2012年10月29日月曜日

全国災害対策連絡全国交流会・プレ企画参加記

 保団連も参加する全国災対連(災害被災者救援と災害対策改善を求める全国連絡会)主催の全国交流集会とプレ企画が、10月6日から3日間、宮城県と福島県内で行われ、全国から260人が集まった。協会から池内春樹理事長、武村義人副理事長らが参加した。宮城県名取市や岩沼市、福島県南相馬市の被災地の現状を視察するとともに、講演と討論を通じて、住民生活と暮らしの再建を最優先する復興施策に必要な課題を整理し、運動の方向性を模索した。池内理事長のプレ企画参加記を掲載する。


復興と原発ゼロ願う

兵庫県保険医協会
理事長 池内 春樹

 伊丹から仙台までは近くだ。昔、保団連の「味わいと文化の旅」で四万十川を見学した時乗った飛行機は、上がったと思うともう下降に入ったが、富士山や日本アルプスを見ながらお茶を飲んでいると、もう仙台空港だ。
 仙台空港は、津波で甚大な被害を受けた仙台南部の名取市にある。ここから空港ライナーで仙台市へ。仙台駅の玄関口の空中回廊は健在だ。
 地下のレストラン街で、カキフライ定食を食べる。仙台駅地下にはカキの燻製やおいしい笹かまぼこやずんだ餅のお店があり、おみやげにお勧めだ。仙台というと牛タンだが、厚切りのため前回食べた時は少し固く、今回はカキにした。身が大きくてやわらかくおいしい。松島湾のカキが不漁とのこと、地震の影響か心配だ。
 仙台駅前から、北は北海道、南は九州から集まった災対連のみなさんと大型バスに乗り込む。地元の実行委員会の遠藤さんがツアーガイドをして下さる。

名取市・岩沼市
全国の支援で復興へ

生産組合の組合長からお話を聞いた
まず名取市小塚原へ。ここでは高速道路のすぐそばまで海水が流れ込み壊滅的な被害を受けたカーネーションハウスを見学し、花卉(かき)生産組合の菅井俊悦組合長から話をうかがった。沖縄からの赤嶺政賢衆議院議員も一緒だ。
 ハウスそのものはかろうじて持ちこたえたものの塩害がひどく、井戸水で海水を洗い流し土を入れ替えるのに、全国のボランティアに助けてもらったとのこと。組合長はわれわれもボランティアと思われたようだ。1年半が経過して、きれいにカーネーションが咲いたハウスの中で、さわやかに笑う息子さんに明日の希望を見た。

赤嶺衆院議院も一緒に
現地の状況を視察
次いで、公民館から小学校への避難中に津波が来て、多くの方が亡くなったという、五差路になった陸橋をくぐって日和山へ。ここは小高い丘だ。海岸線にできた廃棄物焼却場の煙突がみえる。まわりは基礎部分だけ残した更地で、遠藤さんは「おじさんの家があり、子どものころはよく遊びに来た。ここに津波が来るとは思わなかった」と話された。
 津波の跡がまだ残っている仙台空港付近を経由して、岩沼市の千年希望の丘へ。ここは長い堤防を作るのでなく、ガレキを集めた小高い盛り土に植樹して津波を分散しようという実験場だ。


南相馬市
被災時のままの原発10キロ地点

渡辺南相馬市議で南相馬市へ
亘理町や鳥の海を見ながら、国道6号線を一路南下、福島県南相馬市へ。線量計は0・2マイクロシーベルト毎時だ。
 渡辺寛一南相馬市議の案内で、やっと日中の立ち入りが許された小高区へ。
 中心の商店街には建てたばかりのような瀟洒なレンガ造の診療所、道路をはさんだ反対側には歯科診療所。年商2億円を稼いでいた洋菓子屋さんもある。蔵造りの旧家や馬繋ぎ場もある。線量計は0・4マイクロシーベルト毎時と、今回のツアーで一番高い値を示している。
 「南相馬の田んぼは埋め立て地で、強力なポンプで排水していたが、地震で壊れ排水できない。大型コンバインを700万円で購入したが、シートを被っている。あの高台に貝塚の遺跡がある。ここまで海だった」農道を通りながら、渡辺市議が説明される。
 道路も冠水しているが、大型免許を持っていると巧みにバスを誘導してくださる。福島原発から10キロメートルの地点だが、線量計の表示は0・3マイクロシーベルト毎時だ。
 雨が降り出した。明日は今夜の宿、遠刈田温泉さんさ亭のご主人のご厚意で、蔵王のお釜だ。
 東日本大震災からの人間の復興を祈ろう。
            

