伊藤)

[主な訪問結果(石巻市)]
■H歯科医院
診療所は全壊。先生本人は100メートルほど離れた自宅にいた。水道も電気もまだ回復していない。診療所はかろうじて倒れずにいるが、業者の話によると、2階の機械室が重しになっている状態だろうとのこと。自宅は1.5メートルくらい水没。床下にもヘドロが入り込み片付けが大変な状態。自宅の敷地内によその家の倉庫が流れてきていて撤去も困難。協会から来てくれただけでありがたい、歯科医師会からはまだ何の連絡も来ない、昨日からやっと郵便が届くようになったがとにかく情報が欲しい、とのことだった。
■M内科クリニック
診療室は天井まで水没。二階の自宅で生活している。電気、水道、ガス、電話とも不通。郵便は届いている。震災4日目から避難所で診療活動を始め、今は支援チームに引き継いだ。建物が残っているので、廃院するか再開を目指すか毎日迷っている。地盤沈下で大潮になると冠水する状態で、住民が戻ってくるのか分からない。患者さんに「いつから開くの?」と聞かれ、早く再開したい気持ちはあるが、日に日にやる気が失せていくのが分かる。再開するとしても来年で、それまでの日数や費用、その間の収入はどうなるのか不安だ。廃院か再開か、今が分岐点だと感じる。
■K歯科医院
玄関に当たる1階部分が水没したが、診療室は2階だったので機器は無事。だが、機械室とエアコンの室外機が1階にあり、全部交換しないといけない。水も屋上の貯水槽が壊れたらしく、駐車場にある水道1カ所しか出ない。周りの商店街の人は毎年津波警報があったことから慣れてしまって、今回も2階に上がった程度だった。そのせいで車や商品が流された人が多い。先生自身は地震の直後、患者と従業員を全員帰し、3階にいた母親を連れて山に逃げたため無事だった。5人の従業員のうち2人は逃げる途中に車を置いて逃げたが、車が流され診療所に来れない状況になっている。明日から清掃を本格化させたい。給与は補助を受けて全額を保障するつもり。
■S歯科クリニック
床上まで浸水したため、機器はほぼすべて取り替えなくてはならない。できれば診療を続けたいが、機器の調達などのめどがたっていない。休業補償を支給してもらえると、従業員への給料の支払いもあるのでありがたい。ぜひ検討してほしい。
■S歯科医院
診療所は床上浸水。機器はすべて水に浸かってしまった。診療再開のめどはたっていない。
歯科医師会の副会長をやっているが、連絡のとれない会員も多い。行政などには、きめ細かく状況を把握してそれに対応した支援策を講じてほしい。
死者の特定のために、検視結果とカルテの照合を依頼されることがあるが、カルテも水に浸かったため照合に相当な手間がかかる。後片付けなどもあるので、手伝ってもらえる人がいるとありがたい。
■I歯科クリニック
診療所は無事だったが、自宅が浸水したため、診療所で寝泊りをしている。
PTAの会長などを行っている関係で避難所の責任者も任せられ、しばらくは診療どころではなかったが、最近ようやく落ち着いてきたので診療を再開した。周辺はヘドロなどの影響で衛生状態が極めて悪くなっておいる。そのあたりの対策を行政にはぜひお願いしたい。
[主な訪問結果(七ヶ浜、多賀城市)]
■O先生 七ヶ浜
ライフラインは大変だが、診療をやられていた。建物が高台にあったため、被災を逃れられたとみられた。まわりはいたるところ、がれきの山だった。お見舞いをのべ、アンケートを頼んできた。薬で甲状腺の薬が手にはいらないと話されていた。
■S先生 七ヶ浜
地震の後片付け中に手を骨折され、ギブスをしていた。診療を再開しており、損傷は少なく思われた。先生もまわりが本当にひどいのでと話されたおられた。
■N先生 多賀城
診療所は浸水、T先生は避難途中でけがをして、入院中、従業員ともども、かたづけされていたが、かなりいたんでおり、再開まではかなり日数がかかると思われた。お見舞いとアンテートをお願いしてきた。融資の資料も聞かれたので、おいてきた。

