2014年7月15日火曜日

東日本大震災から3年
被災地インタビューその①

住民の不安に寄り添う

福島県南相馬市・雲雀ヶ丘病院 堀有伸副院長


 保団連は4月26日から29日にかけて、兵庫・京都歯科協会とともに青森・岩手・宮城・福島協会の協力も得て東北被災地訪問を行った。福島県南相馬市で医療活動を続けている雲雀ヶ丘病院・堀有伸副院長と、同市の大町病院・猪又義光院長らに、保団連の住江憲勇会長が話を聞いた。今回は、精神科医として被災者の「三つの不安」に向き合う堀副院長のインタビューを紹介する。

■被災地における「三つの不安」

住江 東北被災地のなかでも原発事故による影響で、震災直後から現在に至るまで雲雀ヶ丘病院ではさまざまな苦労があったことと思います。大震災から3年以上たった現在の状況をお聞かせください。

 当院は福島第一原発から北24キロ、福島県浜通りの原発以北で唯一稼働できる精神科病院です。20~30キロ圏内は事故直後は屋内退避指示区域に、その後4月22日から同年9月30日まで緊急時避難準備区域になり、当院も全入院患者を他の地域へ転院させました。原発事故後は地域の高齢化が進みましたが、高齢者施設やヘルパーが不足しているため、南相馬市内で施設に入所できる人はほとんどいません。
 被災地の住民は口には出しませんが、今なおさまざまな強い不安を感じて生活されています。私は被災者の「三つの不安」に対するアプローチが、この地域で精神医療を考えるヒントになると考えています。
 一つは、「現実問題に由来する不安」です。仮設住宅で安心して暮らせない、仕事に復帰できない、生活が困難などの現実の問題は、実際に具体的問題を解決するか、諦めて現実を受け入れることでその不安から解放されるかもしれませんが、精神医療では解決できません。私たち精神科医は、地域社会の復旧・復興を傍らで応援し、お手伝いさせていただくというスタンスが大切です。
 二つ目は、「神経症的な不安」です。原発事故による低線量被曝の影響や、先の見えない廃炉作業などへの過度に悲観的な考え方によるもので、一番見逃されがちです。精神医療が関わるべきかどうか微妙なケースもありますが、望ましいのはカウンセラーなどが寄り添って悩みを聞き、問題解決に付き添うことです。
 最後に、「精神病的不安」です。不安が一定の水準を超え、うつ病や統合失調症などの精神病的症状が強く出ているときは、薬物療法や入院医療など、医学的な治療・管理が必要になります。私たちが病院で中心的に行っていることです。

■アルコール依存症や認知症の進行が深刻

住江 精神医療を必要としている方にはどのような特徴がありますか。

 知的障害が基盤にあって、避難生活に耐えられず行動異常になり入院してくる方は、震災後、明らかに増えています。ただ、当院が入院を再開してから最初は、予想よりも入院患者が少なく、入院適応になる気分障害やうつ病の患者は増えていないように感じました。統合失調症の入院患者数は震災前より減った印象です。
 このことは、必ずしもポジティブにとらえず慎重に解釈したい。一つは、統合失調症や躁うつ病の好発年齢である20~50歳代の人口が地域から流出したことが大きいといえます。また、当院が1年入院を中止していた間に他地域の病院に入院したのかもしれません。一方で、本来はリスクの高い人が震災直後から軽躁的にがんばり続け、疲労が蓄積している可能性があります。実際、脳血管障害や高血圧の人は増えており、ストレスを抱えて休みたい人、休むべき人はたくさんいます。

住江 大震災と原発事故という過酷な体験を経て被災地に留まり暮らしている方々が、さまざまなストレスにさらされ心身ともに疲弊しているであろうことは、20年前の阪神・淡路大震災の経験からも想像に難くありません。阪神・淡路では仮設住宅の独居男性を中心に、心身の疲労や孤独からアルコール依存に陥ることが深刻になりました。

 南相馬市でも、仮設住宅でアルコール依存の人が潜在的に増えているようです。また、恒常的に入院依頼があるのが認知症の患者さんで、数は増えています。原発事故の影響による住環境・人間関係・生活習慣の喪失など、認知症悪化のリスクファクターが南相馬市では明らかにそろっています。深刻なのは、孫や子どもが放射線から逃れるため他県に引っ越したことをきっかけに、抑うつ的になり認知症が一気に進行するケースです。

■不安を抱えられる地域社会に

住江 住環境の整備・改善は最優先課題だと思いますが、阪神・淡路と比べて災害復興公営住宅の整備が東北3県では進まず、依然として多くの方々が仮設住宅で生活していると聞きます。

 阪神・淡路のときの調査で、自宅が全壊・半壊・一部損壊だった方を比較すると、PTSD(外傷後ストレス障害)の発生率に明確な有意差が出ています。PTSDは生活が安定してくると自然寛解しやすいとも言われており、まずは被災者の生活再建が最優先課題です。
 住環境の問題も含め、先ほどの「三つの不安」を地域社会・コミュニティーの中で抱えきれないと、「ここに留まる限り不安は解消されない」と感じ外へ出ていかざるを得なくなります。もちろん、地域を出て暮らすことは必ずしも悪い選択ではありません。ですが、私たちとしては、地域に残り一生懸命被災地で働き生活している人たちの、不安を抱えることのできる地域にするために、貢献したいと思っています。
 同じ目線で関わりを促進しながら基本的な信頼関係をつくり、被災者の心の安定・回復を図ることを目指しています。住民と病院スタッフによる朝のラジオ体操など、できることから取り組んでいます。

住江 地域の不安を抱えるという点で、精神医療を提供する雲雀ヶ丘病院の存在は大きいですね。

 時代・地域を問わず、統合失調症のような精神疾患は人口の約1%の割合で発生すると言われています。地域で生じる不安の底を支える精神科病院があることは、住民が地域で暮らしていく上での安心・安全につながり、とても重要だと思います。

住江 医療費の窓口負担免除・軽減を原発被災者だけでなく、より幅広い被災者に適用すれば、安心して医療機関にかかることができ、平常時の医療ニーズの充足も望めます。被災地医療に奮闘されている堀先生の発信は、私たちにとっても極めて貴重です。保団連も、訪問活動を継続して被災地の状況を全国に伝え続けていきます。
 本日はありがとうございました。


■堀 有伸(ほり・ありのぶ)
雲雀ヶ丘病院副院長。精神科医。1972年東京都生まれ。97年東京大学医学部卒。2001年同附属病院精神神経科助手。08年帝京大学医学部附属病院精神神経科助手。12年福島県立医科大学災害医療支援講座助手(特任助教)。同年4月より雲雀ヶ丘病院勤務

■雲雀ヶ丘病院
1956年開設。大震災発生時は4病棟254床で約190人の患者が入院。震災で全入院患者を県内外の他院へ転院させた後、3カ月間休院。2011年6月下旬から外来を、翌年1月17日から入院を再開。現在は急性期病棟と認知症病棟の各60床・2病棟。福島県立医大災害医療支援講座からの派遣医師も含めた4人の常勤医と、週末や当直の非常勤医師らがいる。震災直後の患者の転院などに奔走した、県精神病院協会会長でもある熊倉徹雄氏が今年4月より院長に就任。熊倉院長を先頭に、精神医療の提供を通じて地域の復旧・復興に取り組んでいる。

(全国保険医団体連合会発行 全国保険医新聞 2014年7月15日付掲載)