2013年11月15日金曜日

全国災対連 全国交流集会 参加記

保団連も参加する全国災対連(災害被災者支援と災害対策改善を求める全国連絡会)は1013日~14日、全国交流集会を岩手県花巻市内で開催し、280人が参加した。兵庫協会からは、池内春樹理事長、武村義人副理事長、辻一城理事が参加し、医師として積極的な提言を行った。辻理事の参加記を紹介する。

阪神・淡路の経験 被災地で発信・交流を

明石市  辻 一城

 
被災地の課題を共有し、意見を交換しあった
 災対連全国交流集会では、開会あいさつの後、東日本大震災で市街地が壊滅した岩手県陸前高田市の戸羽太市長の記念講演を拝聴しました。

 新聞やテレビで、被災後の復興についてたびたび発信しておられる市長ですが、生の声をお聞きして、復興が進んでいない現状、その困難さを改めて知りました。そんな中でも、「子どもが安心して住める街に必ず復興させる」と熱く語られました。

 それに引き続き、先の震災以降に発生した熊本の豪雨災害、和歌山の豪雨災害の報告もあり、各被災地の窮状も知りました。

その後、九つの分科会が行われましたが小児科医の私は、「子ども、地域に寄り添った教育の復興を」というテーマの会に参加しました。震災で被災した宮城県の小学校教諭の現場報告の後、参加者全員で、活発に討議されました。

 そのなかで、「阪神・淡路大震災で被災した西宮市の先生からアドバイスを受け、被災した児童を受け持つ教師として大変有益だった」と聞き、情報交換の大切さを感じました。

 花巻から神戸に帰ってきた直後、関東南の太平洋沖を台風26号が通過し、首都圏の交通は麻痺し、伊豆大島では、豪雨による土石流で多くの人命が失われています。

 「被災」は「明日はわが身」です。阪神・淡路大震災を経験した兵庫協会として、このような集会に積極的に関わり、防災、減災、そして被災後の復旧、復興についての有益な情報を発信できるよう、今後も災害対策活動に取り組む必要があると再認識しました。

2013年8月25日日曜日

被災者の生活再建すすまず 被災地の看護師・民生委員に現状をきく

 

仮設住宅暮らしのつづく住民の苦しみが切々と語られた
 
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 東日本大震災から2年半。協会は8月3日に、被災地の現状を考える企画を県農業会館で実施。訪問看護師らが仮設住宅での暮らしが続き今後の展望が開けずに苦しむ被災者の姿を語り、生活再建が全く進んでいない被災地の現状が浮き彫りとなった。
 
 
 

 本企画は、日常診療経験交流会プレ企画「東日本大震災--いま、被災地の課題」で、岩手県一関市の菊地優子看護師と宮城県気仙沼市の民生・児童委員である小野道子氏を招いて開かれ、32人が参加した。
 菊地氏は、被災地特例措置として認められた「一人訪問看護ステーション」を震災直後に立ち上げ、仮設住宅居住者などの医療・看護支援を続けてきた経験を語り、小野氏は、自身も被災し仮設住宅に居住しながら、民生委員として毎日、仮設住宅を訪問し行っている相談活動を紹介した。
 両氏は、報道などでは復興が強調されているものの、津波で住居を奪われた被災者は、高台の土地が高騰し仮設住宅から出て行けず追い詰められ、精神疾患や自殺が増えており、復興からほど遠いと語った。
 医療体制では、医師不足が深刻であること、宮城県では被災者の医療費窓口負担免除措置が3月末で打ち切られたことで、入院費が払えず仮設に戻ってくるなど、被災者に負担がのしかかっていることなどが紹介された。
 
被災地コンサート音楽でやすらぎを

 協会は7月13〜15日に被災地コンサートと生活と健康を語る会を、福島県南相馬市、岩手県一関市、陸前高田市、宮城県気仙沼市の仮設住宅など6カ所で開催した。民族音楽家のロビン・ロイド氏による演奏が行われ、仮設住宅居住者らが参加した。
 協会からは川西敏雄副理事長、広川恵一理事、滝本桂子・長光由紀薬科部世話人が参加した。南相馬市・大町病院では猪又義光院長らとの懇談も行った。
 