(4/7)保団連支援隊 宮城・石巻市を会員訪問

行動日時と場所:4月7日(木)宮城県石巻市
行動参加者;高橋理事(宮城協会)、住江会長、原(大阪)
神藤(栃木)、伊藤(愛知)、小川(愛知)、里村(保団連)

4月7日、支援隊の4名は、宮城協会の高橋理事、住江先生と大阪の原さんを乗せて、石巻へ。石巻診療所の矢崎先生の診療所に車を置いて、2手に分かれて、石巻市内の37会員医療機関を訪問した。
住江先生と原さんは、石巻市内の避難所等をまわり、会員訪問も2件していただいた。
【行動参加者からの報告概要】
これまでは目の前のがれきを片付けるのに必死だったが、一息ついたところで今後への不安が大きくなっている様子。再開に要する資金と、再開後の患者減に対する不安が大きい。「医療機器の無償貸与などの制度があれば」との意見も。
避難所で、「入れ歯に歯垢がたまり、痛くなった。そういうのを削ってもらうだけでもお願いできたら」との要望あり。(保団連:里村)

[主な訪問結果(石巻市)]
■Y産婦人科
当日は職員と患者を帰し、戸締りをして出ようとした時には腰まで水が来ていた。隣のアパートの2階に上がり、雪が降る中、外の階段で一晩を過ごした。4~5日前に電話や電気、水道が通り、やっと診療所内の泥がなくなった。看護師も避難所から通っている状態なので、午前中開けるだけで精いっぱい。
■N歯科
再開のめど立たず。途中で患者さんが訪れ、「先生、いつから開くの?」。
■K内科皮膚科
4月中旬に再開予定。当日は首付近まで水につかり、機械類は全滅。
■M眼科
仮診療所を開設。機械類全滅。室外機全滅。再開するのにいくらかかるのか、再開したとしても患者激減は目に見えている。なにしろ仕事がない。自宅は6キロ先だが、そこまで水につかったから、その付近の田畑はしばらく無理だろう。とにかく泥を出そうと必至でここまで来たが、ここからが大変だ。
■S歯科
水は上がらず、地震で現像機が倒れて現像液がこぼれた。こうして回っているのですか。ほかは大変だったでしょう。
■H産婦人科
床上浸水で診療所は全壊状態。無人であったため報告書をポストに入れてきた。
■K産婦人科医院診療所、自宅ともに床上浸水。機器がほとんど水に浸かってしまったため、診療再開のめどがたっていない。電話、FAXも不通。ガスも5月にならないと復旧しない。
石巻市内は産科不足が深刻になる可能性が高い。地域以外の先生方からの応援体制をつくってもらいたい。
■M森消化器内科外科
1階まで浸水。機器はすべて水に浸かってしまった。
現在は時間を短縮して診療しているが、11日からは通常時間で診療する予定。機器などは復旧していないが最低限の機器で診療していくつもり。
■T歯科医院床上浸水で、機器もすべて使用不可になった。
復旧までは2ヶ月くらいはかかるのではないか。
歯科医師会はなかなか動いてくれない。保険医協会はこうやって来てくれるので非常に頼りにしている。今後もサポートをお願いしたい。

(4/5~8) 保団連支援隊 岩手県沿岸地域を訪問

4月5日より朝8時45分より畠山事務局長と鳥取協会小田島事務局長と3人でミーティングを行う。
岩手協会では、被災会員を一回は会員訪問したとの報告を受けた。その上で被災地域の支援物資など必要なニーズを細かく把握するために、現地の役場の対策本部などを回り現状を掴むことを当面の任務とした。
会員訪問しての義捐金の配布については4月12日の協会常任理事会で取り扱いを決めていくのでそれを受けて次週以降の支援隊が対応していく。
畠山事務局長から、診療所が倒壊した被災会員が、学校などの避難所で救護室を設け診療を行っていることの情報を得た。医薬品や水など支援物資をレンタカーに詰め込み被災地のニーズ把握を行う。(保団連・本並)

