2017年9月26日火曜日

2017年9月の被災地訪問

2017916日~18日。兵庫協会の継続事業である、東日本大震災被災地訪問事業に参加した。被災地の方々と、今までに築かれた交流の新たなる発展と課題を見つけ出すという目的が、出発前から課せられていた。
個人的には、毎日懸命に地域社会で、歯科医師として、他職種の方々と連携して、医療・介護・福祉に従事していることを、被災地訪問で生かすことができるかどうかを、自問自答しながら参加した。日常生活のありのままの、自分が、被災地でも同じ課題に遭遇するのでないかと予感しながらの3日間であった。
 初日の16日(土)。八戸市に集合して、3日間の事前の行程の確認と、参加する目的意識の確認、今までの事業の経過と問題点を、広川先生が説明された。
17日(日)、午前6時30分に、八戸駅を出発して海岸沿いに南下した。最初に訪問したのは岩手県田野畑村にある宝福寺。2年前の2015年9月19日にご逝去された、開拓保健師、岩見ヒサさんの3回忌に、偲ぶ会が執り行われており、お参りをした。岩見ヒサさんは、同村に持ち上がった原発招致の反対運動を先導された。多額の補償金にも揺れることなく、終始一貫原発招致に反対を貫いた人生を、村で全うされた。3年前の訪問した時に、直接お話をお聞きしたが、お亡くなりになり、ヒサさんの一貫した生涯は、やはりすごく偉大な功績だったんだと、思いを新たにした。
 田野畑村を後にして、宮古市、三陸海風を経営する山口様から、今年の不漁の実情をお聞きした。漁業の不振は、岩手県や宮城県でも、深刻な状況が今年の特徴であるという。
 次に、宮城県気仙沼市では、仮設住宅の「水梨コミュニティー住宅集会所」を訪問して、現状をお聞きした。横浜市から定期的に訪問して、入居者の健康を見守る、緩和ケア専門医師、岩井亮先生ともお会いした。さらに、仮設住宅の入居者の自立支援をサポートする、医療施設や介護現場と市役所等の公的相談場所との架け橋で、兵庫協会との交流も5年目を迎える村上充さんとお会いし、塩釜市や気仙沼市で活動する、「ライフワークサポート響」代表の阿部泰幸さんと懇談した。
阪神・淡路大震災後の見落とされた、報道されない現実と似通った詳細な、お話には、今後の問題が山積みだった。現代の日本中に潜在する問題が、明らかに、被災地では、強く顕在化してきていることに気付いた。
 3日目の18日(月)は、福島県保険医協会理事長・松本純先生と事務局長・井桁さんが、福島県飯館村を案内してくださった。
3日間を通して、被災地の状況は、どんどん真実が報道されなくなる傾向にあり、兵庫協会や保団連や、被災3県の保険医協会が、今後も交流を深めつつ、記録を、文章と写真や懇談の内容を公開して、世界中に発信していかなければならない。
絶対に他人ごとで済まない。そして、今後の課題を、医療運動対策として、政府や自治体に請願していくことも必要不可欠である。
しかしながら、冷静に着目すると、これらの問題は、全国規模で顕在化している問題で、医療運動にしやすいのではないか?むしろ、さらに深刻化し、潜在化して見落とされる問題だけは被災地を訪問しないと全然分からないこと、問題が多すぎることを学んだ。今後も、必ずあらゆる場所で伝えていかなければならない。節目節目でのシンポジウムを開催することも必要と思う。
特に、松本純先生は、兵庫県の活動記録にも、目を向けてくださるので、定期的に、兵庫協会にも来ていただいて、講演もお願いしたい。兵庫協会独自の被災地の物産展の定期開催継続も、今まで以上に効果的でかつ被災地との交流が身近となる。
あと3年半で、東日本大震災は被災10年を迎える。全ての記録を、書物にすることも、政府への直訴には有効と思う。被災者の苦しみを公開して、交流を発信するだけでは、上から目線で、人権を共有しているとはいえない。開業医の団体だからこそ、全国民に知っていただき、医療運動対策として、どんな政府であろうが、訴えていくことが可能となる。被災10年には、大きな事業を、被災3県と保団連と兵庫協会が先導して、実現していくことで、後世に受け継いでいかれるものと強く信じてやまない。
それには、毎日の地元で、懸命に歯科医療に従事して、他職種連携の医療・介護にも、積極的に参加したいと思う。地元で、医療貢献することが、被災地医療貢献につながり、根深い問題点を顕在化させて、医療運動に変えることができると信じている。さっそく、明日からと言わず、今日から輝ける医療従事者になりたいと感じた。被災地訪問に参加の機会があるならば、地元医療と両立させて、必ず参加したいと心に誓った。参加の機会をくださった兵庫協会には、常に感謝の気持ちを持ち続けていることを、最後に申し伝えたい。

【赤穂郡・歯科 白岩 一心】