首相に抗議声明 〝復興予算流用やめ医療費免除復活を〟

 協会理事会は7月27日、「東日本大震災被災者の医療費免除復活を求める声明」を採択し、安倍首相に送付した。復興予算が、自衛隊輸送機購入費、ベトナムへの原発輸出の調査委託費など、被災者支援とは関係のない事業に使われていることが次々と明らかになるなかで、あらためて被災者のための復興予算の実行を求めたもの。
 「流用」された総額は2兆円に達するとの報道を紹介し、被災地の医療費負担免除措置に要する予算は350億円、保険料減免とあわせれば1142億円であるとして、被災者の医療費負担免除措置の復活を強く求めている。
〈菊地看護師からのメール〉でっかい防波堤よりちっちゃくても自分の家を
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被災者の実態を語る
菊地看護師(左)と小野氏
 今般は、本当にありがとうございました。言い残した一部を列記させていただきます。
 震災当初から、国や周囲の皆様の恩恵をたくさんいただいてきた負い目。同じ被災者や周囲から、天災じゃないかと言われればそれまで。「2・5年間も助けられてきたじゃないか、これからは自立を考え
よ」。確かにそう...もう何も言えません。
 しかし現実は復興どころか復旧すら全く進んでいません。当初は周囲がマスコミが騒ぎました。今はそれも激減し、まさに見捨てられたゴーストタウンです。
 外出も減り、3畳と4畳半の部屋に閉じこもる生活が増え、孤独死が目立ちます。市では内密に処理し突然死と報告され、本当の病名は分かりません。確かに食生活の乱れによる脳梗塞・心筋梗塞もあるかもしれませんが、それはほんの一部で、8割以上が絶望による自殺と震災関連死だと聞いています。
 精神科に通院している患者さんも自己負担(3割)が大きく、通院を止め薬も止めてしまっている状況です。今後、ますます精神状態が不安定になることを予測し、民生委員の小野道子さんは、腰痛を我慢しながら、心配な人の部屋を回って歩いています。せめて自分の担当仮設から自殺者を出したくない一心で、見守りをしています。
 復興税が成立しましたが、どこに何に使われるのか? 優先順位は? 皆目検討が付きません。
 宮城県は、被災3県で1県だけ、医療費の自己負担免除措置を3月で打ち切りました。村井知事には、たかが1割かも知れません。
 しかし、「一人暮らしの要介護3(歩行障害)の被災者は、ヘルパー訪問の回数を減らし、高価なデイサービスはもちろん使えず、自力でお風呂に入ろうと転倒(仮設の風呂場には15㎝以上の段差)。頭部外傷を負い縫合処置を施行。入院を勧められたが入院費が払えず、仕方なく仮設に戻り、民生委員のお世話をいただきながら生活している。微々たる年金のために生活保護にもなれない」...これは、ほんの一例です。
 どんなサービスにも自己負担がつきまとい、国が掲げる衣食住という最低生活の社会保障は表向きだけ。やむなく住所を岩手に移す住民もいます。
 現状を知事は知っているのでしょうか? 震災から立ち直ったかのような力強い報道を流しテレビでかっこいいことばかり取り上げ、まるで北朝鮮のよう...。そのギャップが被災者・弱者をますます萎縮させ、本音を言えない環境にしてしまっています。
 でっかい防波堤より、ちっちゃくてもいいから、でっかい屁もたれる自分の安住の家が欲しい。それが被災者の本音なんです。
 今、被災者を支えているのは、国や政治家より、隣人とボランティアの支えです。漁業・観光で生活してきた人たちの自然を破壊し、コンクリートで埋め尽くそうとしている国の方針に、弱者は「未来も夢もなくなった。生きてても周りに迷惑かけるだけ」と悲壮な考えになってきています。
 それを捨て身で食い止めようとがんばり続けているキーパーソンが、高齢の小野さんであることは地域住民が周知しています。だからわれわれ医療支援団は彼女らに引きつけられ気仙沼に行くんです。決して中断できない。
 これからまた、長い長い寒い冬が到来します。仮設の冬は地獄です。
 今回の旅は、頑張り屋の小野さんへの大きなプレゼントでした。彼女の張りつめていた全身の糸が切れました。今まで涙ひとつ見せたことがない彼女の大粒の涙が全てを物語っていました。
 今回の全てが満足です。本当にありがとうございました。
菊地 優子

現地レポート47 7/13~15被災地訪問参加記

7月1315日に協会が実施した被災地訪問の参加記を掲載する。

まだまだできることがある

尼崎市・薬剤師 滝本 桂子

 

 最初の訪問先・大町病院では、猪又義光院長はじめ昨年の日常診プレ企画にも参加いただいた藤原珠世看護部長が業務の忙しい合間をぬって、病院の一室を手作りのコンサート会場にして迎えてくださった。私も、ロビンさんの演奏は初めてで民族音楽についてもほとんど知識のない中で興味津々だったが、まさにカルチャーショック!アフリカから南米、ヨーロッパ、世界中の手作りの民族楽器が奏でる音楽が聴衆の患者さんや病院で働く人たちの心の奥深く届く様子を目の当たりにし感動した。

2日目は、仮設住宅を回った。一関市千厩町では予定していた仮設住宅の集会場が参院選のため使えず急きょ「酒のくら交流施設」を使用することになった。

次の訪問地は、気仙沼市・五右衛門ヶ原運動場住宅。ここには宮城県保険医協会井上博之副理事長が参加され、被災地での医療の現状、特に3月で打ち切られた宮城県での医療費窓口負担免除の復活を求める運動について訴えがあった。

ロビンさんの演奏が始まると、不思議な形の不思議な音のする楽器に皆目を丸くし、彼の静かだけれどユーモアに富んだ語り口に引き込まれ、リラックスしていく様子がわかった。訪問看護師の菊地優子さんが同行してくださっていて、最後は彼女が率先して音頭をとって、炭坑節の演奏に合わせて盆踊りの輪が広がった。

2日目最後の訪問は、赤岩牧沢市営テニスコート住宅。後日、兵庫協会で被災地の課題を報告してくださった民生委員の小野道子さんの出迎えを受け、時間が経つにつれて仮設には高齢者、障害者といった社会的弱者が取り残されている現状についてお聞きしました。

3日目は、陸前高田市に向かった。テレビの映像は幾度となく見ていましたが、広大な土地が更地となり、今も取り壊さずに残る建物もある現状に言葉を失った。

「朝日のあたる家」は、その陸前高田市の小高い丘の上に建てられたコニュニティハウス。NPO法人福祉フォーラム東北の運営で、東京から来られた江連素実さんを館長に、4人がスタッフとして携わっておられた。ここを拠点に、コンサート、健康相談、食事会、体操教室、手芸教室と幅広い活動が続けられている。天然木の温もりのある心地よい空間のホールで、私たちは「健康相談と薬の話」をさせていただいた。

最後の訪問となったのは、こども図書館「ちいさいおうち」。ここには2年前の日常診でご講演いただいた県立高田病院前院長の石木幹人先生が来てくださった。

うれし野こども図書室高橋美和子理事長の絵本「アフリカの音」の読み聞かせとコラボで行ったロビンさんの演奏は、わずかな打ち合わせだけで即興だったにもかかわらず圧巻だった。図書館の関係者からは再演の申し出を受けた。私もその実現のための協力が出来ればいいなと思っている。

