2014年1月25日土曜日

特集

 東日本大震災から2年10カ月。兵庫協会は、東日本大震災発生直後から、広川恵一理事を中心に、被災地への訪問活動をつづけている。昨年12月21日~23日には、第23次訪問として、広川理事らが宮古、大船渡、陸前高田、気仙沼などの医療機関や仮設住宅を訪問した。広川理事に、これまでの被災地訪問を振り返り、被災地の現状と今後の課題について報告いただく。

阪神・淡路大震災―東日本大震災

被災地訪問と今後の課題(上)
理事 広川 恵一

1995年1月17日 阪神・淡路大震災
 
 震災から19年後の1月17日、知人から当時の日記・記録が届けられた。
 書いた本人もそれをあとでみることになり、初めてそんなこともあったのかと驚いたとのこと。この日は、意識せずともあらためて語り合い伝え合い風化させず語り継いでいく一日である。
 2011年に西宮・芦屋支部で行った「阪神・淡路大震災15周年の集い」での関西学院大学の室崎益輝教授、県災害医療センターの鵜飼卓顧問、日本福祉大学の金持伸子教授による講演記録と、当時のボランティアの寄稿とをあわせて、16年目のメモリアルにあわせて『被災地での生活と医療と看護~阪神・淡路大震災の経験と記憶を語り継ぐ~避けられる死をなくすために~』を出版した。
 その2カ月後に東日本大震災・大津波・原発事故が起こり、出版社からも、震災支援の一環として1000部増刷いただいた。

阪神・淡路から引き出される課題

 この本の中にも示されているように、多くの言葉が被災地の中で語られた。
 「(ボランティアがニーズがないと断られるような現状に対して)『ニーズがない』ということはニーズを見いだす力がないということ」、(ボランティアの医師に「何故被災地に来るのか?」との問いに)「次は私ところですから」、「被災地の全国からの『支援』は被災地(の人々)によって『支援』される」、「異常なときには通常通りしようとすることが異常(たとえば災害時に診察で保険証を求めることなど)」「被災地医療は日常診療の延長線」など。
 ここにはそれぞれ被災地を訪問するカギが見いだされる。
 たとえば、その一つ、「被災地医療は日常診療の延長線」は、被災地医療を見つめる中で日常診療のあり方がみえてくる。
 もともと医療過疎地・診療科目偏在があり高齢者比率の高い被災地にあって、その医療課題はどの地域にあっても社会・社会保障のあり方と診療のあり方を考える上で共有する課題である。
 また「次は私ところですから」は東京・中村洋一医師の言葉であるが、一言ながら相手の気遣いを和らげ、お互い共同のとりくみとして、絶えず災害に心して望むという課題意識・心意気が伝わってくる。

2011年3月11日 東日本大震災・大津波・原発事故

 被災地の課題は、時間の経過とそれぞれの地域の状況・被災内容によって変化する。
 協会からの、私の被災地訪問は、東日本大震災震災・大津波・原発事故から10日目に始まる。
 池内春樹兵庫協会理事長からの依頼をいただき、大阪府保険医協同組合の協力を得て薬剤を選定し、保団連からそれを届けるべく、宮城協会に訪問を行った。山形空港を経由して現地では和歌山協会の小野田幸男理事・上野佳男事務局長と合流し、ともに混乱を極めた避難所の訪問。帰路は、事務局の横山、足立の各氏と3人で車での神戸(西宮)までの移動であった。
 あれから2年10カ月。被災地の生活の場は避難所から仮設住宅へと場所を移しているが、その仮設住宅も先が見えない。
 大槌町も陸前高田市は多少の盛り土は始まったが、地元の人たちに聞くとまったく変わっていない。防潮堤をという声も聞かれるが、仮設に住む人たちは、それよりも何よりも、「一刻も早く安心して住める家を」という気持ちが強い。三陸鉄道再開を願う声もあれば、54号線など高台を走る安全な輸送ルートを求める声もある。
 原発事故周辺地・ホットスポットではどうしようもない現実と不安があり、日々生活が脅かされる現実がある。「遠方に出ている子どもたちに帰ってこいと言っていいのでしょうか」という相談がある。
 また、それを世界史的事件に立ち会ったととらえて、正確にデータをとり、自分たちの生活やこれからの日本や世界に役立て残そうという動きも聞く。

