2014年9月25日木曜日

避難者健診 参加記

1762_4.jpg
1762_5.jpg
原発事故による県内避難者を診察する森達哉先生(上)、脇野耕一理事(下)
 東日本大震災・福島第一原発事故避難者に対する「第3回避難者健診」が8月3日、宝塚市・良元診療所で行われた。兵庫県民主医療機関連合会(兵庫民医連)の主催で、協会の池内春樹理事長、脇野耕一理事らが診察し、健康への不安や悩みを聞いた。小児科の診察を行った尼崎医療生協病院の森達哉先生の感想を掲載する。

健康への大きな不安に寄り添いたい

 今回、第3回兵庫民医連避難者健診に参加しましたので、ご報告いたします。受診者は37人、うち小児19人でした。
 私は小児の診察を担当しましたが、やはり保護者の皆さんの健康に対する不安は大きく、「甲状腺が心配」「鼻血は放射線の影響だったのか」「放射線が1番強かった日に、何も知らずに公園で遊ばせてしまったことを後悔している」などの声が聞かれました。
 幸い、大きく体調を崩している児は見かけませんでしたが、倦怠感を訴える児もおり、また全体的にTSH(甲状腺刺激ホルモン)、FT4(遊離サイロキシン)など、甲状腺関連の検査値が各年齢の基準値を超えており、専門病院受診を勧めたケースが、過去の2回よりも多かった印象です。
 甲状腺エコーでは数例に径5㎜以内の嚢胞が見られましたが、正常な頻度なのかは不明です。
 放射線の身体への影響については、現状では「根拠に乏しく、まだはっきりとは分かっていない」と言うしかない段階なのですが、実際に不安に思っていらっしゃる避難者さんたちを目の当たりにすると、そのことがとても歯がゆく、早くデータを集めて結果を出したいという焦燥感に駆られます。
 この健診活動が、避難者の皆さんの身体と心の支えに、そして人類全体の学びの一助になればと心から願います。
【尼崎市 森  達哉】

2014年9月12日金曜日

被災地訪問・インタビュー

 東日本大震災後、一般社団法人「震災こころのケア・ネットワークみやぎ」は、被災者のこころのケアを目的に設立され、宮城県・石巻市を中心に、多彩な精神保健活動を行っている。拠点となる「からころステーション」代表理事の原敬造先生(仙台市開業)を、加藤擁一副理事長、白岩一心理事が訪ね、お話を伺った。

被災者のこころとからだに寄り添って
石巻市・からころステーション 原 敬造 先生に聞く

【はら けいぞう】1949年北海道生まれ。1978年東北大学医学部卒業、同大精神神経科勤務、79年大原総合病院清水病院勤務などを経て、88年9月仙台市青葉区に原クリニック開院。日本精神神経科診療所協会理事、宮城県精神保健福祉協会理事、震災こころのケア・ネットワークみやぎ代表理事、日本デイケア学会副理事長










  
聞き手 白岩 一心 理事
白岩 先生は仙台市で開業されて、継続的に石巻で精神保健活動に取り組んでおられます。震災後の様子などからお聞かせいただけますか。

  震災後初めて石巻市に来た時、以前住んだことのある街の変わり果てた様子に言葉を失いました。震災初期の対応は、仙台から石巻へ物資を届けることからはじめました。被災者の方の話を聞きながら「眠れていますか」と声をかけたり、支援物資の一覧を見せて必要なものを選んでもらったりしました。精神科医仲間の宮城秀晃先生(石巻市・宮城クリニック)が、医院の1階が半分ほど水没したにもかかわらず、避難所になっている近くの小学校で医療活動を展開していました。こうした現状に触れ、石巻市で心のケア活動を行うことを決意しました。あれだけの災害を受けたのですから、長期的な支援体制に基づく「安心と寄り添い」が、何よりも求められています。

聞き手 加藤 擁一 副理事長
加藤 石巻には震災直後に来ましたが、非常に無残な印象で衝撃を受けたことを思い出します。からころステーションが今の活動の拠点となっているのですね。

 原 ええ。長期にわたる活動に備え、宮城先生たちと「一般社団法人・震災こころのケアネットワークみやぎ」を設立しました。2011年9月に石巻市のふれあいサポート事業を受託して、からだと心のケアを意味する「からころステーション」を活動拠点として立ち上げました。ここでは震災をきっかけにして起こる不安や不眠、食欲不振、過度の飲酒やギャンブルなど、心の健康問題に取り組んでいます。訪問活動を軸に、電話相談、来所相談、カフェ活動、心の健康相談会の開催などが主な活動です。

