2011年5月26日木曜日

保団連 東日本大震災 救援復興FAXニュース 31号

59日の週に岩手協会会員訪問のため5人の事務局員が岩手入りをした。

岩手:自ら被災しながら避難所で歯科診療にあたる

5月9日から13日まで、岩手協会被災会員訪問のため、高橋(神奈川)、上南(大阪歯科)、塩毛(島根)、寺尾(保団連)、堀江(保団連)の各事務局5名が岩手協会入りした。
 5月9日と10日の両日、派遣された事務局員のうち1チーム2人が、県内陸部の一関市の会員医療機関を訪問した。被害状況報告に基づいて29医療機関を訪問し、医師、歯科医師19人を含む27人と面談、協会や政府への要望などの聞き取りを行った。一部損壊の被害を受けた19医療機関にはお見舞金を渡した。

行動地域:一関市
訪問者名:上南(大阪歯科)、寺尾(保団連)
訪問結果:訪問数 29件(面談 27件、不在等 2件)
お見舞金支給:一部損壊 19件
【訪問の概要】
C先生(一関市・内科)「沿岸部の人は本当に大変だ。でも、TVに映っているところだけが被災地じゃないぞ!と言いたい」。外壁が崩れ修復工事を頼んだが、材料が入ってこないため1カ月半そのままになっている。CTが壊れ、買い替えることになった。診療室内のクロスに亀裂がある。地盤の関係で周辺部では50戸が全壊。被災した患者は7~8人いる。沿岸部から移り住んで来た患者も10人くらいいる。一部損壊の修復費用や医療用機器の一括償却や税額控除の特例措置などを政府に要望して欲しい。

O先生(一関市・内科循環器科)友人も沿岸部近くで開業していて、夜も呼び出しが会って眠れないとのこと。融資などのあらゆる優遇措置を講じるなど、沿岸地域の先生方への援助を要望したい。

O先生(一関市・内科胃腸科) 保険医協会の情報は役に立っている。医師会でもあれだけの情報は入ってこない。大変参考になりました。情報以外では社保のFAXが早くて簡潔で判りやすい。職員にも見せている。 
● 5月11日と12日の両日、派遣された事務局員のうち1チーム2人が、県内陸部の奥州市、平泉町、金ヶ崎町の会員医療機関を訪問した。被害状況報告に基づいて30医療機関を訪問し、医師、歯科医師16人を含む26人と面談、協会や政府への要望などの聞き取りを行った。全半壊、一部損壊の被害を受けた9医療機関にはお見舞金を渡した。

行動地域:奥州市水沢区、平泉町、金ヶ崎町
訪問者名:上南(大阪歯科)、堀江(保団連)
訪問結果:訪問数 30件(面談 26件、不在等 4件)
       (奥州市水沢区 24件 平泉町2件 金ヶ崎町4件)
お見舞金支給:全半壊 1件 一部損壊 8件
【訪問概要】
I医師:奥州市・I内科医院
<被害状況等:全半壊>
市の災害対策本部の「危険UNSAFE」との赤い貼紙あり。事業をしてはいけない建物として認定されている。
同区にある元小児科診療所に移転。X線を入れるスペースがなく手ぜまなので、増設を予定、ベッドも入れて有床診療所として再起したいと思っているとのこと。
先生から寄せられた感想等
元の施設で入院されていた患者は、自宅、県立病院、私立病院に移ってもらったが、それぞれの先で、間もなく一人ずつ亡くなられた。これも目に見えない災害関連死という。

K医師:奥州市・K歯科クリニック(5/11休診のため、5/12に面談)
<被害状況等>
建物や内装には目立った被害はなし。モニター用のテレビ落下、パソコンディスプレイの破損、タービンの調子が悪くなった。
<被災地支援の体験談>
・ 3週間連続で有志12人が水、木曜とボランティアで歯科治療を行った。場所は高田第一中学校。江刺区保険センターのユニットを譲り受けて運び込んだ。
・ 土日は市歯科医師会が行っている
・ 一日1618人を診た。私が見た患者は、急化歯髄炎で3週間痛みを我慢していた。左下7番を抜髄した。7080歳の患者だった。
・ 5月2日からプレハブの仮設歯科診療所ができるので予後を託した。
・ ボランティアのきっかけは、自ら被災しながら避難所で診療をしていた歯科医が土日返上で活動しているのを見かねて有志を募ることになった。
・ 避難所はざわついていて、ブラッシング指導を呼びかける雰囲気ではなかった。かといって、個別指導は一人15分としても2時間で8人しか診れない。ジレンマに陥った。