安全運転で長時間の移動を支え、企画を調整してくださった事務局の方々、何よりこのような機会を与えて下さった先生方に心よりお礼を申し上げます。

 

復興遅々として進まず 神戸から訪問続けたい

伊丹市・薬剤師  長光 由紀

 

被災より2年4カ月。福島県南相馬市、岩手県一関市、気仙沼市、陸前高田市を訪問した。メンバーはロビン・ロイドさん(民族音楽演奏家)、川西副理事長、広川理事、滝本薬科部代表、事務局2人と私の7人。13日午後、仙台空港到着、前線の影響から天候は悪く気温23度で伊丹とは10度も違う状況だった。

 初日は南相馬市大町病院。昨年日常診プレ企画講師として招いた藤原看護部長とスタッフに出迎えられ、猪又院長も演奏会に参加。院内患者やスタッフも含め、多くの参加者でロビン・ロイドさんと「七夕」などを演奏、参加者も楽器を演奏する形式で大変好評だった。

その夜、病院と関係のある地元建設会社・石川社長の話を伺った。原発被災時、防護服着用で立入禁止区域の作業をしたのは地域建設会社と自衛隊で、東京電力からは動きがなかったこと、社宅を高台に作り津波被害は受けていないことなど、原発立地に至った歴史、地域の江戸時代(大変な飢饉にみまわれた)からの状況など話は尽きなかった。特に「福島原発は東京電力のもの。東北のために全く使われず、こういう被害だけを受けたことは許せない」という言葉は胸に突き刺さった。

 2日目一関市千厩町。酒のくら交流施設は元酒蔵で涼しく、音がよく響く。仮設から離れていて参加者が少なく残念だったが、健康アドバイスの時間をもてた。被災後一人訪問看護師として活躍した菊池優子さんと合流。地域が広いため現在仕事は直行直帰とし、訪問スタッフが地域貢献をしているとのこと。午後は2カ所訪問。五右衛門ヶ原運動場住宅、赤岩牧沢市営テニスコート住宅へ。ほとんど高齢者が多く、震災による心の傷を少し発散された。津波で全てを失った民生委員・小野道子さんのリーダー力と人柄が大きいと感じた。宮城協会の井上博之副理事長も参加された。

 3日目陸前高田市。「朝日のあたる家」は東京、四国から震災後移住された館長江連(えづれ)館長、心の相談員行本さんがカフェや予約制の風呂を行う。山の緑が借景の小ホールで演奏会等を開催。早朝だったが参加者と薬相談をも気軽な形式でできた。高田病院・石木前院長も参加されたこども図書館「ちいさいおうち」では盛岡からの髙橋理事長、スタッフと共に絵本の読み聞かせとアフリカの音を味わうという贅沢な時間を持てた。

 今回の訪問で地震、津波で、家族を、家を、職場を、町を、地域全体を失い、山あいの仮設住宅に住んでおられる方々がまだまだ多く、海辺の地域の復興は遅々として進んでいないことを再確認した。医療においても特例として認められていたことが次々と解除され、被災された方々を更に苦しませる状況となっている。そして今後も心を生活を支えていかなければと感じた。

2013年5月25日土曜日

現地レポート46 4/20~21被災地訪問参加記


協会などが主催する被災地コンサートが4月2021日に、岩手県一関市、宮城県気仙沼市の仮設住宅2カ所で開催され、中国の伝統的な民族楽器「二胡」奏者の劉揚(りゅうやん)氏による演奏が行われ、仮設住宅居住者らが参加した。協会からは川西敏雄副理事長、広川恵一理事、中西透評議員が参加し、公立南三陸診療所などで懇談も行った。中西評議員と川西副理事長のレポートを掲載する。

 

再建のために医療へのアクセスを

三田市・歯科  中西  透


 4月20日~21日の被災地訪問と仮設住宅でのコンサートに広川、川西先生と私、劉夫妻、事務局3人の計8人で訪問いたしました。

 当日、東北地方の天気予報が、4月中頃にもかかわらず最低気温が0度近く、雪だと知り、服装にとまどいながら伊丹空港を出発し仙台へ。

 初日は一関市千厩(せんまや、意味:千の馬小屋)中学校跡地の仮設住宅集会所で1回目の劉夫妻の二胡のコンサートを開催し、約40人の被災者の方々が集まり、二胡のあたたかい音色にリズムを合わせておられました。

 その後、同市会議員の金野盛志氏、訪問看護ステーションの菊池優子さんとの懇談会を持ち、その中で被災地の復興が進んでいないのは、あまり報道されていないが、被害に遭遇されお亡くなりになられた人たちの相続が難航していることも、一つの原因であると述べられていました。

 最終日は、気仙沼の山間部は白くなり、その山の中に市営テニスコートに作られた仮設住宅が現れました。そこはバス停も遠く、お年寄りには生活に無理が出るような場所でした。

 集会所には20人ほど集まり、人の声に似ている、二胡のあたたかい音楽に聞き入っておられました。

 コンサート後、仮設住宅の方との懇話会では、「財力に余裕のある方から退所され、老人・弱者が置き去りにされていく」と切実に話されていました。

 国道45号線を、車窓から被災地を見ながら南下し、公立南三陸診療所(仮設)に着き、藤原靖士先生との懇談と見学をし、その中で休日・緊急・入院は約30キロメートル先まで搬送しなければならないと聞き驚きました。

