2011年5月10日火曜日

保団連 東日本大震災 救援復興FAXニュース 27号

*福島県郡山市で診療を続けられている会員を、福島協会事務局が訪れた。

「原発事故のため、将来への補償が必要になっている」

がれきが残る福島の被災地
 4月25日、警戒区域となった富岡町、緊急時避難準備区域となった川内村が避難先としている郡山市のビッグパレット(県の商業展示施設)で、協会会員で双葉郡医師会長をされている井坂晶先生(大熊町)が、住民への診療を続けているとのことから、福島協会事務局が訪問しました。
 午後4時ころの訪問に、あいにく井坂先生は不在でしたが、ご一緒に診療されている佐藤正憲先生、堀川章仁先生にお会いすることが出来ました。お見舞を述べ、協会からの支援の話をさせていただきましたが、既に医薬品等物資は十分にあること、今は広島県の医療チームが支援に来ていること等を紹介いただきました。両先生とも自宅のある福島市や、親戚の二本松市に避難しながら、井坂先生と3人で避難所の救護スペースで診療を続けているとのこと。お話の最中にも、お年寄りの方が血圧の薬を求めて、あるいはひざの具合が悪いと受診していました。
 そうこうするうち、5時からの医療スタッフのミーティングに合わせ井坂先生も戻ってこられました。挨拶もそこそこに井坂先生はミーティングで、患者さんの受診状況や、郡山の総合病院への患者紹介の状況の確認、明日への引き継ぎ、診療ローテーションの確認などの陣頭指揮をとられておられました。
 ミーティング後のお話では、突然の原発事故で、避難を余儀なくされた無念さを、「思い出すと涙が出てくるので、ここでの診療と対応に力を注いでいる」と語られました。また原発事故については、東電の補償が全ての損害にきちんと対応されなければならないと声を強められました。特に補償対象は様々な業界・分野に及んでおり、声の大きいところに傾斜されることの無いよう、実績に応じた補償をしてほしい。医療機関は患者・住民がそこに戻らないと成り立たないことから、地域への将来的補償が必要になっていること。さらには二重となるローン、リースへの支払い猶予や補償、税金支払いの免除や猶予、放射能に汚染された診療所、設備、医薬品や医療資材の補償等々を語られ、これらの件は数日前に双葉郡医師会として県医師会にも要請協力を行ったが、様々な医療団体、協会からも声を挙げてほしいとのことでした。事務局は、保団連の「被災者への医療提供を確保するための医療機関の復旧・復興に向けた緊急要請」も紹介し、地元協会としても4月23日の理事会で要請を行っていくことを確認したことを伝えました。
 辞去しようとしたところ、井坂先生は歯科コーナーがあることを紹介。そこには協会会員の新妻章先生がおられ、ここでは器材も無く、入れ歯の調整程度しかできない。簡単な歯式などは記録し残しているが、保険請求ができるといいのだがと話されておられました。最後に協会でまだ避難先を把握していない医科・歯科会員の先生への連絡をお願いしビッグパレットを後にしました。
 福島協会では、会員の安否・被災状況確認を進めていますが、確認済みは5月2日現在1332名(91.2%)で、引き続き100%をめざし奮闘しています。

寄せられた要望・意見の内、避難地域の先生からのものを以下に紹介します。
・原発による避難で閉院を余儀なくされている。その間の年間の診療報酬の補償を東電、国でしっかりやってほしい。強く要望します。―南相馬市小高区・医師
・原発により20㎞以内は警戒区域となり、放射能汚染で診療所建物、設備の補償を、医療法人の今後、双葉町での存続の可能性が無いため、医療設備に投資した分のローンの残金の保障、自宅土地、財産、自宅のローン残金保障を被災者に早くして欲しい。―双葉町・歯科医師
・この年での新規開業は、財力も気力も無いのです。(原発事故が無ければ)75歳くらいまでやりたかったが、それが不可となった今、従業員の分も含めて補償をしてもらいたいという思いが東電と国に対してあります。―双葉町・医師
・新潟県三条市の避難所4か所の巡回診療をしている。保障をしっかりして欲しい。―南相馬市・医師

保団連 東日本大震災 救援復興FAXニュース 26号

*大分協会役員で保団連の賀来進理事らは4月30日と5月1日、宮城県南三陸町に歯科医療支援に入った。また4月最終週には保団連はじめ9人の事務局が宮城の会員の先生方を訪問した。