本人の「気づき」を促す支援

 白岩 具体的にはどのような活動を展開しておられるのですか。

  主に仮設住宅の居住者などを対象とした心の相談活動を、電話、来所を通じて行っています。またハローワークでの相談活動や、乳幼児検診を受けに来た母親を対象に心理士を派遣するなど、不安を抱えた人が集まる場所を意識しています。状況を把握し、医師につなぐ体制が非常に重要になってきます。医師による支援者の研修等も行い、サポートする側の体制もより充実するように努めています。従来存在していた地域社会のつながりが絶たれたなかで、いわゆるオフィスベースの「待ち」の支援では、地域・世帯に潜む課題を発見することはこれまで以上に困難と予想されます。専門職による「積極的に働きかける支援(アウトリーチ型)」を行う必要性は一層高いといえます。
 複数回の全戸調査などを実施し積極的に家庭に出向く中から、ようやく隠されていたニーズが掘り起こされることは、これまでの震災における支援でも経験済みです。
 「こころの健康相談」などの名称で正攻法の相談会などを実施しても、地域で埋もれがちな小さなニーズは見えにくいため、健康診断や各種講座・イベントなど多角的で多様な支援・取り組みを実施しています。避難所から仮設住宅、復興住宅へと住まいが変化する中においても、この方針は一貫して継続すべきと考えます。

 加藤 震災から3年が経過し、被災者の方には様々な症状が出ているのではないでしょうか。

  ええ。不眠、不安、無気力、抑うつ、イライラなどがありますが、当初の地震のショックや余震などの不安から、今後の生活の不安を原因とするものにシフトしています。また、もともと痴呆で徘徊をしていた人などが、震災前は軽度だったのが重度化した例も見られます。これは激しい環境の変化がもたらしたものでもあります。
 特に単身の中高年男性が問題を抱えていることが多く、しかも危機的状況でないとSOSを出さない。こうした人たちに対応するために「おじころ」という男性のサロンをつくっています。独居でアルコール問題を抱えている人が基本です。この方々とは、ここの決まり事である「飲まない、賭けない、迷惑かけない」の3つをもとに契約を交わします。今では、この取り組みを人づてで聞いたりして、問題を抱えた人を連れて来てくれる人もいます。基本的にはまず、話を伺って、病気だけでなく、孤独や失職など、その人の抱える問題を広く捉えるようにしています。現在、100人くらいを継続的にフォローしています。毎週日曜日の11時から15時までステーションに集まり、 麻雀や将棋、スポーツ や料理などに皆で取り組み、コミュニケーションを図っています。
 当然、この場から離れると再飲酒を繰り返す人もいますが、一つのモチベーションとして、一定の問題軽減につながっています。こちらからは「アルコールはだめ」と強くは打ち出しません。なぜなら、否認されると、そこで止まってしまうからです。つまり、相談の際、「飲むな」とか「やめなさい」といきなり言うのではなく、一緒に係わりながら本人の「気づき」を促して行く方法で取り組んでいます。
 ステーションは子どもの遊び場としても機能させていますし、科学実験と心のケアの融合や、講演会、コンサートなど多彩な催しも行っています。


心配な生活再建の個人差

 白岩 被災地では、仮設住宅から復興住宅への移住がなかなか進まないと聞きます。

  ええ。復興住宅は必要個数を建設中で来年度末までが目標ですが、とても間に合わない様子です。仙台等に移住した人も多く、石巻は人口16万が15万に、女川は9千が7千弱にそれぞれ減少しています。今後は遅れても復興住宅への移住が進むでしょうが、心配なのは、状況がより捉えづらくなることです。現在私どもでフォローできている人はいいのですが、仮設住宅よりも閉ざされた空間に移ることで、症状を持った人が潜在化することを危惧します。仮設住宅は安普請で、周りの騒音が気になるなどの問題はありますが、逆に他人が生活していることも実感でき、安心につながる面もあります。

 加藤 兵庫の震災後の対応でも、同じ問題がありました。

  そう聞いています。復興住宅はマンション形式のため、どうしても働きかけが困難になり、阪神・淡路大震災で起こった孤独死などが再現される可能性が高いことを危惧しています。阪神・淡路では、復興住宅できた後に、いったん閉じた心のケアセンターを再開しました。その教訓から、幸い石巻では継続して把握する体制がとれていますが、背景としては同じ問題を抱えていると言わざるを得ません。また、住宅を再建して仮設住宅を出て行く人を送り出す側は「取り残され感」を覚え、今まで症状を訴えていなかった人が抑うつを訴えることも危惧されます。