 また2年後には高台への再建をめざしておられるので、被災地の再建とアクセスを考慮して臨んでほしいと伝え別れました。

 その後、帰路に向かう途中、巨大な自然エネルギーに直撃され、人工物の残骸が運び去られた風景を見ました。建造物を全て失った土だけを見ると、その風景が痛々しく感じ、車が行き交う国道45号線とさらに分岐する毛細血管的な道が、この被災地の生活の支えになっていることを痛感しました。

 300キロを運転していただきました事務局の方、今回被災地訪問に関係していただいた方々に深く感謝いたします。

 

住民・被災者中心の復興を

副理事長  川西 敏雄


 今回の訪問については、中西先生が詳細にご報告されているので、私からは特に印象に残ったことのみを述べる。

 気仙沼訪問は〝桜満開と雪景色のコラボ〟 であった。

 前回の訪問は昨年12月であった。中西先生の記事のごとく4月にも関わらず真冬の様相であったが、現地の仮設住宅の方々は(一見)元気そうで安堵した。

 ただ、1~2日だけの訪問では表面しか見えないので、現実のご苦労は察することができるものではないだろう。

 それにしても自治体・国の動きの遅さは目に余るというのが感想である。

 中西先生の記述にあった、懇談会で「仮設からの転出では社会的弱者が取り残される」と危惧されたのは、気仙沼市の小野道子民生委員であった。

 「神戸でも震災から20年近く経っても解決されていない問題がある。借上げ住宅追い出しなどが代表例。本当に困っている方々にお金がまわらずに多くの復興予算がハコモノに使われた」などと懇談した。

 そんな中すでに、東北メディカルメガバンク構想がスタートしている。

 神戸の医療産業都市構想と同じく、住民・被災者軽視の企画とならないことを祈るのみである。

ルポライター古川氏 取材同行レポート


震災復興と神戸医療産業都市構想に関して、フリーのルポライターである古川美穂氏から協会へ取材要請があり、4月6日に武村義人・川西敏雄両副理事長が対応した。翌7日、同氏の取材に同行した川西副理事長のレポートを掲載する。

 

神戸の医療産業都市構想と被災者救済

副理事長  川西 敏雄


 古川氏は雑誌『世界』への掲載原稿作成のため、神戸に取材に訪れた。テーマは「東北メディカル・メガバンク構想」であるとの由。過去の文献を照会したところ、同じような例は神戸の医療産業都市構想しかあがらなかったと来神された。前日の取材で、復興事業や医療産業都市構想の概要と問題点についての説明を受け、7日は市内関連施設を訪問した。

 訪問場所は、①ポートアイランドにある計11カ所の医療産業都市の関連施設、②新長田のアスタくにづか1~6号館、近隣の二葉町近辺の商店街、③西区の神戸テクノロジスティックパークである。

 ①ポートアイランドの医療産業都市の関連施設は、そもそも「阪神・淡路大震災からの復興のため」(ひょうご経済第63号、神戸市震災復興本部総括局 三木孝氏)と位置づけられたとされている。しかし、医療人の私にとっても、中で何をやっているのか全く分からない。一般の市民には、なおのこと分からないであろう。これらは被災者には全くといっていいほど関係がない形となっている。

 ②新長田訪問では、阪神・淡路大震災後再開発の対象とならなかった二葉町付近をまず歩いた。昔ながらの小さな商店が並び、古川氏は「本当に下町で、昭和の匂いがしますね」と言われていた。それに比して、アスタくにづかなど再開発で建設されたハコモノであるビル施設は「全く被災者の顔の見えない復旧復興」と感想を話されていた。

 ③西区の神戸テクノロジスティックパーク(旧・神戸複合産業団地)は武村副理事長の一押しの取材ポイント。広大な平地が存在するが、実はここの山を削った土砂が、ポートアイランドの埋め立てに使われた。

 古川氏は東日本大震災被災地でのギャンブル依存症の問題を取り上げた著書『ギャンブル大国ニッポン』(岩波ブックレット)も書かれており、生活保護受給者らを市民が監視するという小野市福祉給付制度適正化条例の成立についても憂いておられた。

また、古川氏からは、東日本大震災からいち早く立ち直ったという町・岩手県重江の話も伺った。復興成功へのヒントとしては、住民の自主性を尊重し方向性を決めそれを自治体・国が後押しするという図式が背景に感じられた。

 私自身、阪神・淡路大震災が直撃した地元・神戸に暮らしているが、ルポライターである古川氏の目を通してでなければ、今回のように客観的な視察ができなかったと思う。古川氏の言を借りると「復旧・復興に名を借りた“ショックドクトリン”的な被災者軽視の政策が浮かび上がる。今回の原稿に生かしたい」。

 神戸の医療産業都市構想は被災者のためにほとんど役に立っていない。借上げ住宅追い出しなどの事実は、東北メディカル・メガバンク構想の将来をうらなう一つの反面教師であろう。

