2014年7月23日水曜日

東日本大震災から3年
被災地インタビューその②

見えない分断を越えて
福島県南相馬市・大町病院 猪又義光院長、藤原珠世看護部長

 保団連は4月26日から29日にかけて、兵庫・京都歯科協会とともに青森・岩手・宮城・福島協会の協力も得て東北被災地訪問を行った。前回掲載した福島県南相馬市の雲雀ヶ丘病院・堀有伸副院長のインタビューに続き、今回は、看護師不足や在宅医療体制の未整備と向き合いながら、同市の地域医療を支える大町病院・猪又義光院長と藤原珠世看護部長への保団連・住江憲勇会長のインタビューを掲載する(文責は編集部)。

■医療を必要とする人 いかに多いか

住江 震災から3年がたちました。この間、筆舌に尽くしがたいさまざまなことがあったことと思います。

猪又 この3年間、保団連・兵庫協会が被災地や当院を訪問し続けていただいていることに感謝します。全国からの物心両面の応援に、いつも勇気づけられています。もし南海トラフ地震が起きたら、今度は私たちが支援する番ですね。
 3年という時間が経過した気がせず、奇異な感じがしています。原発事故後の3月21日に、全入院患者126人を他の地域へ搬送しました。その頃には地域の住民もほとんどいなくなっていましたが、今振り返ると、大震災・原発事故直後の混乱の中でも「ここに留まっていたい」という気持ちが自分にはあったのだと思います。南相馬に残り医療を必要とする人々に対して、「医療機関がなくなったらどうする」との思いに強くかられ、「私の仕事は医療を提供すること。できることだけやろう」と、翌月の4月4日に外来診療を再開しました。

住江 震災・原発事故からわずかな時間での再開ですね。驚かされます。

猪又 再開できた大きな要因は、常勤医師が戻ってきてくれたことです。外来を中断している間、1日1回は常勤医に連絡をとっていました。診療再開の意思を伝えると、全員が快く「わかりました。すぐ行きます」と言ってくれたのです。
 親しくしている商店街の方が必死になって、門前の調剤薬局一軒一軒に「大町病院が4月4日から再開するぞ」と連絡し、薬剤師に戻ってきてもらったことも大きかったですね。

住江 医療者、地域の方に支えられて再スタートできたわけですね。

猪又 外来診療を再開し、医療を必要としている人がいかに大勢いるかを知りました。外傷の人も含め、たくさんの患者が待合室にあふれ、門前薬局には車や人の長蛇の列ができました。当院だけでなく、他の医療機関から処方箋をもらった患者も、大町病院の再開を聞きつけ門前薬局に駆け込んできたのでしょう。当時、県の地域医療課からの通知で「入院は5床、72時間まで」という規制があり、現場を考えない非常に形式的な措置がとられていました。しかし「責任は俺がとるから」と、手術や入院など、必要な人には必要な医療を提供するよう努めました。なるべく日常診療に近づけていこうと職員に話し、医師・看護師、スタッフらも皆、目の前の診療に徹してくれました。
 病院が医療を提供することは当然ですが、今は、治療内容など医療の質をより一層高めていくことが大事だと思っています。

■原発事故補償の差がスタッフ間に影落とす

住江 患者さんや地域住民の方々の健康状態はいかがですか。

猪又 受診者は県外から来ている除染作業員が多く、毎晩酒盛りをして肝硬変を患う人がいます。また、高血圧症でも糖尿病でも、重症者が増えている印象です。食事の影響も大きいと思います。
 在宅療養も困難になっています。入院してきたおじいちゃん、おばあちゃんが回復して自宅に戻られても、すぐに悪化してまた病院に戻ってこられます。震災後、住環境の変化などもあり、在宅で面倒をみる余裕が家族の方になくなっているのです。

藤原 強制的な退院・避難などで多くの患者が医療的に保護されず、仮設住宅入居後も精神的、内科的な疾患を悪化させています。在宅医療・地域医療を支える本格的なチームワークが求められていますが、訪問看護師、訪問看護ステーションも不足しています。地域医療を支えるスタッフをいかに集めるかが常に課題です。
 当院においても、もともと100人いた看護師が80人くらいまでは戻ってくれていますが、不足は続いている状態です。来年は何人入ってくれるだろうかと考えると先が不安になります。避難先で子どもの学校も始まって生活が定着し、南相馬に戻りにくくなっています。加えて、震災・原発事故後から地域に残り頑張ってきたスタッフも、3年が経過して相当疲れが出ています。