 加藤 再建の度合いの格差が、大きな心の負担になるのですね。兵庫でも、とりわけ3年目を過ぎた頃から、再建の個別差が目立つようになりました。

  小・中学生などは、今は感じていなくても成長してから問題が生じる恐れがあります。高齢者は特に悲惨で、今まで積み上げてきたことの喪失感と同時に、長期化する中で経済的にも困窮していっています。時間の経過と共に刻々と変化するニーズ・状況に応じた、迅速な対応を図れる体制が必要です。また、それらを必要に応じて継続的に実施できる支援のあり方が求められます。

 白岩 医療費の一部負担金免除措置が宮城県は一時打ち切られましたが、受診低下などは現れているのでしょうか。

  宮城県はいったん打ち切られましたが、2014年度に制度が事実上復活しました。ただ、基準が厳しくなり幅広かった対象者が絞られてしまいました。今のところ継続通院の場合は、あまり受診抑制の影響が顕著だとは感じていません。精神科は公費負担医療があることも影響しているのかもしれません。


経験をどう生かしていくか

 白岩 今後の課題をお聞かせください。

  まずはこの活動を、どこまで続けるのかが大きな課題です。ステーションの財政は復興財源基金から支出されていますので10年が一つの区切りとなります。例えば阪神・淡路では20年たっても復興住宅での課題があるのをみても、その後は地域包括ケアの中でメンタルヘルスをどのように位置づけていくのかが大きな問題となります。課題があれば早期に介入する体制や、日頃の心の健康推進が重要です。「心の健康センター」で、障害を抱えている人から健康な人まで、全年齢を対象としたメンタルヘルスを国が面倒みる、そういう体制が必要です。

 加藤 たしかに日常的な精神ケアを地域でどう構築していくのかにつながってくる問題ですね。

  20年前の阪神・淡路から震災後のメンタルヘルス支援に注目が集まり、その後の中越・中越沖地震ではその反省を踏まえた復興支援が行われました。現在、それぞれの地では震災後の時間経過に沿った支援が継続されています。また、かつての被災地からは、事があれば支援チームがいち早く現地へ駆けつけるようになっています。
  東日本大震災では、被災した東北3県を中心に多くの命が奪われました。多くの方が家族・友人・知人、住み慣れた土地を失い、言い尽くせないほどの喪失を感じています。さらに仮設住宅、復興住宅と続く生活は、これまでのくらしを一変させるものです。産業を支えるインフラ再建の遅れ、人口流出と過疎化の進行といった複合的な問題の中で、日常的にストレスが増大しています。
 私たちの経験をどう次の災害に活かすか、またどういった日常的支援体制をつくれるかが、今後問われることになります。

 加藤 先生方の活動に本当に敬意を表します。本日はありがとうございました。

第23回日常診療経験交流会プレ企画

東日本大震災から3年を経て―原発事故、生活再建、被災地医療の今

協会は8月2日に、第23回日常診療経験交流会(10月26日・神戸市産業振興センター)のプレ企画「東日本大震災から3年を経て-原発事故、生活再建、被災地医療のいま」を開催。福島市、気仙沼市などの被災地で地域医療に取り組む医師らを招き、大震災・原発事故から3年が経過した被災地・被災者の現状や、今後の課題などを聞いた。県外も含め、医師・歯科医師や薬剤師、看護師など40人が参加。司会は清水映二・広川恵一両理事が務めた。参加者の感想文を紹介する。



被災地の生活・医療 なお続く困難の実情知る

加古川市・歯科 藤家 恵子

 第1部は、福島市飯野町・生協いいの診療所所長・松本純先生の講演「避難指示の水ぎわでみる原発事故被災地での暮らし」で、そのねらいは、
 1)福島の経験を振り返る.土壌汚染の形成
 2)引き裂かれた福島を知る.帰る・帰れない・決められない
 3)放射能被害のない未来を
の3項目とあったが、あらためて原発被災に苦しむ福島の実情を知り、その深刻さは計り知れないものがあると感じた。
 特に「引き裂かれた福島」のお話のなかでは、放射線量の高いところから出て線量を心配しないで暮らすことを選んだ、つまり選ぶことができた避難者、避難せずに、いわば避難できずに福島に住み続けている住民、一時避難していたが帰還してきた住民、これらの住民間に見え隠れする確執や、子どもたちの健康を案じる母親の心のケアの必要性、女の子が心に抱えている将来への不安などを聞き、随分胸が痛くなった。
 福島の子どもたちが、のびのびと屋外で遊べる環境が一日も早く実現するよう願うばかりである。「脱原発」が可能な未来をつくること、これは大きな課題であると痛感した。
松本純先生(福島市飯野町・生協いいの診療所所長) 