 阪神・淡路大震災から抜け出せない人々を、兵庫県保険医協会は今なおサポートし続けている。

2013年2月10日日曜日

福島協会・大阪協会・兵庫協会・保団連らによる懇親会での酒井学福島協会理事長の挨拶

 住江・保団連会長、高本・大阪協会理事長、兵庫協会の皆様、福島にようこそおいで下さいました。ありがとうございます。これまで、物心両面にわたり多大なるご支援をいただき、福島協会を代表して感謝申し上げます。
 昨年11月11日に「ふくしま復興共同センター」と「原発をなくす全国連絡会」が呼びかけてカンパを募り、原発即時ゼロへ政府の決断を求める全面意見広告を朝日・毎日新聞と地元の2紙に掲載しました。保団連、全国の協会・医会の賛同・支援をいただきまして目標を達成することができ、今までの活動にも役立てることができます。原発なくせの県民の中に連帯と存在感が増したと実感しております。このことにも感謝と御礼を申し上げたいと思います。
 ニュースにもなっているように、危険な放射性物質に直接、接している作業員への支払いも不当な状態、そして一度除染しても、また線量が上がり、繰り返し除染が必要となるのが現状であります。意見広告呼びかけ主旨の一つは、福島の現状を告発すること、二つ目は、原発ゼロを求める全国の草の根運動と連帯することにあります。昨年9月の県議会では、福島第1・第2原発の計10基すべて廃炉の意見書が全会一致で採択されました。
 福島県知事・佐藤雄平氏は県議会で原発事故は「人災」であり「核燃料税廃止」を認めました。このことは、これからの賠償と除染に大きな意味をもつと思います。
 除染については、一度にとどまらず、繰り返し行わなければならず、なおかつ危険な作業を直接行っている作業員に対してのあのような賃金の支払い方であります。危険手当が1万円で残りが労賃。最低賃金をはるかに下回っています。
 今、福島県民は、健康被害・家庭崩壊、伝統的な文化と生活の破壊の中、不安と恐怖の中で日々を送っています。福島県内外に避難された人々は約15万5000人、震災での死者は3090人、関連死が1270人と、全体の41%を占め、増加傾向にあります。
 福島の原発事故は二度と起こしてはなりません。安倍首相は、原発再稼働や新建設を宣言しております。私たちは、安全宣言の撤回を求め、原発即時ゼロ実現をめざし、再生可能なエネルギーへの転換を求めるせめぎ合いの闘いをしなければなりません。このたびの視察で、福島の現状を見ていただき、今後の活動に役立てていただければ幸いです。
 「反原発」で共に頑張りましょう!

(2013年2月10日、ホテルサンルートプラザ福島にて)

2013年1月29日火曜日

現地レポート45 12/22~24被災地訪問参加記2

 12月22日から24日にかけて、伊賀幹二先生(西宮市・伊賀内科・循環器科)、川西敏雄先生、広川恵一先生(西宮市・広川内科クリニック)、協会事務局で被災地を訪問。現地の現況や、生活、医療の課題を地元協会の協力も得て伺った。参加した広川恵一先生からのレポートを紹介する。


2012年12月22日~24日 被災地訪問報告
広川 恵一


【今回の目的】
 ①県立陸前高田、大槌町の被災地の課題を青森協会のとりくみも含めてうかがう
 ②気仙沼での生活医療課題をボランティア医師・地元ボランティア・訪問看護師・民生委員から伺う
 ③気仙沼では宮城協会の参加を得て今後地元でのとりくみに役立つ機会としていただく
 ④南相馬市・大町病院での現在の医療課題を伺う
 ⑤阪神淡路大震災の記録の一部を持参して可能なものは役立てていただけるようにする
 ⑥これらを通して被災地医療への兵庫協会のかかわりを少しでも高める機会とする
 これまでも被災地の訪問では関係協会への事前の連絡・相談をさせてただいていて、今回は青森協会と宮城協会の協力・参加をいただいた。


【参加】 伊賀幹二、川西敏雄、広川恵一
     事務局:黒木直明、楠真次郎 (敬称略)


【行程】 
22日(土):伊丹(16:30)→花巻空港→(タクシー)→盛岡(19:00)
23日(日):盛岡(7:13)→(新幹線)→新花巻(7:28)→(タクシー)→釜石(9:10)/レンタカー
     →大槌町(9:30)・植田医院(10:00)→陸前高田市・県立高田病院(11:30)
     →気仙沼市・赤岩松沢仮設住宅(13:20~15:30)→仙台空港経由(18:30)
           →南相馬市・大町病院(20:30)
24日(月):南相馬市・原町(7:00)→(仙台代行バス)→仙台(9:00)(広川)


   
【内容】

22日(土):盛岡市
陸前高田病院院長・石木幹人先生、青森保険医協会・大竹進先生、事務局藤林渉氏と懇談

<出された意見>
①復興・医療状況
  旧病院跡地はじめ被災地の残骸の建て壊しが1月中の予定で始まった
 県立高田病院では41床の8割が稼働、多くは感染症の患者
 呼吸器疾患患者の受け入れとリハにも力を入れている
 大船渡病院(80床)が急性期・リハの対応を行い連携したとりくみをすすめている
 移転後の高田病院は、予測よりはマイナスだが経営的には成り立っている
 病院のリハスタッフは減って他の地域でも足りない
②医師不足について
 全国から医師が支援に来てもらっていてその継続が課題
 東北・被災地は医療過疎で例えば気仙沼には産科がなく看護師の確保も難しい
 陸前高田の住民はすべての診療科を求めて平成15年に病院縮小に反対する会ができた
 卒後研修の一環として研修医を現地に派遣して学んでもらうことは大切と考える
 被災地支援で開業医、ベテラン開業医が役割を果たせるようにしたいと考えている
 自治体でのコンビニ受診を控え医療守る市民条例が例があり(延岡市など)参考にしたい
③原発事故・原発建設への対応
 函館市の人たちと連絡を取りながら大間原発反対の取り組みを行っている
 同時に原発反対・原発賛成にかかわらず原発について考える会をすすめている
④被災地支援で漠然とした募金だけでなく目に見える募金活動が大切という意見の中で
 陸前高田では流出したこども達の図書館の再建に取り組んでいる紹介をいただいた
 具体的に今後の協力の一つとしたいことが話し合われた
⑤被災地での希望という話しの中で
 人間が生きていく上で希望が大切
 地元の餅屋さんが建物・道具流されてすっかり元気をなくしているところ
 地元の餅米と小豆と道具を用意してお客も待っている状態で餅をついてもらうとりくみ を行ったところとても元気になってくれた
 地域で医療をすすめる上でそのような視点・こころはとても大切
 (研修医にはそのマインドを学んでもらいたい)