地域・人をつなぎ、学ばせていただく被災地訪問

 訪問では「受け入れていただく」「学ばせていただく」「関わらせていただく」。お互いの関係は双方向性であり、「支援」という概念はない。
 訪問日は休日が主となるが、現地の方々には貴重な時間であり、たとえ「今日はボランティアの日ですから」とか「日直ですから」と言われても、それを心すること、平日でも同じことで、貴重な時間をとっていただいていること、その思いをきちんと持つことが大切なことである。
 これまでに訪問してきた医療機関、ボランティア組織、(旧)避難所と仮設住宅のある地域は、北から宮古、大槌、大船渡、陸前高田、気仙沼、千厩、藤沢町、東松島、仙台、亘理、南相馬、そしていわき・湯本である。
 訪問先では受け入れていただいたことに礼を尽くして、何度でも訪問し、そして新たに訪問先を加えることを心がけている。
 被災地協会とは、事前に保団連、各協会に連絡して同行・協力、企画の際には共催の依頼を行い、事務局だけでなく私からも直接相談や連絡を行うようにしている。
 移動の安全のため、公共交通機関をできるだけ使い(冬期は凍結・積雪のため内陸部の花巻~盛岡~宮古・大槌・陸前高田間)、沿岸部の移動はレンタカーで事務局スタッフによる運転で安全を心がけるようにし、一台に乗れる人数としている(12月の訪問でははじめて2台での移動)。
 参加メンバーは訪問ごとに交代しながら継続し、新たに参加してもらうよう工夫している。今後は責任者の交代と各地域ごと交代しながらの担当が必要となる。
 企画として、医療相談を行い、地域からのニーズで西宮・芦屋支部に関わりある演奏家によるコンサートを開いた。「いま仮設にはそのような時間が大切で、いろんな人たちを連れてきてくれるのでとてもありがたいです」と地元の方々からそのような言葉をいただく。
 一回の訪問での走行距離は400~500キロメートルで空港でも待ち時間があり、移動中がお互いの情報の補完、感想やまとめの時間となる。
 12月の訪問時には、22日は午前6時20分に盛岡宿舎を出て、午後10時に気仙沼の宿舎に入るまで、宮古の後藤泌尿器科皮膚科医院・河南仮設住宅・高浜仮設住宅、大船渡の越喜来甫嶺地区仮設住宅、陸前高田の朝日のあたる家・子ども図書館、気仙沼の五右衛門ヶ原運動場仮設住宅・赤岩牧沢テニスコート仮設住宅と、8カ所を訪問。まとめを行いながら移動を行った。

(下につづく)