住江 看護師の皆さんが戻ってこられるような環境づくりも、大事ですね。

藤原 ええ。それには学校など生活基盤を整えていくことが必要です。そうしないと、看護師を含め若い世代の人たちが南相馬に戻ってこられません。
 それに、原発事故が当院の看護師を含め職員間にも大きく影を落としており、住んでいる地区によって元の家に戻れる人と戻れない人、窓口負担が免除されている人とされてない人など、3年たっても分断が起きています。住民に医療を提供しなければならないという思いで一緒に仕事をしていますが、福島第一原発の廃炉や放射線の影響について展望が見えないなかで、同じ気持ちで前に進んでいくことが困難になり、いろいろな心の葛藤があるのが現実です。 
 看護師間の気持ちの分断を乗り越え、どう心をまとめていけるか、今年の課題だと感じています。「病院全体が地域医療を支える立場で動こう」と院長が方針を出しているので、そこに向かって看護師としてどう医療を提供するのか、本来の医療従事者としての魂に響くものを病院内でつくり出していきたいと思っています。

■問われる国・県の役割

住江 生活再建の将来展望を示さず、しかも被災者の間に分断を持ち込むようなことは許されません。 
 3年前の震災直後に被災地へ行ったとき、ある被災者から「阪神・淡路大震災では、復興にどれくらい時間がかかったのですか」と聞かれました。長い期間がかかると答えて落胆させることもできないし、かといって無責任に期待を抱かせることもできない。何とも言いようのない気持ちにさせられました。そういう方々が震災・原発事故から立ち直っていくのを後押しすることこそが、県政や国政の役割のはずです。しかし実際に国がしていることは、原発政策でも被災者の気持ちを踏みにじってばかりです。

猪又 先ほどの入院ルールも同様ですが、震災後、県や国は被災者の実態を顧みず、何かと規制するときだけ出てくるのも現場の者としては妙な感覚を抱きました。

藤原 放射線の影響で福島に「見えないものによる分断」がある現状は、全国に伝えていかなければとも感じています。

住江 私たち保団連・各協会も被災地訪問を通じて、被災地の現状を全国に伝え続けたいと思います。本日はありがとうございました。




■猪又義光(いのまた・よしみつ)
大町病院院長。専門は消化器科。1944年福島県生まれ。東京慈恵会医科大学卒。医学博士。日本消化器病学会専門医。日本消化器内視鏡学会専門医。

■藤原珠世(ふじはら・たまよ)
 大町病院看護部長。1958年福島県浪江町生まれ。87年より前身医療法人の猪又病院に勤務。2005年より現職

■大町病院
 1877年(明治10年)に開設した前身の医療法人慈誠会・猪又病院時代を含め、約130年の歴史を持つ。2004年に猪又病院を引き継ぎ、医療法人社団青空会・大町病院として診療開始。震災時は一般病床104床、療養病床84床。14年7月現在は一般80床、療養60床。常勤医11人。全国各地からボランティア看護師などを受け入れている。福島第一原発から25キロに位置する。

(全国保険医団体連合会発行 全国保険医新聞 2014年7月25日付掲載)

2014年7月15日火曜日

東日本大震災から3年
被災地インタビューその①

住民の不安に寄り添う

福島県南相馬市・雲雀ヶ丘病院 堀有伸副院長


 保団連は4月26日から29日にかけて、兵庫・京都歯科協会とともに青森・岩手・宮城・福島協会の協力も得て東北被災地訪問を行った。福島県南相馬市で医療活動を続けている雲雀ヶ丘病院・堀有伸副院長と、同市の大町病院・猪又義光院長らに、保団連の住江憲勇会長が話を聞いた。今回は、精神科医として被災者の「三つの不安」に向き合う堀副院長のインタビューを紹介する。

■被災地における「三つの不安」

住江 東北被災地のなかでも原発事故による影響で、震災直後から現在に至るまで雲雀ヶ丘病院ではさまざまな苦労があったことと思います。大震災から3年以上たった現在の状況をお聞かせください。

 当院は福島第一原発から北24キロ、福島県浜通りの原発以北で唯一稼働できる精神科病院です。20~30キロ圏内は事故直後は屋内退避指示区域に、その後4月22日から同年9月30日まで緊急時避難準備区域になり、当院も全入院患者を他の地域へ転院させました。原発事故後は地域の高齢化が進みましたが、高齢者施設やヘルパーが不足しているため、南相馬市内で施設に入所できる人はほとんどいません。
 被災地の住民は口には出しませんが、今なおさまざまな強い不安を感じて生活されています。私は被災者の「三つの不安」に対するアプローチが、この地域で精神医療を考えるヒントになると考えています。
 一つは、「現実問題に由来する不安」です。仮設住宅で安心して暮らせない、仕事に復帰できない、生活が困難などの現実の問題は、実際に具体的問題を解決するか、諦めて現実を受け入れることでその不安から解放されるかもしれませんが、精神医療では解決できません。私たち精神科医は、地域社会の復旧・復興を傍らで応援し、お手伝いさせていただくというスタンスが大切です。
 二つ目は、「神経症的な不安」です。原発事故による低線量被曝の影響や、先の見えない廃炉作業などへの過度に悲観的な考え方によるもので、一番見逃されがちです。精神医療が関わるべきかどうか微妙なケースもありますが、望ましいのはカウンセラーなどが寄り添って悩みを聞き、問題解決に付き添うことです。
 最後に、「精神病的不安」です。不安が一定の水準を超え、うつ病や統合失調症などの精神病的症状が強く出ているときは、薬物療法や入院医療など、医学的な治療・管理が必要になります。私たちが病院で中心的に行っていることです。