23日(日)
植田俊郎を訪問(23日、大槌町の植田医院)
■大槌町

大槌町被災地訪問
街中は建物はおおむね解体撤去されて更地化
植田クリニック訪問し植田先生に当日の状況の映像での説明と現状と課題についてうかがう
いつもの快い受入れにしっかりと地域の医療を担い暖かい支えとなっているのを感じる







■陸前高田市


津波被害にあった旧高田病院。
取り壊しが作業が行われていた(23日、陸前高田市)
県立陸前高田仮設病院で石木先生に院内の説明と旧高田病院・被災地を案内を受ける
地盤沈下での浸水地域が広範に拡がり土嚢で臨時の堤防が作られている状態は変わらない
積み上げられてまだ残っている瓦礫が全体に雑草が覆われている 
旧高田病院の建物も取り壊しが始まっていて1月中には更地になる予定
水田の土の入れ替えが進み、来年には田植えが出来るようになる
稲は塩分には意外と強いが土にガラス片が混じっていたため今年は使えなかった
 

仮設の高田病院前にて(同上)

避難されほとんどの方が亡くなった市民体育館や陸前高田駅前のロータリー跡地案内を受ける
今回案内していただいたことで駅が高田病院のすぐ近くにあったことが初めてわかった











■気仙沼
山梨市立牧丘病院・古屋聡院長、菊池優子訪問看護師(一人訪問看護ステーション)、地元の村上充ボランティア、小野道子民生委員、宮城協会・井上博之副理事長、鈴木和彦事務局長と懇談

<出された意見>
①ボランティア医師
 当仮設には隔週で横浜市からの岩井亮医師がボランティアで医師会の承諾を得て整形疾患の治療をされ湿布処置や風邪などでは3日分程度の投薬もされている。古屋先生は本吉病院の非常勤職員の立場で地元医療に協力・参加。山梨から車で7時間かけて(このたびは笹子トンネル事故で列車で)隔週に訪問されている。
②ボランティア活動
 ボランティアなどの中で健康問題をとりあげてくれる方が少ないのが問題。被災者のニーズの量がどれくらいのものかを見極めコーディネートするボランティアが少ない。仮設住宅での医療支援は普段の主治医との関係の調整が大事。
③地域の医療状況
人口7万の気仙沼市内で積極的に訪問診療をされている医師は1名。訪問リハもは1月前まではPTが1人しかいなかったが現在は3人。気仙沼市内に耳鼻咽喉科、皮膚科の開業医ない。気仙沼市は震災前から医療機関の数が全国平均の半分で震災後減少してさらに深刻な状態となっている。
④仮設での生活環境
 当仮設は独居、高齢者が多く市中から離れていて、通院・買い物に不便で週1回移動支援のボランティアの方に来てもらっている。
 仮設住宅は岩手県では寒冷地仕様であるが宮城県は普通仕様。気仙沼市は宮城県の北端で、昨冬に零下15℃まで気温が下がり水道・トイレ自体の凍結・破損が相次いだ。修理に係る必要は全て個人持ちになっている。結露のためにカビにも悩まされている。気仙沼は「陸の孤島」という気持ちになる。
 仮設入居者に心療内科に受診している人が増え自殺者も増えつつあるという。在宅酸素
療法を受けている呼吸器疾患のひともメンタルケアがとても重要であるとわかる。
被災のレベルが人それぞれ違い、仮設住民の間での温度差がでてきている。発災から1年9カ月たち、家族を亡くされたことなどストレスがたまり精神的につらくなっている人が多い。自殺者が出ている。
⑤一人訪問看護ステーション
 一人訪問看護ステーションは市の認可(菊地看護師は一関市での認可)のため、一関市内の仮設には2000人が居住しているが、一関市民ではないため訪問看護の対象にならない。一関市に住民票を移すと気仙沼市からの情報が届かなくなるため移せないという問題がある。しかも一人訪問看護ステーションは被災地特例措置で来年4月以降継続出来るかどうか未定。また、訪問看護に行けるのは要介護1~5までの利用者で医療保険での訪問看護は出来ないという制限がある。
⑥インフルエンザ予防接種
 市内の仮設住宅入居者を対象にインフルエンザの予防接種が一斉に出来ればよいが実施できず接種率が悪い(市から離れた場所にある当仮設では接種率が高かった)。
⑦宮城協会では仮設住宅入居者を対象に一部負担金免除に関するアンケートと負担金免除のためのとりくみを行っており1月には記者発表の予定にしている。宮城協会のアンケートに、当仮設でも協力いただいて被災地域の一つの連絡先としていただく。今後の関係をつづけてもらう。
⑧今後の課題
 来年3月末で、一部負担金免除が打ち切られると、現在受診している人が受診出来なくなることで、さらに状態の悪化が懸念される。心療内科にかかる患者が増えているなか患者負担が3割になれば、受診が抑制されてしまう。今は戦後よりひどい。土地もお金も仕事も家もすべて失った人が多く、医療費免除が終わりさらに消費税もあがると被災者は大変で自殺者増えることが予想される。