4月5日は、宮古市、山田町を訪問。
4月6日は、陸前高田、大船渡市を訪問。
4月7日は、釜石、大槌町を訪問予定。
4月8日の午前 帰路へ  花巻空港 →羽田 

詳しい報告は以下の通り

★4月5日 1日目
[宮古市]
○道のり
盛岡から国道106号線を東にまっすぐ山を越えて一路太平洋を目指す。行けども海は見えず。途中は山々山々・・・ 気候はすっかり春でした。日中の気温は、15~17度くらい。寒いと思ったら暑かった。片側1車線なので自衛隊車両や支援物資を積んだ遅い車が前方にいる場合、速度が60kmぐらいに落ちます。片道2時間はかかる。

○地域と被災の状況
人口5万9千人 岩手県北部太平洋沿岸部の都市、市中心部が湾岸に近く津波の浸水や家屋倒壊などの被害が見られるが山沿いは家屋が残るなど比較的被害が少なかった。市役所の庁舎は1階が使えない状況だが、その他は機能している。
・市役所の高尾健康推進課長と懇談し医療供給状況のヒアリングと協会・保団連として何か援助できることはないかを聞いた。
・行政機能の損傷が少なかったため、被災状況の全体把握も早かったとのこと。また、盛岡と宮古を結ぶ国道106号線の損傷が少なかったことが幸いし、物資の補給や被災後1週間で路線バスが通った。
・医療の提供状況については、各地からの医療支援チーム(新潟DMAT、日赤、静岡)を保健所が中心となりチーム編成(医療班8チーム、心のケア2チーム、保健師6チーム)シフトを組み各避難所での診療を行っている。医薬品も9割が供給されてきており、水や電気も復旧した。ガソリンも今週になり手に入るようになっている。避難所から各家庭に戻る住民が出てきだしており、学校の授業再開を視野に、避難所の統合を検討している。仮設住宅はまだだが、各集落ごとに敷地を確保し山際などの高台を中心に建設する予定。
こうした状況から医療ニーズへの対応も在宅への支援体制に切り替わりつつある。
診療所も被災を免れたところを中心に再開を目指しておりそちらへの誘導を行っている。
保健所の担当者によると、各地からの支援によって普段以上の医療提供体制で助かっているが、これが日常に戻ると医師不足の状況に戻るのではないかとの不安もあるとのこと。実際に4月15日で国立病院機構や昭和大の支援チームは撤収するとのこと。
・現状では、ノロやインフルエンザなどの患者が出た場合の隔離する対応ができない。隔離や入院のための施設として沿岸部にあった県立病院の大半が津波被害で使えない状況のため、県立宮古病院しか残っていない。しかも宮古病院は350床のベッドがあるものの、かねてからの医師不足などで、60床しか機能していない。岩手県の医療提供体制では、予算削減のため稼動ベット数を縮小してきた。
太平洋沿岸部は医師不足がかねてから問題になっていたが、今回の津波が追い討ちをかけている状況のようだ。担当している保健師によると当面の救急医療などの支援、医薬品などの支援が途絶えた後の日常診療体制が維持できるのかなどの不安はぬぐえないとのこと。朝日新聞の4月6日付け社会面の記事「医療奪われた村」として釜石市の鵜住居村が紹介されているが、まったく同じ状況。沿岸部や岩手県の医療提供体制の問題点としてより津波で露呈した。


[山田町]
○道のり
宮古市から国道45線を南下、45号線はだいぶ復旧しているが沿岸沿いなので片側通行も一部あった。電柱の高い位置に漁網の浮きでボールのような丸いものが絡みついており、津波の高さがいかに高かったかを物語っている。不謹慎だが熟れた葡萄を創造してしまう。