 第2部は、震災直後から宮城県気仙沼での医療支援に尽力されてきた先生方の講演。「本吉で思ったこと」と題して話された川島実先生は、震災で病院機能を失った気仙沼市立本吉病院に院長として赴任された方で、お話は人間味に溢れ、謙虚なお人柄が滲み出ていた。本吉の住民の方々が、どれほどか心救われたろうと確信し、お人柄に敬服してしまった。
 また最後は、山梨市立牧丘病院院長・古屋聡先生の「震災から3年、気仙沼の健康をめぐる状況」。今も継続して行っている医療支援、口腔ケアから摂食・嚥下コミュニケーション・サポートの立ち上げ、「食の支援」を現地の多職種医療連携に引き継ぎサポートしている経緯など、とても貴重な講演で、私自身がその一部に関わらせていただいたこともあるので、心から感謝を申し上げずにはいられない。
(左)古屋聡先生(山梨市立牧丘病院院長) 
(右)川島実先生(気仙沼市立本吉病院前院長)

2014年9月2日火曜日

東日本大震災 現地レポート53

被災地と連帯し復興運動を
須磨区・歯科 加藤 擁一

 東日本大震災から、はや3年半が経つ。私自身、4度目になる被災地訪問をさせていただいた、報告と感想を述べたい。

 初日は、石巻、女川地域を訪問した。この地域は、私は被災直後の2011年に訪問して以来、3年ぶりである。泥とがれきに覆われた当時から、どのように復興しているのかを見聞きしておきたいと思い、出発した。途中の田園風景はのどかで、田んぼに漁船が転がっているような、3年前の息をのむ光景はさすがにもうない。住民の足であるJR仙石線は、待望の全線復旧が来年叶うそうである。
 その石巻駅前で、被災者たちの心のケアに取り組んでおられる、「からころステーション」を訪れた。仙台市でメンタルクリニックを開業する原敬造先生が、震災直後から立ち上げた「からだとこころの健康相談所」である。
 被災者はさまざまな悩みを抱えているが、いきなり被災地に乗り込んで「メンタルヘルス」と言っても、心を開いてもらうことはできない。まず、相談活動からということで、仮設住宅訪問、相談会、コンサートやカフェなどを、日常的な活動としておられる。アルコール依存症や、うつ病など、当面するさまざまな問題への取り組みを報告していただいた。地道な活動に敬服する。
 原先生の話を聞いた後、職員の方の運転で、女川町周辺まで被災地を案内してもらった。女川では、被災した旧町立病院が、昨年秋より介護施設と一体化した地域医療センターとして再スタートしていた。水産業も少しずつ復興しつつあるようで、漁港の食堂でおいしい海鮮丼を食べることができた。
 しかし、その先の雄勝町や北上川河口の大川小学校のあたりに来ると、まだ、津波の爪痕がはっきり残っていて、復興の厳しさも実感する。

 2日目は、仙台市内にある「あしなが育英会・レインボーハウス」を訪問した。この3月にできたばかりの真新しい施設を見学させていただいて、震災遺児たちの心のケアの取り組みを中心に話をうかがった。
 子どもたちの持つトラウマの現れ方はさまざまであり、難しさとやりがいがある。震災で約1700人の遺児がいるとされているが、その多くは親戚に引き取られ、実態が把握しにくい部分も多いという。長期的な支援活動が必要なことを強調されておられた。

 阪神・淡路の震災を経験した私たちは、これからが復興の正念場であること、被災者の生活再建こそが復興の中心課題であること、被災3県が進めている、医療費窓口負担免除継続の運動の重要性を訴えてきた。

 兵庫県でも、現在、借り上げ復興住宅からの被災者追い出しが大きな問題になっている。私たちも震災復興運動の道半ばにいる。連帯して、運動を進めていくことが大事と感じて帰路についた。