■南相馬・大町病院

大町病院の猪又義光院長、藤原珠世看護部長、
生田チサト看護師らと(23日、南相馬市)
猪又義光院長、藤原珠世看護部長、生田チサト看護師と懇談

<出された意見> 
①医療体制
 全国からの協力の位置づけを深めることや医療機関の質向上目的に外部研修のとりくみがすすんでいる。看護師がいなければ医療ができない。看護師に来てもらうには住居を確保することが重要。それを踏まえて看護師確保に努力してきたが、現在はあわせて医師確保に力を入れている。交通手段の確保も重要で、空路、新幹線のいずれかを選択してもらい送迎もしていることで安心感を持って来てもらえるよう配慮を行っている。このたびは21歳の救命救急士がボランティアで病院に来てもらえる。救急搬送に大きな力になりありがたい。救急車の乗務を考えている。
 当日は猪又先生は当直中で前日より2人の緊急入院があったとのこと。
②被災地の状況
 発災後、警察に引っ張られてもいい覚悟で、大胆に判断した。被災者はいつまでたっても仮設住宅入居のままでは復興にスピード感がない。迅速さが必要。いま医療費の免除措置が継続するのかどうかが大きな問題。安心して医療を受ける保障が必要。被災者は1年9カ月たち疲れがどっときている。元気になるまで、医療支援が不可欠。
③今後の課題
 全国からの参加を適切に受け入れていくことと看護の質的向上に力を入れること、医師確保をすすめることと窓口負担の署名を再開すること。


【その後】
植田先生より
「・・ 岩手、宮城の沿岸部は医療過疎地です。なかなか解消できない古くからの問題です。医師の適正配置を抜本的に考え直さなければ・・・来年度は復旧から新生へと踏み出す時期だと考えています・・」
石木先生より
「・・遠いところありがとうございました。先生たちと話していると、しぼみそうなやる気に火がつけられます。子供の図書館の件は、主催者が動き始めています。近いうちに実現に向けた動きが出てくるはずです。これも先日の話の結果です・・」
村上ボランティアより
「・・今、私たちは、何も立ちゆかない状況にあります。そして私自身、被災地で暮ら
す同郷の身として、何ができるのか暗中模索の日々でございますが、・・私がしなければいけないことを、これからも追い求めていく所存でございます・・」
 とそれぞれお便りをいただきました。励まされるのはむしろこちら側で、毎日の仕事に・被災地のとりくみ少しでも関わらせていただきたいと思います。
 「東日本大震災被災者並びに福島原発被災者の医療費負担免除を復興終了まで延長し、対象を抜本的に拡大すること」(兵庫県保険医協会・第948回理事会声明)のとりくみを全国の連携の中ですすめていきたいと思います。


【おわりに】
 このたびはご多忙の中にも関わらず青森協会・宮城協会からのあたたかい協力をいただくことができた。この場を借りて感謝申し上げます。被災地の訪問は地元のとりくみによって支えられることから、できるだけ各協会への事前の連絡・相談をさせていただいており、無理のないところでの参加・協力・交流(医療企画・文化交流の企画含めて)をお願いしています。今後とも被災地協会からの支え・ご尽力をいただきたく思っています。
 このたびの訪問で、被災地の訪問活動をより多くの人たちで継続していくこと、地元医療機関と協力して医療支援を様々な形で継続していくこと、阪神淡路大震災の経験も共有して仮設住宅を内外の人々の交流・文化的なとりくみやと情報の豊かな場所として人々の生活再建の場にしていくことの必要などを感じた。医療・福祉の現場は待ったなしである。被災地の医療費負担減免や被災地特例一人訪問看護ステーションなど地域に求められるいのちと暮らしに関わる制度は地域の実際・ニーズをもとに守られるべきであり、さらに必要なものは迅速に大胆に形作られ実行していくことが大切で、そのための住民・医療関係者の今後のいっそうの連携ととりくみの大切さを感じた。
 今回のメンバーは5名。伊賀先生、川西先生とは移動の車中、被災地のことをはじめ日々の問題、政治や経済、TPPについても大いに話し合うことができ、印象的な被災地の訪問をさせていただくことができた。事務局の黒木さんは事前手配はじめ十分な段取りをおこなってもらい、楠さんには時間通りの安全で運行を行ってもらえた。お互いの気持ちが通いあわせられた中での訪問となった。
 今回の訪問でも被災地にとりくむ方々と個人的にも思いを通わさせていただくことができた。また地域の医療の灯台としての医療を担う人たちのこころざしと誇りをこのたびも胸に深く刻ませていただくことができた。
 今後とも被災地の方々に思いを深くして、①受け入れていただく、②学ばせていただく
 ③関わらせていただく、この気持ち・姿勢で今後とも訪問させていただきたい。


【そのほか】
 2月9(土)-11日(月・休)に個人で気仙沼を中心に被災地訪問させていただきます。その中で、阪神淡路大震災・旧名塩仮設の自治会長と相談・協力を得て3年半にわたる名塩仮設住宅の記録のスライド上映を仮設住宅でさせていただくこと、文化企画の相談・打ち合わせなど予定しています。

現地レポート44 12/22~24被災地訪問参加記1

 昨年12月22日から24日にかけて、協会の川西敏雄副理事長、広川恵一理事、伊賀幹二理事らが岩手、宮城、福島の被災3県を訪問した。22日は岩手県立高田病院の石木幹人院長、被災地支援に取り組み続けている青森県保険医協会の大竹進会長らと懇談。被災した高田病院の現状と、青森協会の大間原発建設反対への取り組みなどを交流した。23日は岩手県大槌町の植田医院、県立高田病院、宮城県気仙沼市の赤岩牧沢テニスコート仮設住宅、福島県南相馬市の大町病院を訪問。現地で奮闘する医療関係者やボランティアらから話をうかがった。伊賀理事と川西副理事長のレポートを掲載する。