○被災地域の状況
人口 1万8千人 過疎化と人口減少が続いていた。
被災状況は街中の中心地が津波による被害とその後発生した火災で黒焦げになっていた。戦後の焦土のようでした。丸1日火が消えなかったようです。山田線の陸中山田駅の駅舎も焼け具合が状況を物語っています。
・津波や火災の被害を免れた山田町役場の健康保険課を訪問した。医療支援体制は、宮古市とほぼ同じく、日赤や国立病院系のチームが支援に手厚く支援に入っている。
県立山田病院(新しい建物であった)は1階が浸水被害で使えなくなったため、2階で外来のみ昭和大のチームによる救急医療のみ行っている。
水道もようやく復旧したので、衛生状態は改善した。山田南小学校で仮設の薬局を設立し供給している。他の地区も同じ様子。
・地元の薬剤師(内田さん、近藤医院の門前薬局)の方が責任者をされており話を伺った。現状は医薬品や人的支援も充足しているが、今後の体制として地域の再生とともにがんばらないといけないと語られていた。
山田町で、牡蠣、ホタテ、ホヤの養殖を営まれていた方が多く、壊滅的な打撃を受けた。再生には最低でも3年かかるので、その間の食いぶちがない。商店街も元々シャッター通りだったので津波で崖っぷちに立たされた感じだと語られていた。親戚のところへの避難などを含めて人口が1万8千人→1万人ぐらいに減少すくるのではないか、そうなれば、医療ニーズ自体が皮肉にも少なくなるので足りるのではないかとのことも語られていた。
状況は悲壮感が漂ってますが、外人部隊による医療支援にいつまでも頼れないとのことで地域医療再生に向けた動きも点の動きだが出つつある。
旧山田病院を使用し、自身の診療所も被災した近藤医師が仲間を集めて医院を再開したいとのこと。早ければ4月11日にも診療を再開予定とのこと。

3日前 山田町
 再び山田町を訪れ山田小学校で診療を続けている近藤先生を訪問したが残念ながら会えなかったため、近藤先生と一緒に震災後直ちに、被災者医療に献身された後藤先生の診療所を訪問し、その時の様子伺った。後藤先生は被災後3日間は寝ずに診療に取り組んだこと、従業員全員で避難所の医療に懸命に取り組みんだ様子を聞くことができた。また震災直後に岩手協会の箱石会長が訪問してくれて勇気付けられたことが述べられた。
山田町の医師たちは、自身が被災している中で住民の命を守るため、献身的に取り組まれてており、診療所が被害に遭い地域の再生がままならない中でいち早く仮設診療所の開設や、旧山田病院の跡地を活用した共同での医院開設など急ピッチで準備が行われている。後藤医師が今一番気にされていることは、震災後一定期間が経過した現在、被災民の中でいろんなことを考える余裕が出てきただけに、将来に対するさまざまな不安が表面化しており、飛び降り自殺も起こっている。早く、町民の不安(職の不安、地域復興の不安)に対して早く、明るい展望が持てるようにしてほしい

★4月6日 2日目
[陸前高田]
○道のり
盛岡から東北自動車道に乗り、花巻まで高速で南下。その後、国道をひたすら東へ進む。激甚被災地の一つである陸前高田まで車で2時間半くらいかかった。帰りは別コースであったが、同じぐらいの時間で帰れた。
市役所も含めて街の主要部分が壊滅的に破壊されため、高台にある給食センターに仮の庁舎を設立し行政機能を回復させた。職員も死亡・行方不明も多数あり。
本日の報道では、戸羽太市長がやっと行方不明になっていた妻の遺体を確認されたことが報告されてきた。市長は自身の家族が行方不明になっているにもかかわらずこの間奮闘されている。頭が下がります。

・避難所の一つである高田一中に仮設の診療所があるため、そちらにいる菅野健康推進課長を訪問した。
医科の方は、日赤などの支援チームで対応されているが、仮設の歯科診療所も開設されており、協会会員で地元の歯科医院を経営されていた大和田剛史先生が従事されていた。
・大和田先生は自身の診療所も被災されているものの、応急処置を中心に対応されていた。訪問した際には、奥州市から若手の歯科医師の方3名がボランティアで支援に入られており、全体で写真撮影させてもらった。取り急ぎ欲しいものとして診療室のスリッパを送ることにした。欲しいものとしてユニットや器具など言い出せばきりがないが、現在できることは歯科の応急処置のみであり、学校の仮設診療所もいつ終了するか不明とのこと。
岩手協会の吉田副会長によると陸前高田地域で開業されている9名すべての歯科診療所がすべて津波被害で診療所機能の回復は当面難しい状況だ。近隣の歯科医院で勤務医として様子を見られる方も折られるようだが、中には、歯科ユニットを3台増やし、増築した矢先に津波に襲われ跡形もなくなってしまい、借金だけ残ってしまった悲惨な方がおられるようです。
いずれにしても歯科診療所にとって二重ローンの問題、再建のための融資等については、ニーズが高まっているが、融資では対応できないので、もっと大きな視点での公的な支援を要請するか、借金を棒引きにするぐらいでないと難しいというのが実情のようです。