保団連 東日本大震災 救援復興FAXニュース 30号

*前号に続き、宮城県に入った事務局が会員の先生方を訪問した。

宮城のM先生「津波に襲われたが、流される入所者を助けた」

5月12日は被害の甚大だった仙台市内、名取市、山元町の合計16人の会員を訪問。14人の会員に直接会い、お見舞金を渡すとともに、政府への要望などの聞き取りを行った。

行動地域(仙台市、名取市、山元町)
訪問者名( 1班:澤田(愛知)、平田(兵庫)名取市、山元町、仙台市
2班:土井野(富山)、花山(京都)仙台市)
訪問結果 訪問数  16件(面談 14人、不在等 2人)
お見舞金支給(全半壊・流失 16件)
●5月13日は被害の甚大だった仙台市内の合計5人の会員を訪問。4人の会員に直接会い、お見舞金を渡すとともに、政府への要望などの聞き取りを行った。
行動地域(仙台市青葉区)
訪問者名(1班:小林登(保団連)、平田(兵庫) 2班:土井野(富山)、花山(京都))
訪問結果 訪問数  5件(面談 4件、不在等 0件)
被災状況(全半壊 5件 、一部損壊 0件、その他 0件)
お見舞金支給(全半壊 4件)
【訪問活動のまとめ(訪問活動参加者の感想)】
・会う先生会う先生から歓迎され、喜んでいただいた。「保険医協会にはいつもお世話になっています」という声が多数寄せられた。
・普段の協会活動が会員に支持されていることが実感できる訪問活動であった。・再開に向けて頑張っておられる時期であったので、とても歓迎された。
・ケータイがつながれば救えた命がたくさんあったとの声が印象に残った。ケータイ番号を会員管理のうえからも今後は検討していく必要があると感じた。
・都市計画が決まらないと再開のめどが立たない医療機関もあり、行政への働きかけが非常に大切だと感じた。
・厚生労働省の通知は評判が悪かった。場当たり的対応との批判。                     
M先生(名取市・内科クリニック)
 名取市でオーナーを務めていた診療所、特養、ケアハウス、グループホーム全てが全壊した。現在は、被害の少なかった若林区の老健施設に診療スペースを開設して、診療を再開している。先生は当日を振り返り「名取市の診療所で診療を行っていたが、地震が発生した。地震で防災無線が破壊され、正確な情報が無かったが、地域で唯一の3階建ての建物であるケアハウスに、特養の入所者などを避難させるように指示をし、自身も特養に向かわれた。特養に入ったところで、津波に襲われながらも、流される入所者を助けた。津波は首までの高さに達し、それぞれの施設が孤立状態に。その後、入所者や他施設の利用者など特養にいた人を大広間に集めて、暖をとるために火をおこした。厨房にあった油を使ってたいまつを作り、明かりをとった。また、津波により自宅の2階などで孤立した人を、いかだを作り助けたりした。2日目には、流れてきた船で、避難者全員を陸まで避難させた」と壮絶な体験を語った。「避難中に特養の中で、朝までに多くの人が亡くなった」とし、「医師は医療機器や薬が無ければただの人だということを実感した」と述べた。最終的には入所者など関連施設の利用者164人のうち25%が亡くなった。また、職員も4人が犠牲になったと悲惨な実態を明らかにした。助かった施設利用者は、現在は同法人の老健施設と特養に入っているが、定員の140%になっているとのこと。行政は、いつまでその状態(定数超過)を続けるのかなどといってくるとのこと。また、「名取市の施設は全壊ではなく、強半壊とされ、今後補助金の交付対象などから外れるのではないのか」と懸念を表明した。
O先生(山元町・歯科医院)
 人口比で死者・行方不明者の割合が一番高いといわれる山元町で開業しているO先生は、診療所が冠水。診療所の中は泥だらけで、時計は津波が到来した午後4時2分を指したままとまっていた。震災後、栃木県から訪問診療車を借りて、避難所を回って診療にあたっている。ただ、診療所の普及の見込みは立っていない。先生は「この地域は、震災後、最近まで立ち入り禁止区域だった。最近ようやく日中のみ立ち入りが許可されるようになった。多くの患者さんが亡くなったし、助かった患者さんも避難生活を送っている。現在診療所の近くを走っている常磐線も、震災を契機に内陸部を通すという話もある。そうなれば駅も移転してしまうし、地域が元に戻るのは難しいだろう。同じ場所で再開しても、患者さんが戻ってくるのか分からない。地域の患者さんが避難している地域には、すでに多くの歯科医院があり、そこで開業するのは困難」と今後についての不安を語った。また、「この地域では、建物を行政に取り壊してもらうのかを決める期限が迫っている。復興計画などが決まっていない中で、家や診療所をどうするか決めさせるのは酷だ」と述べた。取り壊しを認める場合は、赤紙に名前を記入して貼り付けることになっており、先生の廻りの民家にはかなりの赤紙が貼られていた。先生は同地で開業して15年になるが、「あと5年で借金も完済するのに、また、大きな借金を抱えることになりそうだ」と先行きの厳しさを語った。
N先生(山元町・歯科)
 診療所が冠水したN先生は、5月20日から、診療所の隣の仮設診療所で診療を再開する。仮設診療所の設置に至った経緯について、「浸水した診療所の復旧には、建築用の部材が手に入らず、時間がかかる。それで、仮設診療所を設置した。診療所の復旧後には、仮設診療所に新しく設置するチェアを移設する予定」と述べた。仮設診療所は買取で設置する場合は、最低限の医療機器を含めても1000万円以上かかるそう。先生は、仮設診療所の建物をレンタルすることにし出費を抑え、診療所の復旧に注力する考え。診療所は、復旧作業がある程度進み、内部の泥は取り除かれていたが、泥をかぶったカルテはそのまま。「検死のために歯型がほしいという遺族からの問い合わせがあるが、なかなか見つけることができない」と述べた。