参加記(1) 自分の目で確かめた被災地の現状
西宮市  伊賀 幹二

 3・11原発事故後の福島の状態を新聞やテレビで見聞きすることは多い。原子力問題を考えると、どうしても福島やその他の被災地の状況がどうであるかをこの目で見たいと思うようになった。
 私の関与するメーリングリストなどでいろいろと知り合いのつてをさぐった。しかし、土地勘がない私が一人で福島に行っても「広すぎて何もわからない」のでは、との否定的な意見を多くいただいた。どうしようかと思案しているときに、保険医協会が震災地を訪問する計画があることを知った。福島限定ではなかったが、「渡りに船」とはこのことですぐにお願いした。テレビでみたあの風景は、自分の目で見ればどんなだろうか? 実際に見てみるとどんなことを感じるだろうか?
 12月22日夕方に伊丹空港から花巻空港へ、翌日は車で釜石市、大槌町を通って、陸前高田市、気仙沼市を訪れた。気仙沼では仮設住宅をケアしている人たちと懇談し、5人のメンバーのうち私は、23日の夜に西宮に帰った。

岩手県立高田病院の石木幹人院長(右2人目)、
青森協会の大竹進会長(同3人目)らと懇談(22日、盛岡市内)

 22日の夜には青森協会の大竹会長と、被災した県立高田病院の石木院長と会談した。津波の当日、高田病院が孤立したのはテレビで知っていた。しかし、実際にそれを体験した人から、当時の話をうかがい、また翌日に現場を見せていただいて、テレビとはまったく違ったものを感じた。
 被災直後、病院は多くのボランティアを受け入れた。いや、彼らに来てもらわなければ病院運営はできなかったという方が正確かもしれない。しかし、ボランティアに来られたほとんどの人は、いろいろなことを教わり何物にも代えがたい貴重な経験をさせてもらったと言われ、一方、ボランティアを受け入れた病院側の人たちも、ボランティアの方から学べたことも多かったとのことであった。彼らとの懇談の中で、卒後の地域医療研修枠として被災地の地域医療研修を1カ月義務にすべきではないかという話におよんだ。
 翌日に、すべてが破壊された町を見ると、石木先生の、被災地の人はまったく希望を持てなくなっているという話も納得できた。コンクリートの基礎のみ残している広大な古代遺跡のようにみえた。例外的に残っていた鉄筋コンクリートの建物でも、1〜2階は完全に破壊されていた。訪問した町はすべて同様であり、例外なく破壊されたことを理解できた。涙が出そうになった。
 地元で餅を作っていた両親が津波で死亡された後に、その娘さんに「がんばってまた作れ」といってもできない。餅米を、餅つき道具を準備して、そしてお客さんを紹介して初めて一歩前に進める。希望をどうやって持ってもらうかという話もあった。
 広々とした土地をどう再生させるかはリーダーシップを持った行政の青写真なしには不可能である。私たちは、日本人として、同じ人間として、東北の状況を自分の目で見たり、東北の産業の顧客になることで彼らの背中を少しは押せるかもしれない。
 西宮に帰ってからテレビで放送されている東北の番組に、訪問する前とまったく違った感情を持って見ている自分に気がついた。



参加記(2) 仮設所から垣間見える日本福祉の未成熟
中央区・歯科  川西 敏雄


 3日間の詳細は伊賀理事の記事に委ね、このレポートは2点に絞り込みます。

(1)赤岩牧沢市営テニスコート仮設住宅(宮城県気仙沼)

赤岩牧沢テニスコート仮設住宅で古屋聡先生や
ボランティアの人たちと懇談(23日、気仙沼市内)
気仙沼市自体が、過去から地域的に岩手県と宮城県との行政の狭間にあったという経緯が、今回の訪問で判明した。同行した井上博之宮城県保険医協会副会長ですら数十年ぶりの訪問であることから、ご本人も地元ながら認識を新たにされていた。その流れの中で、当仮設住宅も自治体の狭間での苦労を味わっていた。
 当日の施設側のメンバーは、ボランティアの村上充氏、住民で民生委員をつとめる小野道子氏、訪問看護師の菊池優子氏、山梨市立牧丘病院院長の古屋聡先生。
 特に民生・児童委員である小野氏は、せきを切ったように現状を語られた。仮設建屋自体が寒冷地用でなく、結露のため室内はカビだらけであり、同じく便器も水道管も寒さ(マイナス15℃になる時もあるとか)で破損し、おまけにその修理費は自腹であること。高齢者が多く亡くなった際に身寄りがないため、葬祭費など委員が自費負担しており、自分も年金生活でさすがに金銭的にはもたないこと。精神的な安心が欲しい...などなど。
 以上のような窮状を救うのが自治体であり国の責務であるが、今日までも住民のためという立場で動いているとはいえなかった国の福祉行政の問題が、ここに凝縮していると感じられた。

(2)福島第一原子力発電所帰還困難区域

 去年(12年)4月、同発電所災害対策本部は汚染地区を3区域に見直した。今回は旧警戒区域20㎞付近の地域、特に浪江町の海岸線を中心に訪問した。
 道路の整備・がれきの処理・破損した防波堤の仮修復など最低限の対応はされていたが、多くの家屋が全壊・半壊のまま放置され、復旧すらままならない状態であった。
 しかし同地区での空気線量は0・1μシーベルト毎時と決して異常に高いわけでなく、放射能汚染の複雑さ、そしてその対策の難しさを改めて認識できた。

まとめ

 「被災者はその地域での対応を、自分たちで考えることが筋である」という考え方はあるが、兵庫県保険医協会は東日本大震災発生以降、迅速かつ強力に今日まで支援活動を続けてきた。協会第948回理事会(2011年12月2日)は、「東日本大震災被災者並びに福島原発被災者の医療費負担免除を復興終了まで延長し、対象を抜本的に拡大すること」という理事会声明を発している。
 今回、広川団長は、地元・宮城協会の井上副会長に同行いただくという卓抜したアイディアを用意していた。ボランティアに手慣れておられ、さすがと感心させられた。
 最後に南相馬市大町病院・猪俣義光院長の言でまとめる。
 〝政治よ もっと迅速にもっと大胆に〟