[大船渡]
○道のり
陸前高田から30分ぐらいで着いた。
漁村で沿岸部地域は市場なども含めて繁華街の津波被害が激しい。すぐに高台になっており、被災の明暗が分かれた。ガソリンなどはスタンドが壊れなかったので支障がなかった。断水が続いているので水が喜ばれた。市役所の担当者に水と、お茶製造機を渡した。お茶製造機は、お茶葉と水だけを入れるだけで、暑いお茶が作れる機械だが、喜ばれた。鳥取協会の小田島さんからのご提供です。岩手協会からは、すでに歯ブラシが大量に持ち込まれております。
医療チーム等の支援状況は他と同じです。
市街地は湾の向かって緩やかな傾斜地となっているが市役所を含めた市中心部は壊滅した10M以上の津波が押し寄せ、雇用住宅の4階まで津波の猛威が及んだ。

★4月7日 3日目★
[釜石市、大槌町]

物資が充足しているとの2日間で物資が充足しているとの情報が得られたが、小規模な避難所のニーズを把握し物資援助についての方向性を確認するために釜石市、大槌町を訪問、釜石市では、災害対策本部を訪問し、医療ニーズなどを把握した。対応いただいたのは、釜石市医師会の寺田尚弘先生、自身のクリニックを運営しながら、医療部門の本部長を努められている。医療のニーズについて尋ねたところ、だんだん医療ニーズは減っているが、実際には、各避難所のニーズは掴むことは困難である。開業医の半数が残っているので仮設診療所を立てる予定。保健師が足りず衛生管理の充足など必要性はよく理解しているが、ニーズの評価ができていないこと、取りまとめしている人が多忙のため、統括したり組織化することができない。その結果、さまざまな支援が無駄になってしまうのでしばらく静観して欲しい。現場段階でなかなか掴みかねていることから、県はなおさらだ。大槌町は役所機能自体が崩壊したため、ニーズ把握ができていない状況はより深刻だ。

[大槌町]
町船体が湾岸から近く平野部のため津波の影響を諸に受けた。低層の建物も多いため逃げ場がない状況。大槌湾に浮かんでいた大きな漁船が建物の上に乗っかったまま手がつけられていない。
造船所に勤務していた避難所の町民によれば、防波堤が壁になり、津波が来ていることが見えなかった。地震で停電になり津波警報は一切聞こえなかった。津波後、大規模な火災が発生しており、焼失状況も激しい。町長も死亡した。行政機能が崩壊したことが大きく復興が遅れている原因か。小規模な避難所では、孤立している様子。避難所は残った家に帰ったり、親戚の家に移動したりとどんどん人員は減少している。地域から離れないという方もいる。

 ○全体を通して
 今週時点で、ライフラインが回復しており、物資や医薬品はほぼ充足している。医療の提供体制も当面は整っており、即物的に必要なものがないため、協会・保団連としての取り組みは会員訪問と医療機関再生のためのニーズ把握と具体的な要望と解決していくことが求められる
個別の要望として、野菜などの生鮮食品や中古車(保健所の巡回用として)が要望されたが、直接は提供できないので、何らかの発信し支援を募る他ない。
 医療提供体制が4月中は予定されているが、GW明け以降の体制などは避難所のニーズを見ながらという状況だが、息の長い支援体制が必要なため、地域での医療スタッフの確保もしくは、隣接地域、特に内陸部からの支援が不可欠である。(簡単にはできないが・・・)
歯科医療の支援について県歯科医師会は、巡回車を準備し、口腔ケアや歯科治療などの体制を送ればせながら組んでいくとのことだが歯科診療所に平日を中心とした体制を組むことを予定しており、休診手当てなどがないと近隣とは言えなかなか取り組みにくいのではないかとのこと。