2013年8月25日日曜日

被災者の生活再建すすまず 被災地の看護師・民生委員に現状をきく

 

仮設住宅暮らしのつづく住民の苦しみが切々と語られた
 
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 東日本大震災から2年半。協会は8月3日に、被災地の現状を考える企画を県農業会館で実施。訪問看護師らが仮設住宅での暮らしが続き今後の展望が開けずに苦しむ被災者の姿を語り、生活再建が全く進んでいない被災地の現状が浮き彫りとなった。
 
 
 

 本企画は、日常診療経験交流会プレ企画「東日本大震災--いま、被災地の課題」で、岩手県一関市の菊地優子看護師と宮城県気仙沼市の民生・児童委員である小野道子氏を招いて開かれ、32人が参加した。
 菊地氏は、被災地特例措置として認められた「一人訪問看護ステーション」を震災直後に立ち上げ、仮設住宅居住者などの医療・看護支援を続けてきた経験を語り、小野氏は、自身も被災し仮設住宅に居住しながら、民生委員として毎日、仮設住宅を訪問し行っている相談活動を紹介した。
 両氏は、報道などでは復興が強調されているものの、津波で住居を奪われた被災者は、高台の土地が高騰し仮設住宅から出て行けず追い詰められ、精神疾患や自殺が増えており、復興からほど遠いと語った。
 医療体制では、医師不足が深刻であること、宮城県では被災者の医療費窓口負担免除措置が3月末で打ち切られたことで、入院費が払えず仮設に戻ってくるなど、被災者に負担がのしかかっていることなどが紹介された。
 
被災地コンサート音楽でやすらぎを

 協会は7月13〜15日に被災地コンサートと生活と健康を語る会を、福島県南相馬市、岩手県一関市、陸前高田市、宮城県気仙沼市の仮設住宅など6カ所で開催した。民族音楽家のロビン・ロイド氏による演奏が行われ、仮設住宅居住者らが参加した。
 協会からは川西敏雄副理事長、広川恵一理事、滝本桂子・長光由紀薬科部世話人が参加した。南相馬市・大町病院では猪又義光院長らとの懇談も行った。
 