阪神・淡路大震災19年メモリアル行事

経験つなぎ、東北へ−借上住宅追い出し、残る借金...苦しみつづく


1月17日に行われたメモリアル行事のもようを紹介する。

メモリアル集会
〝人間復興〟へたたかいをつなぐ


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300人が阪神の課題と福島の現状を考えた
メモリアル集会(神戸市勤労会館)
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原発事故による福島県民の苦況を語る伊東氏
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母子避難に至った思いを語る森松氏
17日、神戸市勤労会館で「東日本大震災被災地と結ぶ 阪神・淡路大震災19年メモリアル集会」が行われた。協会も参加する阪神・淡路大震災救援・復興県民会議(合志至誠協会名誉理事長が代表委員)の主催。300人が集まり、協会からは、池内春樹理事長、松岡泰夫評議員が参加した。
 主催者あいさつにたった池内理事長は、阪神・淡路の経験を活かし、いまだ仮設住宅暮らしがつづく東日本大震災の被災者の恒久的住宅の建設や、窓口負担免除措置の復活を国に働きかけようと訴えた。
 住江憲勇・保団連会長が、全国災対連を代表して来賓あいさつ。阪神・淡路後の粘り強い運動が被災者生活再建支援法を勝ち取ったとし、「不屈の闘いが東日本大震災被災地をどれだけ勇気づけたか。いのち、健康を取り戻すため、運動をつづけよう」と呼びかけた。
 県民会議の岩田伸彦事務局長が活動報告にたち、被災者不在ですすめられた「創造的復興」に対し、被災者に寄り添い、公的支援実現を求めつづけた、19年間にわたる運動を振り返った上で、現在の課題として、借り上げ公営住宅からの追い出し問題、新長田開発事業、災害特別融資返済問題をあげた。
 県や神戸市などが、民間住宅を借り上げ、被災者に提供する「借り上げ復興住宅」では、高齢を迎えた入居者に対し、20年間の契約期間満了を盾に、県や神戸市は転居を迫っている。被災者の粘り強い運動により、一部で継続入居が可能となったが、希望する全入居者の継続入居が認められるには達していない。
 火災により焼け野原となった長田地区では、住民無視の大型再開発事業が進められた結果、立派なビルが立ち並ぶものの、テナントには空床が目立ち、人口は減り続けている。また、災害援護資金や営業用融資、住宅ローンなどの各種融資返済問題が、いまだに被災者を苦しめている。
 岩田氏は震災復興再開発事業で大もうけしたのは結局ゼネコンをはじめとする大企業であり、企業にやさしく市民に冷たい「復興」であったとし、住民生活の復興を求め今後も運動を継続しようと訴えた。
 東日本大震災被災地からの報告として、原発事故後、福島から大阪に母子避難している森松明希子さんが、小さな子どもを抱える母親として見えない放射線とたたかい、子どもが自由に外遊びできないような状況に避難を決めたとし、「事故の責任を明らかにし、今後の教訓にする」と、原発賠償関西訴訟の原告になる決意をした経緯を涙ながらに語った。
 記念講演では、原発問題住民運動全国連絡センター筆頭代表委員の伊東達也氏が、原発事故後の福島の現状を語った。
 伊東氏は、原発事故は「最大にして最悪の公害」であり、完全賠償、継続的健診の保障、被ばく低減のための除染促進、強制避難地域での地域の作り直しなど、住民のための復旧・復興実現を求めて運動していくと決意を述べた。

談話

生活復興へ粘り強い運動続けよう
理事長  池内 春樹
 
1740_1.jpg 阪神・淡路大震災から19年の年月が流れた。
 今一番問題になっているのは、被災者が入居している借り上げ住宅から、20年の契約期限がきたからと高齢化した入居者を追い出そうとする問題である。兵庫県や国が被災者のために恒久的な住宅を造らなかったのが根本的な間違いだ。
 私たちの粘り強い運動により、「被災者生活再建支援法」ができ、その後の被災者には住宅全壊で300万円が支給されることになった。しかし、住宅再建には不十分である。この経験を十分生かし、いまだに仮設住宅で過ごしておられる東日本大震災の被災者のみなさまのための恒久的な住宅の建設が急がれる。
 そして、地域医療の再建と被災者の医療費窓口負担の免除措置が継続できるよう、国に働きかけよう。これらは復興予算を適正に使用すれば十分可能だ。
 阪神・淡路大震災と東日本大震災の大きな違いが福島原発事故問題である。海沿いにある原発では、津波の被害も考えなければならない。原発ゼロを積極的に進めるべきだ。
 兵庫県保険医協会は兵庫県民主医療機関連合会(民医連)と協力して、昨年8月に原発事故による避難者の方々の健康診断を初めて行うことができた。継続して行っていきたい。
 東日本大震災の被災者のみなさまへの支援を兵庫県保険医協会は23次にわたって継続的に行っている。
 来年の阪神・淡路大震災20周年には、みなさまのお知恵をお借りして、南海トラフ大地震に備える、すばらしい企画を開催したいと考えている。
 会員の先生方の積極的なご支援をお願いしたい。

2014年1月5日日曜日

現地レポート48 11/23~24被災地訪問参加記




協会は11月23,24日に東日本大震災被災地である、福島県南相馬市・いわき市、宮城県亘理町などを訪問した。広川恵一・白岩一心・中西透各理事が参加した。参加者のレポートを掲載する。