保団連 東日本大震災 救援復興FAXニュース 29号

59日から13日まで、5人の事務局員が宮城協会に支援に入った。そのうち、10日と11日の行動の概要を報告する。

宮城県S会員「協会はいつも早く対応してくれる」と述べる

5月9日から13日まで、宮城協会被災会員訪問のため、澤田(愛知)、土井野(富山)、花山(京都)、平田(兵庫)、小林登(保団連)の各事務局5名が宮城協会入りした。

5月10日、派遣された事務局員は、被害の甚大だった石巻市と東松島市の会員医療機関や自宅を訪問した。被害状況報告に基づいて医療機関もしくは自宅が全半壊した会員にお見舞金を渡すため。
この日は、4人が2チームに分かれて、合計22人(石巻19人、東松島3人)の会員を訪問。20人の会員に直接会い、お見舞金を渡し、政府への要望などの聞き取りを行った。
以下に概要を報告する。

行動地域(石巻市、東松島市)
訪問者名(1班:澤田(愛知)、平田(兵庫)  2班:土井野(富山)、花山(京都))
訪問結果 訪問数  22件(面談 20件、不在等 2件)
お見舞金支給(全半壊・流失 20件)
【訪問の概要】
S先生(東松島市・現在診療している小野市民センターを訪問)
東松島市で開業していたS先生は、地震で診療所が全壊した。その後、4月18日から、近くの市と交渉し、小野市民センターの応接室で診療を再開している。同センターは地域の避難所になっており、この日も多くの患者さんの治療を行っていた。S先生は国への要望として、「阪神淡路大震災のときは民間医療機関の再建にも補助が出たと聞いた」とし、「今回も同様の措置が必要だ」と述べた。なお、全壊した診療所は、現在再建中で、早ければ5月末にも診療再開の予定だという。
S先生(石巻市・内科クリニック〔分院の内科医院を訪問〕)
S
先生は、石巻市中心部で開業していたが、診療所が津波により流失。弟が院長を務める比較的被害の軽微な分院で診療を再開している。「本院で診ていた患者さんの十数パーセントの患者さんが今回の震災でなくなった」と述べた。本院は、現在政府による建築制限がかかっている地域で、再建のメドも立っていない。さらに、「多くの患者さんが現在も避難所生活を送っており、本院を再建したとしても今後、地域に戻って来ないのではないか」と懸念を語った。
M先生(東松島市・歯科医院)
東松島市の診療所と隣接する自宅が床上浸水したM先生は、「家族を連れて逃げようと思った時には、すでに周囲の道路が冠水しており、自宅の2階へ非難した」「浸水せずに助かったが、その後3日間、水が引かず、家族とともに自宅の2階に閉じ込められた」と当時の様子を語った。診療所は医療機器が全て使えなくなり、大変な損失だ。先生は、「自宅の再建だけでなく、診療所などの再建にも政府の補償が受けられるようにしてほしい」と訴え、7月中には診療を再開させたいと述べた。

11日は、気仙沼市、塩釜市、七ヶ浜町、多賀城市、大和町、大衡村の合計20人の会員を訪問。17人に会ってお見舞金を渡すとともに要望などの聞き取りを行った。

行動地域(気仙沼市、塩釜市、七ヶ浜町、多賀城市、大和町、大衡村)
訪問者名( 1班:澤田(愛知)、平田(兵庫)塩釜、多賀城、七ヶ浜、大和、大衡
2班:土井野(富山)、花山(京都)気仙沼)
訪問結果 訪問数  20件(面談 17人、不在等 3人)
お見舞金支給(全半壊・流失 17件)
K先生(気仙沼・クリニック)
 医療機関は全壊で火災が発生した地域。5月22日より移転、再開。
M先生(気仙沼・医院)
 震災2~3週間後から、軽傷者を対象に診療再開。完全復旧ではない。
M先生(気仙沼・外科クリニック)
 再開の意志はある。場所は決定したが、再開時期は未定。
S先生(気仙沼・小児科)
 4月20日より移転、再開。 こどもに勇気づけられながら楽しくやっている。協会はいつも早く対応してくれる、と非常に頼りに思っておられた。
M先生(気仙沼・整形外科)
 4月26日より週4日で再開。津波で医療機器関係がすべて水に浸かりだめになり、現在借り物を使っている。

