2017年9月17日から18日の間、東日本大震災被災地訪問事業に参加させていただいた。初日は宮城県気仙沼市にある仮設住宅の「水梨コミュニティー住宅集会所」を訪問して、現状をお聞きした。そこで高齢者の医療サポートをボランティアで震災以降続けている村上充さんとお会いし、気仙沼市の医療の現状を傾聴した。気仙沼市は医療圏が広く地域高齢者の受診控えが問題となっている。村上さんはいわゆるこれらのサイレントマイノリティに光をあて、無償で高齢者の診療の付き添い事業等を行なっている。気仙沼には基幹病院が市民病院しかない。このため診療が必要な気仙沼の高齢者は国民が自分の判断で自由に医療機関を選択できるフリーアクセス権が行使できない状況にある。
国は震災医療対策として補正予算を組み、第1次補正予算として、医療・介護・障害福祉の利用料負担・保険料軽減措置に1142億円、仮設診療所等の整備に14億円、医療施設等の災害復旧に906億円、保健衛生施設等の災害復旧に13億円、社会福祉施設等の災害復旧に815億円、 福祉医療機構による医療施設・社会福祉施設等に対する融資に100億円が計上された。これらの災害支援政策はポプレーションアプローチとしては間違っていないが、サイレントマイノリティには、その政策は届かない。このギャップを埋めるのは、草の根運動である市民活動になる。
2011年3月11日に震災が発生した当時、筆者が関西労災病院勤務時代に労働者福祉機構より災害派遣医療チームの一員として仙台市の若林地区に派遣され、避難所の公衆衛生管理を行ったことがあった。震災直後の避難所は一般市民により管理され、行政の力は届いていなかった。未曾有の震災においても、日本にはコンティンジェンシー・プラン(不測の事態に備えた計画)が用意されていない。震災の復興においては、その多くが市民の無償の行為によって支えられている。復興の主体は政策ではなく、人の絆である。村上さんの活動はそう訴えているようだった。
その後夕食を共にしたファミリーレストランにて塩釜市や気仙沼市で活動する、「ライフワークサポート響」代表の阿部泰幸さんと懇談した。災害復興住宅における住民同士のいさかい、社会福祉協議会の内部問題など、実地に活動をしている者にしか知り得ない貴重な経験を教授いただいた。災害支援の本質は声なき者の声をいかに行政に届けるかにある。阿部さんはその一点に活動を絞っている。行政が拾えない様々な陳情が阿部さんのところにやってくる。仮設住宅や復興住宅には問題が山積している。阿部さんは住民の訴え一つひとつを丁寧に傾聴して、関連機関と協力して解決方法を模索している。
横浜市から定期的に被災地の在宅訪問診療をしている岩井亮先生にもお会いした。現状の医療制度では例え善意であっても、被災地で医療行為を行うのは困難を要する。多くの批判に晒されていても、孤立した高齢者に継続した支援を行なっている臨床医の姿勢と、それを陰に支えている気仙沼の医師会の現状に感銘を受けた。
翌日18日は、福島県保険医協会理事長・松本純先生と事務局長・井桁さんに、福島県飯館村を案内していただいた。訪れたのは大久保金一さん(1940 年生まれの77歳)の自宅である。 1947 年に飯舘村に家族とともに入植し、以来 2011 年の 東日本大震災まで母親とともに同地区で生活していた。福島第一原子力発電所事故発生後、年老いた母コトさんを連れて避難地区の自宅に戻ることになる。汚染された避難地区において、様々な方とのかかわりから大久保さんは「マキバノハナゾノ計画」を立てる。桜やバラの苗木を植えれば、何年か後には一面に山間に咲き乱れることだろう。そう大久保さんは考えた。大久保さん宅には海外の取材クルーや大学の研究機関がよく訪れる。汚染された土地に住み続ける姿に、訪れたものは何を投影しているのだろうか。
奉仕とは、報酬を求めず、また他の見返りを要求するでもなく、無私の労働を行うことをいう。震災支援における人々の取り組みは奉仕の枠組みを超えた「助け合い」「お互い様」地域の共同体意識から発生している。キリスト教に端を発する「慈善」(charity)という考え方とは異なる。震災に対する東北の方の無常観、共同体意識から発する「助け合い」の精神、これらの清廉な思想を震災支援の現場からは学ぶことができる。派遣させていただいた保険医協会に感謝を申し上げたい。
【西宮市・医師 林功】