首相に抗議声明 〝復興予算流用やめ医療費免除復活を〟

 協会理事会は7月27日、「東日本大震災被災者の医療費免除復活を求める声明」を採択し、安倍首相に送付した。復興予算が、自衛隊輸送機購入費、ベトナムへの原発輸出の調査委託費など、被災者支援とは関係のない事業に使われていることが次々と明らかになるなかで、あらためて被災者のための復興予算の実行を求めたもの。
 「流用」された総額は2兆円に達するとの報道を紹介し、被災地の医療費負担免除措置に要する予算は350億円、保険料減免とあわせれば1142億円であるとして、被災者の医療費負担免除措置の復活を強く求めている。
〈菊地看護師からのメール〉でっかい防波堤よりちっちゃくても自分の家を
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被災者の実態を語る
菊地看護師(左)と小野氏
 今般は、本当にありがとうございました。言い残した一部を列記させていただきます。
 震災当初から、国や周囲の皆様の恩恵をたくさんいただいてきた負い目。同じ被災者や周囲から、天災じゃないかと言われればそれまで。「2・5年間も助けられてきたじゃないか、これからは自立を考え
よ」。確かにそう...もう何も言えません。
 しかし現実は復興どころか復旧すら全く進んでいません。当初は周囲がマスコミが騒ぎました。今はそれも激減し、まさに見捨てられたゴーストタウンです。
 外出も減り、3畳と4畳半の部屋に閉じこもる生活が増え、孤独死が目立ちます。市では内密に処理し突然死と報告され、本当の病名は分かりません。確かに食生活の乱れによる脳梗塞・心筋梗塞もあるかもしれませんが、それはほんの一部で、8割以上が絶望による自殺と震災関連死だと聞いています。
 精神科に通院している患者さんも自己負担(3割)が大きく、通院を止め薬も止めてしまっている状況です。今後、ますます精神状態が不安定になることを予測し、民生委員の小野道子さんは、腰痛を我慢しながら、心配な人の部屋を回って歩いています。せめて自分の担当仮設から自殺者を出したくない一心で、見守りをしています。
 復興税が成立しましたが、どこに何に使われるのか? 優先順位は? 皆目検討が付きません。
 宮城県は、被災3県で1県だけ、医療費の自己負担免除措置を3月で打ち切りました。村井知事には、たかが1割かも知れません。
 しかし、「一人暮らしの要介護3(歩行障害)の被災者は、ヘルパー訪問の回数を減らし、高価なデイサービスはもちろん使えず、自力でお風呂に入ろうと転倒(仮設の風呂場には15㎝以上の段差)。頭部外傷を負い縫合処置を施行。入院を勧められたが入院費が払えず、仕方なく仮設に戻り、民生委員のお世話をいただきながら生活している。微々たる年金のために生活保護にもなれない」...これは、ほんの一例です。
 どんなサービスにも自己負担がつきまとい、国が掲げる衣食住という最低生活の社会保障は表向きだけ。やむなく住所を岩手に移す住民もいます。
 現状を知事は知っているのでしょうか? 震災から立ち直ったかのような力強い報道を流しテレビでかっこいいことばかり取り上げ、まるで北朝鮮のよう...。そのギャップが被災者・弱者をますます萎縮させ、本音を言えない環境にしてしまっています。
 でっかい防波堤より、ちっちゃくてもいいから、でっかい屁もたれる自分の安住の家が欲しい。それが被災者の本音なんです。
 今、被災者を支えているのは、国や政治家より、隣人とボランティアの支えです。漁業・観光で生活してきた人たちの自然を破壊し、コンクリートで埋め尽くそうとしている国の方針に、弱者は「未来も夢もなくなった。生きてても周りに迷惑かけるだけ」と悲壮な考えになってきています。
 それを捨て身で食い止めようとがんばり続けているキーパーソンが、高齢の小野さんであることは地域住民が周知しています。だからわれわれ医療支援団は彼女らに引きつけられ気仙沼に行くんです。決して中断できない。
 これからまた、長い長い寒い冬が到来します。仮設の冬は地獄です。
 今回の旅は、頑張り屋の小野さんへの大きなプレゼントでした。彼女の張りつめていた全身の糸が切れました。今まで涙ひとつ見せたことがない彼女の大粒の涙が全てを物語っていました。
 今回の全てが満足です。本当にありがとうございました。
菊地 優子

現地レポート47 7/13~15被災地訪問参加記

7月1315日に協会が実施した被災地訪問の参加記を掲載する。

まだまだできることがある

尼崎市・薬剤師 滝本 桂子

 

 最初の訪問先・大町病院では、猪又義光院長はじめ昨年の日常診プレ企画にも参加いただいた藤原珠世看護部長が業務の忙しい合間をぬって、病院の一室を手作りのコンサート会場にして迎えてくださった。私も、ロビンさんの演奏は初めてで民族音楽についてもほとんど知識のない中で興味津々だったが、まさにカルチャーショック!アフリカから南米、ヨーロッパ、世界中の手作りの民族楽器が奏でる音楽が聴衆の患者さんや病院で働く人たちの心の奥深く届く様子を目の当たりにし感動した。

2日目は、仮設住宅を回った。一関市千厩町では予定していた仮設住宅の集会場が参院選のため使えず急きょ「酒のくら交流施設」を使用することになった。

次の訪問地は、気仙沼市・五右衛門ヶ原運動場住宅。ここには宮城県保険医協会井上博之副理事長が参加され、被災地での医療の現状、特に3月で打ち切られた宮城県での医療費窓口負担免除の復活を求める運動について訴えがあった。

ロビンさんの演奏が始まると、不思議な形の不思議な音のする楽器に皆目を丸くし、彼の静かだけれどユーモアに富んだ語り口に引き込まれ、リラックスしていく様子がわかった。訪問看護師の菊地優子さんが同行してくださっていて、最後は彼女が率先して音頭をとって、炭坑節の演奏に合わせて盆踊りの輪が広がった。

2日目最後の訪問は、赤岩牧沢市営テニスコート住宅。後日、兵庫協会で被災地の課題を報告してくださった民生委員の小野道子さんの出迎えを受け、時間が経つにつれて仮設には高齢者、障害者といった社会的弱者が取り残されている現状についてお聞きしました。

