2011年7月6日水曜日

東松島市・五十嵐公英先生からの手紙


5月に行った被災地での歯科医療支援に対し、東松島市で歯科診療所を開業する五十嵐公英先生から、お礼の手紙をいただいたので、紹介する。
なお、現地支援の様子は「現地レポート30 宮城県東松島市と石巻市の避難所を巡って(井尻博和先生)」を参照いただきたい。



ご支援いただいた先生方へ

 診療所の2本の桜の木の新緑の木漏れ日がキラキラ輝き、ここが3・11大震災の被災地であることを忘れさせてしまいそうな昨今です。
 兵庫県保険医協会の先生たちに医療支援を戴き、早一月。何の御礼も申し上げないで実に失礼をしてしまいました。申し訳ありませんでした。また、先日は兵庫保険医新聞をお送りいただきありがとうございました。只今、診療車「すみこちゃん」(勝手に名付けた愛称です)と一緒に元気に働いています。
 私が住む東松島市も、石巻地区同様、海岸線を中心に死者1000人、行方不明者150人というおびただしい数の犠牲者が出ました。東松島市は5年前の町村合併で誕生した比較的新しい市ですが、昔は矢本町と鳴瀬町でした。今回特に、私の診療所のある合併前の旧鳴瀬町地区では4つあった歯科医院が全部被災し、診療不能になっただけでなく、野蒜地区(川を挟んで向かい側の海岸)にあった歯科医院は建物もろとも院長、職員が亡くなるという激しさでした。この地区では、更に外科と内科の先生までもが津波の犠牲となっています。長く地域医療に献身的に貢献されていた先生方だけに残念で、悔しいです。地域医療を再建させることこそが残された私の責務ではないかと痛感しています。
 私の所の被害状況といえば、協会の皆さんたちが御覧の通りで、モルタル平屋の建物以外は全部パー。カルテやレントゲン写真類は泥まみれ。目も当てられません。こんな状況でしたから、診療再開といってもそうたやすい事ではなく、何をどうすればいいのか、建物をこのまま使用できるのか、解体しなければならないものなのか、実は相当に迷ったのです。スタッフ4人との再会を取り付けたのが3月31日。全員の無事を確認できホッと胸をなでおろしましたが、石巻在住の一人は乗用車が津波で流されてしまうし、住居の1階部分が水没してしまったと。困難な作業だろうが皆でこの診療所を再建しよう、復興させようと誓い合いました。
 4月に入ってからは、来る日も来る日も泥まみれになりながらのヘドロ除去、瓦礫の撤去。そして、ヘドロにまみれ使用不可となった診療機材の廃棄、さらに床板の除去そして床下のヘドロ除去と土木作業のようなことをやってました。こんなんではとても診療できる状態ではありません。しかし、患者さんは来るんです。そして聞きます、何時から始めるんですかって。そうね、連休明けか6月ぐらいにはなんとかしたいですね、なんていい加減なことを言って誤魔化していました。しかし、このままではいけない、なんとかしないとと真剣に考えて思いついたのが診療車の派遣依頼でした。全国に10台余りあると聞いていたので、私が所属する石巻の歯科医師会に相談し、全滅した旧鳴瀬町地区の住民の口腔健康の悪化防止のためには診療車が適している、私のところは電気も水道も十分な広さのスペースもあるし治安も良いし、器材を収納する場所もあると。宮城県歯科医師会にも働きかけて戴き、一日も早い診療車の派遣をお願いしました。今考えても、この診療車の派遣依頼は適切だったように思います。
 ゴールデンウィーク期間中、ここ鳴瀬地区の避難所へも東京都保険医協会をはじめ全国の協会の歯科医が訪問診療の応援に駆けつけてくれました。お陰で、避難者の口の中も少しずつ改善されてきました。後は、どう継続させていくか。それが大問題ですが、そのためには地域の医療機関の再建がどうしても必要なんですよね。どうすればいい? 先生たちにお出でいただいた5月5日のあの日、本当にうれしかったんです。写真の私を見てください。どうみても被災者には見えないでしょう。嬉しかったから。本当に。「すみこちゃん」に来ていただいて。
 あの汚い管理人室、私が寝泊まりしている宿舎。受け付け兼待合室と診療車。被災地には実にマッチングした光景で違和感を感じさせません。口コミで毎日新しい患者さんが訪ねて来ます。今月1日、地元のラジオ局がインタビューに来ました。汚れた待合室ですがお互いの無事を喜びながら、震災時の様子を語り合いながら新たな交流が生まれています。患者さんからも生活を再建するんだという熱い意気込みが伝わってきます。被災者同士だからなんでしょうね。
 兵庫協会の先生たちが撒いて行ってくれた地域歯科医療の芽を枯らさないで育てていきたいと思っています。微力ですが。
 ご厚情本当に有り難く、感謝に耐えません。引き続きのご支援、よろしくお願いいたします。
 末尾ですが、会員先生方のご健勝と貴協会の益々のご活躍を祈念しています。
 こちらの地方新聞社が出版した震災特集号を同封しました。閲覧いただければ嬉しく思います。


