2011年12月26日月曜日

現地レポート40 姫路市・津田賢治先生より

9月23~25日の東日本大震災被災地歯科医療支援に参加した、協会評議員の津田賢治先生(姫路市・歯科)の参加記を紹介する。


 初日は飛行機で仙台へ。宮城県災対連東日本大震災共同支援センターを訪問、「被災者に歯ブラシを届けよう」募金を託しました。
 その後、宮城県内でのシンポジウム「震災復興と医療再生」に参加しました。シンポジストには、宮城県医師会から桜井芳明副会長、宮城県歯科医師会から細谷仁憲会長、宮城県保険医協会から北村龍男理事長、宮城県災害拠点病院・坂総合病院から今田隆一院長、行政から宮城県保健福祉部・佐々木淳次長、宮城県の各組織や医療団体の代表が参加していました。
 私は歯科医師ですので、5人のシンポジストの中で宮城県歯科医師会の細谷会長の発表が一番印象に残りました。歯科の窮状、高齢者医療における歯科の重要性、歯科からの医療界や行政への要望などを熱心に話されていました。
 シンポの最後に、川西敏雄先生(兵庫協会副理事長)が16年前の阪神・淡路大震災の経験について話されました。先生自身が震災で自宅が全壊し、先生のお父様の診療所と自宅が全壊という状態で再出発されたこと、その時の行政の対応に砂を噛むような想いをたくさんされたこと、同じ経験を東日本大震災被災者にしてほしくないこと、大多数の方々が避難所から仮設住宅への入居が決まってきたこの時期からの注意点、仮設住宅での生活が1年、2年と長引いてきたときに起こる諸問題など、阪神・淡路の経験、データなどを配布しながらお話されました。
 その中で、「被災者は行政に受身の態度で『してもらう』のを待つのではなく被災者自ら一人一人が声を上げてください」とのお話が参加者の胸を打ち、今後の復興の取り組みの背中を押したように感じました。
 2日目は、朝一番に東松島市鳴瀬歯科診療所の五十嵐公英先生のところへ表敬訪問しました。次に、川西先生と小寺修先生の思い出の場所の東松島市矢本保健相談センターと、現在も避難所となっている釜小学校、矢本運動公園の仮設住宅を訪問しました。仮設住宅の自治会副会長2人が口をそろえて仰ったのは、「何もかもが初めての経験で分からないことだらけ。
全てが手探り状態。悩んでばかり」ということです。ここでも川西先生が持参した阪神・淡路の仮設住宅でのデータが喜ばれました。
 3日目は、現在も避難所でもあり震災ボランティアセンターにもなっている湊小学校に行きました。ボランティア団体の「チーム神戸」が支援に入っており、避難所の運営を任されていました。ここでは3月から9月まで歯科往診に来てくれたのは2回きりとのことで、義歯が痛かったり義歯がゆるくて食べにくいと訴えられる方がたくさんおられました。ここで、小寺先生が大活躍されました。手持ちの限られた機械と材料で義歯のリベースや調整をなさり、避難所の方々も大満足の笑顔でした。
 最後に、宮城県の女川市周囲は今回見た中でも被害が最も大きいところでした。まるで原爆投下直後の広島の写真の風景を実際に目で見ているようでした。
 被災者を励ますつもりで行ったにもかかわらず、逆に被災者の笑顔に励まされました。自分の小ささと無力さを恥ずかしく思いました。同じ日本人が大変な事実を受け入れ前向きに頑張っておられます。砂を噛むような思いを笑顔で吹き飛ばしておられます。
 私にとって、とても勉強になった3日間でした。参加させていただき、本当にありがとうございました。