保団連 東日本大震災 救援復興FAXニュース 28号

*福島協会の事務局が、福島県田村市の会員の先生方を訪問し、声を聞いた。地元では原発損害の賠償問題が急がれている。

 福島県:「積算の放射線量は、まだまだこれからが問題だ」

福島県の被災地
 安否・被災状況は、会員の96%くらい把握してきました。見舞金や皆さまからいただいた義援金の送金はこれを元にこれから早急に進める予定です。
 当初は、原発事故で入れない地域を除き、津波の被害が伝えられる沿岸部(北と南)から会員訪問を進め、今は、原発事故で立ち入れない範囲(警戒区域)の周辺部(緊急時避難準備区域)からその外側へと、範囲を少しずつ広げながら行っています。それはつまり緊急に避難を強いられた人々の避難経路とも重なります。
 昨10日、事務局・井桁が田村郡小野町、田村市滝根町・大越町・常葉町の先生方15件を訪問しました。いずれも福島第一原発から30Km~40Kmに位置し、あぶくま鍾乳洞などがあります。
「3月だけで300万円近い赤字。」
「自宅は全壊し、更地となったよ。」
「もともと“過疎地”なので、毎年数%程度の人口減少はあると覚悟しているが、高齢単身者など一度子どもの所に避難された方たちが戻ってきてはいるが、震災前の8割程度。医院経営も見直しをしていかなくてはいけない。」
「積算の放射線量に関しては、まだまだ、これからが問題。」
「連休明けからぼちぼちと患者さんが戻ってきてはいるが、農村地帯であり、原発事故の影響により患者減が心配される。」
「町の中核病院の入院機能が回復せず、重症の患者は隣町に送るようになっている。」
「幸いにも電気・水道・ガスが無事であり、3/15休診したのみ。当初は双葉郡内からの避難者への投薬や避難所での診察等。様々な情報による混乱や物資不足で震災後2週目が一番辛く、避難所へ食料を貰いに行きながら診察していた。私(御子息)は、他県に席があり、そこの皆が、食料・水・燃料等の物資を運んできてくれたので助かった。原発事故の影響か、自殺者が増えている。今後も増えそうである。」
等の声が寄せられています。
 また、「避難当初は消防団員(あるいは家族?)が、高血圧の薬などのメモを持参し、薬が欲しいと来院した。緊急時ということで持たせた。」等の話をされていたとのことでした。
 今は避難者はより遠方の避難所に、また旅館等の二次避難所に移られています。先生方の中にも避難された方もおられましたが、今はほとんどの先生が通常診療に戻っています。どの先生も患者数は、2・3割減と応えていたそうです。もちろんこれらの地域は農村部ですが、放射線の影響で作付は行っていますが売れるのかどうかもわからず、地域経済へのダメージは大きく、現在のそして将来の補償の問題も含めどうなるかの展望が見えません。
 ある先生が、「自殺が増えている」と語ったそうです。 将来を展望できる全面的補償がすぐに行われること・約束されることが本当に急がれています。 地域がこういう状況ですので、先生方も医業経営としてもこれからを心配しながら診療を続けています。
 また原子力損害賠償紛争審査会が第3回まで開催され、「・・・原子力損害の範囲の判定等に関する第一次指針」が出されていますが、対象区域は、警戒・緊急時避難対象・計画的避難がメインで、それ以外の地域の損害については「政府等による出荷制限指示等に係る損害について」のみが対象とされ、それ以外は今後の課題とされてしまっています。
 医業自体も、それ以外の業種と同様に「営業損害」での請求となると考えられますが、前述のように周辺地域・福島県内では少なからず経営的影響を受けることとなっており、この損害も補償させることが必要です。
 さらには、第3回審査会に出された厚生労働省提出資料では、医療機関の項目には、病院の標記しかない上、患者目線の損害項目のみです。厚労省に、医科・歯科診療所の項目を明記させ、病院も含め、医療崩壊の中、地域医療を担ってきた医療機関の損害について記述させる必要があります。もちろんこうした指摘を考慮してか欄外に「※経済的被害を受けた患者数、医療機関数、医療従事者などについては、今後精査が必要」と逃げを打っているのも悔しい限りです。