3日目は、陸前高田市に向かった。テレビの映像は幾度となく見ていましたが、広大な土地が更地となり、今も取り壊さずに残る建物もある現状に言葉を失った。

「朝日のあたる家」は、その陸前高田市の小高い丘の上に建てられたコニュニティハウス。NPO法人福祉フォーラム東北の運営で、東京から来られた江連素実さんを館長に、4人がスタッフとして携わっておられた。ここを拠点に、コンサート、健康相談、食事会、体操教室、手芸教室と幅広い活動が続けられている。天然木の温もりのある心地よい空間のホールで、私たちは「健康相談と薬の話」をさせていただいた。

最後の訪問となったのは、こども図書館「ちいさいおうち」。ここには2年前の日常診でご講演いただいた県立高田病院前院長の石木幹人先生が来てくださった。

うれし野こども図書室高橋美和子理事長の絵本「アフリカの音」の読み聞かせとコラボで行ったロビンさんの演奏は、わずかな打ち合わせだけで即興だったにもかかわらず圧巻だった。図書館の関係者からは再演の申し出を受けた。私もその実現のための協力が出来ればいいなと思っている。

安全運転で長時間の移動を支え、企画を調整してくださった事務局の方々、何よりこのような機会を与えて下さった先生方に心よりお礼を申し上げます。

 

復興遅々として進まず 神戸から訪問続けたい

伊丹市・薬剤師  長光 由紀

 

被災より2年4カ月。福島県南相馬市、岩手県一関市、気仙沼市、陸前高田市を訪問した。メンバーはロビン・ロイドさん(民族音楽演奏家)、川西副理事長、広川理事、滝本薬科部代表、事務局2人と私の7人。13日午後、仙台空港到着、前線の影響から天候は悪く気温23度で伊丹とは10度も違う状況だった。

 初日は南相馬市大町病院。昨年日常診プレ企画講師として招いた藤原看護部長とスタッフに出迎えられ、猪又院長も演奏会に参加。院内患者やスタッフも含め、多くの参加者でロビン・ロイドさんと「七夕」などを演奏、参加者も楽器を演奏する形式で大変好評だった。

その夜、病院と関係のある地元建設会社・石川社長の話を伺った。原発被災時、防護服着用で立入禁止区域の作業をしたのは地域建設会社と自衛隊で、東京電力からは動きがなかったこと、社宅を高台に作り津波被害は受けていないことなど、原発立地に至った歴史、地域の江戸時代(大変な飢饉にみまわれた)からの状況など話は尽きなかった。特に「福島原発は東京電力のもの。東北のために全く使われず、こういう被害だけを受けたことは許せない」という言葉は胸に突き刺さった。

 2日目一関市千厩町。酒のくら交流施設は元酒蔵で涼しく、音がよく響く。仮設から離れていて参加者が少なく残念だったが、健康アドバイスの時間をもてた。被災後一人訪問看護師として活躍した菊池優子さんと合流。地域が広いため現在仕事は直行直帰とし、訪問スタッフが地域貢献をしているとのこと。午後は2カ所訪問。五右衛門ヶ原運動場住宅、赤岩牧沢市営テニスコート住宅へ。ほとんど高齢者が多く、震災による心の傷を少し発散された。津波で全てを失った民生委員・小野道子さんのリーダー力と人柄が大きいと感じた。宮城協会の井上博之副理事長も参加された。

 3日目陸前高田市。「朝日のあたる家」は東京、四国から震災後移住された館長江連(えづれ)館長、心の相談員行本さんがカフェや予約制の風呂を行う。山の緑が借景の小ホールで演奏会等を開催。早朝だったが参加者と薬相談をも気軽な形式でできた。高田病院・石木前院長も参加されたこども図書館「ちいさいおうち」では盛岡からの髙橋理事長、スタッフと共に絵本の読み聞かせとアフリカの音を味わうという贅沢な時間を持てた。

 今回の訪問で地震、津波で、家族を、家を、職場を、町を、地域全体を失い、山あいの仮設住宅に住んでおられる方々がまだまだ多く、海辺の地域の復興は遅々として進んでいないことを再確認した。医療においても特例として認められていたことが次々と解除され、被災された方々を更に苦しませる状況となっている。そして今後も心を生活を支えていかなければと感じた。