平成23年6月14日
東松島市鳴瀬歯科診療所
五十嵐 公英

徳島県美馬市・都築紀子先生からの手紙

 5月3日から5日にかけて、歯科医療支援のため兵庫協会支援チームとともに被災地に入った徳島県の都築先生から、手紙をいただいたので紹介する。
 なお、現地支援の様子は「現地レポート30 宮城県東松島市と石巻市の避難所を巡って(井尻博和先生)」を参照いただきたい。



兵庫県保険医医協会様

前略 この度は五月三日~五日までの東日本大震災被災地への歯科医療支援チームに参加させて頂きまして本当にありがとうございました。
 徳島県の片田舎で細々と歯科医をしておりますが、先般の大震災での報道を見聞する度、何か自分に出来ることはないだろうか、自分の眼で確かめたいと考えていました。半ば押しかけ同然に今回のメンバーに加えて頂いたのですが、諸先生方、事務局の方々に温かく迎えて頂き、本当に得難い経験をすることができました。
 千年に一度ともいわれる甚大な被害を受け、まだ至るところに残る被害の傷跡、がれきの山、身体的にも精神的にもダメージを受けられた被災者の皆様。復興への道のりは遠いなあ、と痛感させられることばかりでした。
 しかし、神戸の大震災を経験された先生方、それも私が一生涯かけて歯科医を続けていても到底お会いできない位、卓越された技術、知識を持たれ、第一線で御活躍されている先生方と、三日間御一緒させて頂くことで、片田舎でも行動を起こし、被災者の皆様の健康を守り、生命を守ることで、お役に立てることができるのではないかと考えることができました。
 決して一人では得られなかったであろう、貴重な経験をさせて頂き、また今後の人生を考える上で多くのものを示唆して頂く機会を与えて頂きまして本当にありがとうございました。
 今後も兵庫県保険医協会様、諸先生方、事務局の皆様の更なる御発展をお祈りしております。
 私も徳島の田舎で自分にできることを頑張ってみます。


徳島県美馬市・まなべ歯科
都築 紀子

石巻市・齋藤病院からの手紙

石巻市の医療法人社団仁明会齋藤病院から、支援活動に対するお礼の手紙をいただいたので紹介する。

御礼状

謹啓 時下ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。
 平素は格別のお引き立てを賜り、有り難く厚く御礼申し上げます。
 さて、このたびの東日本大震災の被災について、心温まるお見舞い、ご支援、ご協力、また、救援物資等を戴き心より感謝申し上げる次第でございます。
 皆さまからのご支援ご協力により、弊病院は震災当日より何とか診療を行うことが出来ました。また、今後も「地域医療の向上」のため、職員一丸となって全力を尽くす所存でございます。
 つきましては、何卒、これまで以上にご指導ご鞭撻を賜りますよう心よりお願い申し上げますとともに、皆さまのますますのご繁栄とご健勝をお祈りし申し上げます。
 本来であれば、ご挨拶に参上するべきところでございますが、取りあえず、書面で御礼申し上げます。

謹白
平成23年5月
石巻市・医療法人社団仁明会 齋藤病院
院長 齋藤 明久

福島協会から、義援金へのお礼の手紙

福島県保険医協会の酒井学理事長から、義援金に対するお礼の手紙をいただいたので紹介する。


義援金の御礼

謹啓
 新緑の候、皆様におかれましてはますますご清栄のこととお慶び申し上げます。
 この度の東日本大震災にあたり、貴会からの多大なる義援金を賜り心から感謝申し上げます。
 福島県はご存じのように、地震、津波に加え、原発事故による放射能のトリプルパンチに見舞われております。会員の安否と被災状況の確認もやっと目処がついてきた状況でございます。また、原発事故の明確な現状と対応状況も明らかにされないまま、本当の収束までには数カ月、数年、数十年の長い取り組みとなることが予想されます。
 役員・事務局、さらに心を引き締め、会員とともにこの難関を乗り越える所存です。いただいたご厚情はそのために有効に活用させていただきます。今後とも引き続きご指導、ご鞭撻くださいますようお願い致します。
 本来ならば、拝眉の上お礼申し上げるべきところ書中にて甚だ失礼ではございますが取り急ぎお礼まで申し上げます。

謹白
福島県保険医協会 理事長 酒井 学