2013年5月25日土曜日

現地レポート46 4/20~21被災地訪問参加記


協会などが主催する被災地コンサートが4月2021日に、岩手県一関市、宮城県気仙沼市の仮設住宅2カ所で開催され、中国の伝統的な民族楽器「二胡」奏者の劉揚(りゅうやん)氏による演奏が行われ、仮設住宅居住者らが参加した。協会からは川西敏雄副理事長、広川恵一理事、中西透評議員が参加し、公立南三陸診療所などで懇談も行った。中西評議員と川西副理事長のレポートを掲載する。

 

再建のために医療へのアクセスを

三田市・歯科  中西  透


 4月20日~21日の被災地訪問と仮設住宅でのコンサートに広川、川西先生と私、劉夫妻、事務局3人の計8人で訪問いたしました。

 当日、東北地方の天気予報が、4月中頃にもかかわらず最低気温が0度近く、雪だと知り、服装にとまどいながら伊丹空港を出発し仙台へ。

 初日は一関市千厩(せんまや、意味:千の馬小屋)中学校跡地の仮設住宅集会所で1回目の劉夫妻の二胡のコンサートを開催し、約40人の被災者の方々が集まり、二胡のあたたかい音色にリズムを合わせておられました。

 その後、同市会議員の金野盛志氏、訪問看護ステーションの菊池優子さんとの懇談会を持ち、その中で被災地の復興が進んでいないのは、あまり報道されていないが、被害に遭遇されお亡くなりになられた人たちの相続が難航していることも、一つの原因であると述べられていました。

 最終日は、気仙沼の山間部は白くなり、その山の中に市営テニスコートに作られた仮設住宅が現れました。そこはバス停も遠く、お年寄りには生活に無理が出るような場所でした。

 集会所には20人ほど集まり、人の声に似ている、二胡のあたたかい音楽に聞き入っておられました。

 コンサート後、仮設住宅の方との懇話会では、「財力に余裕のある方から退所され、老人・弱者が置き去りにされていく」と切実に話されていました。

 国道45号線を、車窓から被災地を見ながら南下し、公立南三陸診療所(仮設)に着き、藤原靖士先生との懇談と見学をし、その中で休日・緊急・入院は約30キロメートル先まで搬送しなければならないと聞き驚きました。

 また2年後には高台への再建をめざしておられるので、被災地の再建とアクセスを考慮して臨んでほしいと伝え別れました。

 その後、帰路に向かう途中、巨大な自然エネルギーに直撃され、人工物の残骸が運び去られた風景を見ました。建造物を全て失った土だけを見ると、その風景が痛々しく感じ、車が行き交う国道45号線とさらに分岐する毛細血管的な道が、この被災地の生活の支えになっていることを痛感しました。

 300キロを運転していただきました事務局の方、今回被災地訪問に関係していただいた方々に深く感謝いたします。

 

住民・被災者中心の復興を

副理事長  川西 敏雄


 今回の訪問については、中西先生が詳細にご報告されているので、私からは特に印象に残ったことのみを述べる。

 気仙沼訪問は〝桜満開と雪景色のコラボ〟 であった。

 前回の訪問は昨年12月であった。中西先生の記事のごとく4月にも関わらず真冬の様相であったが、現地の仮設住宅の方々は(一見)元気そうで安堵した。

 ただ、1~2日だけの訪問では表面しか見えないので、現実のご苦労は察することができるものではないだろう。

 それにしても自治体・国の動きの遅さは目に余るというのが感想である。

 中西先生の記述にあった、懇談会で「仮設からの転出では社会的弱者が取り残される」と危惧されたのは、気仙沼市の小野道子民生委員であった。

 「神戸でも震災から20年近く経っても解決されていない問題がある。借上げ住宅追い出しなどが代表例。本当に困っている方々にお金がまわらずに多くの復興予算がハコモノに使われた」などと懇談した。

 そんな中すでに、東北メディカルメガバンク構想がスタートしている。

 神戸の医療産業都市構想と同じく、住民・被災者軽視の企画とならないことを祈るのみである。

ルポライター古川氏 取材同行レポート


震災復興と神戸医療産業都市構想に関して、フリーのルポライターである古川美穂氏から協会へ取材要請があり、4月6日に武村義人・川西敏雄両副理事長が対応した。翌7日、同氏の取材に同行した川西副理事長のレポートを掲載する。

 

神戸の医療産業都市構想と被災者救済

副理事長  川西 敏雄


 古川氏は雑誌『世界』への掲載原稿作成のため、神戸に取材に訪れた。テーマは「東北メディカル・メガバンク構想」であるとの由。過去の文献を照会したところ、同じような例は神戸の医療産業都市構想しかあがらなかったと来神された。前日の取材で、復興事業や医療産業都市構想の概要と問題点についての説明を受け、7日は市内関連施設を訪問した。

 訪問場所は、①ポートアイランドにある計11カ所の医療産業都市の関連施設、②新長田のアスタくにづか1~6号館、近隣の二葉町近辺の商店街、③西区の神戸テクノロジスティックパークである。

 ①ポートアイランドの医療産業都市の関連施設は、そもそも「阪神・淡路大震災からの復興のため」(ひょうご経済第63号、神戸市震災復興本部総括局 三木孝氏)と位置づけられたとされている。しかし、医療人の私にとっても、中で何をやっているのか全く分からない。一般の市民には、なおのこと分からないであろう。これらは被災者には全くといっていいほど関係がない形となっている。

 ②新長田訪問では、阪神・淡路大震災後再開発の対象とならなかった二葉町付近をまず歩いた。昔ながらの小さな商店が並び、古川氏は「本当に下町で、昭和の匂いがしますね」と言われていた。それに比して、アスタくにづかなど再開発で建設されたハコモノであるビル施設は「全く被災者の顔の見えない復旧復興」と感想を話されていた。

 ③西区の神戸テクノロジスティックパーク(旧・神戸複合産業団地)は武村副理事長の一押しの取材ポイント。広大な平地が存在するが、実はここの山を削った土砂が、ポートアイランドの埋め立てに使われた。

 古川氏は東日本大震災被災地でのギャンブル依存症の問題を取り上げた著書『ギャンブル大国ニッポン』(岩波ブックレット)も書かれており、生活保護受給者らを市民が監視するという小野市福祉給付制度適正化条例の成立についても憂いておられた。

また、古川氏からは、東日本大震災からいち早く立ち直ったという町・岩手県重江の話も伺った。復興成功へのヒントとしては、住民の自主性を尊重し方向性を決めそれを自治体・国が後押しするという図式が背景に感じられた。

 私自身、阪神・淡路大震災が直撃した地元・神戸に暮らしているが、ルポライターである古川氏の目を通してでなければ、今回のように客観的な視察ができなかったと思う。古川氏の言を借りると「復旧・復興に名を借りた“ショックドクトリン”的な被災者軽視の政策が浮かび上がる。今回の原稿に生かしたい」。

 神戸の医療産業都市構想は被災者のためにほとんど役に立っていない。借上げ住宅追い出しなどの事実は、東北メディカル・メガバンク構想の将来をうらなう一つの反面教師であろう。

 阪神・淡路大震災から抜け出せない人々を、兵庫県保険医協会は今なおサポートし続けている。