歯科治療機器をレンタカーに搭載してフェリーで宮城県に入る

レンタカーで搬入した歯科機器で治療に当たった
 大分県保険医協会は賀来進副会長、馬場秀樹歯科理事、竹内小代美理事(心療内科医師)、歯科技工士1名、歯科衛生士1名、野崎事務局員計6名を東日本大震災で最も津波被害の大きかった宮城県南三陸町の歌津中学校避難所に派遣し、4月30日と5月1日の2日間歯科医療支援を行った。この支援は志津川病院の歯科口腔外科斎藤先生のとり計らいで、実現できた。
斉藤先生からの事前情報で現在  避難所(160名)にいる被災者の多くの方がご家族や親類・友人を亡くしているということ、口腔ケア、歯髄処置、レジン充填、義歯の修理等の要望があることを知った。この情報を元に治療機器・機材、薬剤、支援物質等準備してレンタカーに積載し、4月28日大分港をフェリーにて出発、翌29日神戸から14時間かけて夜8時に仙台市内のホテルに到着した。
 次の日2時間かけて、南三陸町の鉄骨のみとなった総合防災庁舎や4階まで津波に襲われた公立志津川病院の横を通り、歌津中学避難所に到着した。
30日、1日と校舎2階の教室1室の仮歯科治療室に大分から持ち込んだ歯科用に改良した移動用の理髪用いす2台、ポータブルレントゲン、訪問診療機器、技工用エンジン、消毒器等重装備を設置し、16名の患者の治療(歯髄処置、レジン充填、義歯修理(床裏装含む)、義歯調整、除石、抜歯、口腔ケア等できる限り要望に対する歯科治療)を行った。設備の整った仮歯科治療室での診療が患者から大変喜ばれた。
また、避難所の被災者の方には口腔ケアの方法や大事さを指導し、必要な方に歯ブラシ等を配るなどした。心療内科医の竹内先生は、多くの被災者の方や近くの住人(家は流されていないが、生活物資がない環境にある)と話をされ、心のケアを行い、かなりの被災者が癒された。
歌津中学校避難所の帰りに、南三陸町災害対策本部のあるベイサイドアリーナの医療ボランティア本部に、歯科用薬剤(抗生剤、うがい薬等)、ペーパータオル、トイレットペーパー等々(台車2台分)の医療・生活支援物資を提供した。
5月2日、10時間かけて神戸港に到着し、フェリーにて5月3日朝6時に無事大分に帰着した。充実した6日間であった。もう一度何らかの形で訪れ、医療支援を行いたい。


「医療機関少なく、融資制度拡充で早急に立て替えをしたい」

 4月25日より28日まで9名の支援隊(東京・盛、愛知・日下、静岡・村松、岐阜・福島、大阪・谷、兵庫・楠、鹿児島・生川、保団連・岩下・山田)は、26日に仙台市内の青葉区、泉区、太白区の3区を、27日は仙台以北の大崎市、栗原市、登米市を、3班体制で分担し、被害報告のある会員計75件を訪問、被災状況の把握とお見舞金を手渡した。
 このうち、26日の仙台市内について「都市部の診療所は、見た目の被害は軽微だが、精密機械の破損で診療ができない、あるいは機械破損がなく通常診療ができても、市民のほうに外出・受診手控えの意識が働き、患者数が震災前の半分になったとの声もある。一方で、沿岸部の被災地域はもっと甚大な被害であり、都市部という点ではそういった悩みは言いにくく、先生方の行き場のない声も聞かれた。仙台市内は問題なく動いているように見えるが、完全な復旧・復興にはまだまだ時間がかかるし、対策も遅れているように感じられる」との報告が寄せられた。
 27日の大崎、栗原、登米の三市は仙台から高速バスで1時間、更にタクシーで1時間が必要な遠方で医療機関数も仙台市内と比べて少ないことからこれまで訪問ができなかった地域で、今回初めて被害会員への訪問が行われた。訪問報告では「電気・ガス・水道などの復旧を待たずに診療を再開させて患者さんへの対応を行った先生がたくさんいたことに、地域医療を担う先生方の意気込みを感じた。」「『自分よりもっとひどい被害のところの支援を手厚くしてあげてほしい』とのメッセージを口々にしていたのも印象的」「4月7日の余震の被害も大きく、精神的なダメージも受けているようすが感じられた。」。「登米市は4月7日の余震の震源地にも程近く、2回の地震による被害は甚大かつ拡大している。建物はいずれも大小の亀裂が入り、簡単な修復では今後の大規模地震に耐え切れない。もともと医療機関が少ない地域で、建て替えを考えている医療機関も多く、地元の患者さんが行き場をなくすことにもなりかねない。医療機関再建のための融資制度拡充が急務と思われる。」との状況が寄せられた。
 なお、宮城協会では、被害状況が把握できていない会員が残り約500件余り、また、被害報告はあるが未訪問の地区が仙台以南にまだあることから、これらの状況把握と会員訪問が今後の課題になっている。