参加記(1)
被災者の将来見すえた しっかりしたサポートを
三田市・歯科  中西  透





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南相馬市の雲雀ケ丘病院で堀副院長(中央)と懇談
仙台空港近くの亘理町では、宅地復興の風景が見られるがまだまだ空き地が多く、当地区の住民に尋ねてみると、当地区での建築物の災害への対応は、今後自己責任であるということだった。
 その後、福島県南相馬市に向かう車窓から農地の除塩対策などの風景が見られたが、あまりにも広域で、復興には時間が必要であると実感した。
 南相馬市雲雀ヶ丘病院の堀有伸先生との懇談会の中で、震災後認知症が増加していて、その原因の一つは仮設狭小住宅ではないかとのことだった。
 また南相馬市の大町病院では、除染労働者の肝疾患の重症患者が多いこと、また復興の軌跡を藤原珠世看護部長にお話しいただき、ご苦労を痛感した。
 地元紙・福島民報では、30面中9面に震災・原発事故の関連記事が掲載されて、原発事故関連死も記載されていた。なおかつ、核廃棄物最終処分地を決定せず、福島第一原発周辺の土地を国有化して中間貯蔵施設を建設するのは疑問に思った。
 今なお避難生活を送っているのは、東京電力が充分な津波対策を講じてなかったことと危機管理のまずさのせいである。事故前と同じ水準の生活ができるように、被害者の気持ちを考えて対応してほしい。
 国の責任も少なくない。被災者向けの補助制度の充実と仮設住宅等で生活する人の新たな暮らしをサポートする必要がある。被災者の将来の見える、しっかりとした方針を示すことが重要だ。


参加記(2)
経験つなぎ 被災者によりそう

赤穂郡・歯科  白岩 一心



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いわき市湯本「新つた」旅館の女将と交流
私たち兵庫協会では、池内理事長の方針である、憲法13条「幸福追求権」、25条「生存権」に基づく医療運動の一環として、東日本大震災・被災地訪問を継続的に行うことによって、現地の問題点を洗い出し検証しつつ、被災者の方々や被災地から避難された方々との交流を続けている。
 協会は震災直後から今まで、医療支援や避難所各地で行ったコンサートなどの記録や課題などの発表も定期的に行っているが、いずれも継続性が求められ、継続的な被災地の人たちとの交流が大切である。
 11月23日・24日の訪問には、私も初めて参加した。
 最初の見学地である仙台市若林区荒浜周辺から仙台空港近辺の津波被害地は、いまだに傷跡が大きく、空港は再開しつつも空港ターミナル周辺の企業活動は全く再開されておらず、マスコミの報道も全くない。宮城県亘理町鳥の海、阿武隈川河口近辺の住宅街も町ごと消え去ったままである。消え去った町中に、多数の慰霊碑や新しい墓地だけが目立つ地域も多い。
 近隣の人たちの話では、震災直後に家屋を潰す期限を設けて助成金を出し、期限を過ぎれば出さないと発表して、被災者の気持ちはなおざりである。地域の医療再建も、住民の流動化により困難だと言える。
 福島県南相馬市では、人口7万人の都市が一時は1万人まで減少し、現在4万8千人まで戻っている。
 そのなかで、南相馬市では、介護認定や介護保険申請問題、急速な過疎化問題、少子高齢化問題など、原発事故が起こる以前からの潜在的問題が顕在化したことも明らかになった。
 避難することで食生活が変わり、高血圧症、糖尿病、アルコール依存症、パーキンソン病、胆道疾患が増加することも知ることができた。
 いわき市湯本の数少ない温泉地での観光客減少、川内村や飯舘村、いわき市から南相馬市には、原発事故の影響で、郡山市経由でないと行けないことも知り得た。
 今後の医療問題として、原発事故によるあらゆる国民への情報開示に加え、甲状腺だけでなく、放射線の感受性の高い生殖器への影響、生活改善のための栄養指導、運動指導、健康診断を訴えていく必要性が高い。仮設住宅では、コミュニケーションに乏しいことや老々介護問題も深刻と聞く。
 仮設住宅の方々の医療費減免継続は当然であり、介護保険の充実も訴えていく必要がある。
 私は歯科医師であるが、歯科医師が、震災関連性疾患の肺炎予防のため、口腔ケアを行うことが必要である。自分の口で味わう喜びを回復してもらうための咀嚼機能を維持することも大切である。
 協会は、阪神・淡路大震災の経験を生かして、被災者の方々によりそうことができる。他人ごとではなく、わが身のこととして受け入れることが、阪神・淡路で全国から励ましていただいた、兵庫協会の責務である。
 幸福を追求しながら、自助や共助の強要でなく、公助の充実を推進する呼びかけや運動推進が急務である。
 協会の継続訪問は、今後も東北の方々に寄り添うため、そしてたくさんの個々の尊い命を学ばさせていただくためにも、必要不可欠である。
 同行していただいた、広川先生、中西先生、事務局をはじめとする兵庫協会に感謝を申し上げて報告としたい。