2012年10月12日金曜日

国による被災者の生活再建を求める運動に全力で取り組もう

全国災対連が全国交流集会・プレ企画を開催

 保団連も参加する全国災対連(災害被災者救援と災害対策改善を求める全国連絡会)主催の全国交流集会とプレ企画が、10月6日から3日間、宮城県と福島県内で行われ、池内春樹理事長、武村義人副理事長らが参加。名取市や岩沼市、南相馬市の被災地の現状を視察するとともに、講演と討論を通じて、住民生活と暮らしの再建を最優先する復興施策に必要な課題を整理し、運動の方向性を模索した。

宮城県内では復興が遅れ広大な更地が広がっているものの、震災・津波瓦礫は集積・分別処理され、塩害処理をかさねつつ農業が再開されるなど、現地視察では、少しずつでも前進が伺える。名取市ではボランティア等の協力を得ながら再開したカーネーション栽培農家から支援への感謝が述べられた。しかし、悲惨さを極めていたのは南相馬市小高地区。福島第一原発から10~20㎞圏内で今年4月まで立ち入り制限されていた「警戒区域」にあたり、現在も1/3が帰宅困難地域や居住制限区域に指定されている。南相馬市小高地区では、被災直後から放射線被害により人の立ち入りが不可能になったため、1年7カ月を経過した今日も、瓦礫は遺体捜索目的で仮に路肩に寄せたれたまま。地震・津波で破壊された家屋は放置されたままであり、被災直後から放置・遺棄されている状況にある。


 
 20㎞県内では今も夜間の立ち入りが禁止され、水道も復旧していないため、居住できない。小高市中心街で計測した放射線量は0.42~0.45マイクロシーベルト毎時と高く、歯科医院、小児科医院、病院など、患者も医療者もいない医療機関が、人影のないゴーストタウンに放棄されていた。線量計で計測しながら現状を確認した池内春樹理事長は「関係者の無念いかばかりか。復興はおろか自宅への帰還もかなわない住民の気持ちを考えると、あらためて原発ゼロでなければ」と、核と人類は共存できないとの思いを分科会で表明し、一人ひとりが線量計を持て汚染マップを作り、「子どもを放射線から守ろう」と訴えた。

 蔵王町内で行われた全国交流会には260人が参加、被災3県の代表や各自治体の職員、県・市会議員らが、核汚染、医療、職業、住居、教育の課題と取り組みについて討論・交流した。また、記念講演では岡田知弘京大教授が「『惨事便乗型』復興から『人間の復興へ』」と題し、復興庁のすすめる多国籍企業奉仕の「復旧でない創造的復興」論について、「病人にオリンピックを目指せ言うもの」と批判するとともに、「地域循環型」「地域内再投資力」重視の経済政策で、住民の暮らしと生業を支援することが、いち早い地域社会の復活につながると解説した。
住江憲勇保団連会長は、まとめの挨拶で大企業の利益を最優先し、復興予算を食い物にする政治姿勢を改めさせ、今後起こりうる災害に備えるためにも、国による被災地・被災者の生活再建を求める運動に全力で取り組もうと訴えた。また、小山栄三大阪歯科保険医協会理事は脱原発や生活再建の運動を進めるためにも、橋下維新の会など「第3の勢力」の欺瞞性を批判しようと呼びかけた。