保団連 東日本大震災 救援復興FAXニュース 25号

*協会・保団連は今週も岩手、宮城協会に事務局を派遣、会員医療機関を回る支援活動を継続している。25、26日の両県への支援活動を報告する。

(4/25、26)岩手・箱石会長「会員支援に全力を尽くす」

会員が再起できるよう全力を
尽くすと語る箱石会

 4月25日、26日、佐藤島根協会事務局長と工藤保団連事務局の岩手支援隊は、被災状況をお聞きし、お見舞金をお渡しするために、大船渡市(25日)と宮古市(26日)に被災会員訪問を行いました。また、26日には箱石岩手協会会長の診療所を訪れ、お話をうかがい、「全国からの支援で『気合い』を入れてもらった。心から感謝したい」と話されました。
 全半壊といった大きな被害を受けた会員にはすでに訪問しており、今回は一部損壊やこれまで連絡のとれなかった会員を中心に訪問しました。
大船渡市4件、宮古市7件の会員訪問を行い、お見舞金と被災会員に向けた岩手協会でまとめた医療支援、会員支援情報をお届けしました。
 大船渡市では、気仙医師会を訪れ、連絡先のわからなかった会員が盛岡市内に避難していることが判明、連絡先を把握することができました。
津波の被害を受けなかった地域では、停電、断水などで休診を余儀なくされた院所が多いようでしたが、現在では通常診療をしています。
 ある歯科の会員によれば、「市内6件の歯科医院が流された。1人の先生には自分の医院で診療してもらっている」と話されました。
 それでも津波が川の堤防を乗り越えたところもあり、「もうだめかと思った」と語られた会員もいました。
 宮古市では、院所は無事で、現在は通常診療を行っているところでも、自宅が津波で流されてしまい、寝泊りは院所でという会員が二人おられました。
 津波で床が浸水してしまい、被災直後は院所の前に机を出し投薬のみ行っていたところでも、現在では通常診療に戻っているようでした。
 大船渡、宮古では、津波の被害が甚大なところと、被害は受けなかったところがはっきりわかれていました。
 被害の受けなかった会員からは、「自分はよかったが、被害にあった医療機関はたくさんあって『よかった』と素直に思えない」と話されていました。
 箱石会長は、「被災直後から私も被災地に入り、会員の安否確認を最優先に全力で当たった。全国からの物資支援、応援の医師・歯科医師の派遣などで、協会も『気合い』を入れてもらった。全国のご支援に心から感謝したい。震災被害の犠牲になった人もおり、協会でどう対応したらいいか議論をしているところだ。自分の院所を失った会員もおり、そうした会員が再起できるよう協会として全力を尽くしたい」と話されました。


(4/25、26)宮城、「行政動かすために声を上げたい」

 4月25日より28日まで、9名の宮城支援隊は仙台市を中心に会員訪問を行っています。
今回は主に仙台市内と、その上部の3市の会員訪問を行っています。初日となる25日には、前回より恒例となっている被災地の見学から入り、仙台駅から車で10分ほどの若林区および宮城野区の被災地を見ました。
 翌日は青葉区、太白区、泉区の3区内で未訪問のところを回りました。対象医療機関は、すでに被災状況報告書を送ってこられたところで、実際に訪問すると、報告書では分からない先生方の切実な思いを聞くことが出来ました。
 市内のある歯科の先生は口腔ケアに非常に熱心だったが、珍しいという口腔内撮影テレビはすでに部品生産が終了しており、修理が出来ず諦められていた。ただ、近いうちに近所のホテルに県内の避難者が滞在することから、「県歯に入っていないので、避難者の口腔ケアを見られるような体制に協会から頼めないだろうか」との要望をいただいたため、ぜひ検討したいと伝えました。また先生は、「ガソリンや交通手段が復旧しても、住民は外に出るのを控えているため患者数は少ないまま」と述べ、街全体を明るくして欲しいと求めました。
 また整形外科の先生は、医師会で災害担当理事として奮闘しており、地震後はしばらく診療できませんでした。「ただ黙って踏ん張っているだけでは状況はよくならない。はっきり声に出して、具体的に要望を上げて頑張っていかないと行政も動いてくれない。これからも一緒にがんばりましょう」と強いメッセージをいただきました。
 ただ元気な先生ばかりではなく、中には不安が尽きないという先生もいらっしゃった。それでも事務局からは「とにかく色々と協力していきますので頑張りましょう」と励ましました。都市部の診療所は、見た目の被害は軽微だが、精密機械の破損で診療ができない、あるいは機械破損もなく通常診療が再開できても、市民のほうに外出・受診控えの意識がはたらき、患者数が震災前の半分になったとの声もありました。