■アルコール依存症や認知症の進行が深刻

住江 精神医療を必要としている方にはどのような特徴がありますか。

 知的障害が基盤にあって、避難生活に耐えられず行動異常になり入院してくる方は、震災後、明らかに増えています。ただ、当院が入院を再開してから最初は、予想よりも入院患者が少なく、入院適応になる気分障害やうつ病の患者は増えていないように感じました。統合失調症の入院患者数は震災前より減った印象です。
 このことは、必ずしもポジティブにとらえず慎重に解釈したい。一つは、統合失調症や躁うつ病の好発年齢である20~50歳代の人口が地域から流出したことが大きいといえます。また、当院が1年入院を中止していた間に他地域の病院に入院したのかもしれません。一方で、本来はリスクの高い人が震災直後から軽躁的にがんばり続け、疲労が蓄積している可能性があります。実際、脳血管障害や高血圧の人は増えており、ストレスを抱えて休みたい人、休むべき人はたくさんいます。

住江 大震災と原発事故という過酷な体験を経て被災地に留まり暮らしている方々が、さまざまなストレスにさらされ心身ともに疲弊しているであろうことは、20年前の阪神・淡路大震災の経験からも想像に難くありません。阪神・淡路では仮設住宅の独居男性を中心に、心身の疲労や孤独からアルコール依存に陥ることが深刻になりました。

 南相馬市でも、仮設住宅でアルコール依存の人が潜在的に増えているようです。また、恒常的に入院依頼があるのが認知症の患者さんで、数は増えています。原発事故の影響による住環境・人間関係・生活習慣の喪失など、認知症悪化のリスクファクターが南相馬市では明らかにそろっています。深刻なのは、孫や子どもが放射線から逃れるため他県に引っ越したことをきっかけに、抑うつ的になり認知症が一気に進行するケースです。

■不安を抱えられる地域社会に

住江 住環境の整備・改善は最優先課題だと思いますが、阪神・淡路と比べて災害復興公営住宅の整備が東北3県では進まず、依然として多くの方々が仮設住宅で生活していると聞きます。

 阪神・淡路のときの調査で、自宅が全壊・半壊・一部損壊だった方を比較すると、PTSD(外傷後ストレス障害)の発生率に明確な有意差が出ています。PTSDは生活が安定してくると自然寛解しやすいとも言われており、まずは被災者の生活再建が最優先課題です。
 住環境の問題も含め、先ほどの「三つの不安」を地域社会・コミュニティーの中で抱えきれないと、「ここに留まる限り不安は解消されない」と感じ外へ出ていかざるを得なくなります。もちろん、地域を出て暮らすことは必ずしも悪い選択ではありません。ですが、私たちとしては、地域に残り一生懸命被災地で働き生活している人たちの、不安を抱えることのできる地域にするために、貢献したいと思っています。
 同じ目線で関わりを促進しながら基本的な信頼関係をつくり、被災者の心の安定・回復を図ることを目指しています。住民と病院スタッフによる朝のラジオ体操など、できることから取り組んでいます。

住江 地域の不安を抱えるという点で、精神医療を提供する雲雀ヶ丘病院の存在は大きいですね。

 時代・地域を問わず、統合失調症のような精神疾患は人口の約1%の割合で発生すると言われています。地域で生じる不安の底を支える精神科病院があることは、住民が地域で暮らしていく上での安心・安全につながり、とても重要だと思います。

住江 医療費の窓口負担免除・軽減を原発被災者だけでなく、より幅広い被災者に適用すれば、安心して医療機関にかかることができ、平常時の医療ニーズの充足も望めます。被災地医療に奮闘されている堀先生の発信は、私たちにとっても極めて貴重です。保団連も、訪問活動を継続して被災地の状況を全国に伝え続けていきます。
 本日はありがとうございました。


■堀 有伸(ほり・ありのぶ)
雲雀ヶ丘病院副院長。精神科医。1972年東京都生まれ。97年東京大学医学部卒。2001年同附属病院精神神経科助手。08年帝京大学医学部附属病院精神神経科助手。12年福島県立医科大学災害医療支援講座助手(特任助教)。同年4月より雲雀ヶ丘病院勤務

■雲雀ヶ丘病院
1956年開設。大震災発生時は4病棟254床で約190人の患者が入院。震災で全入院患者を県内外の他院へ転院させた後、3カ月間休院。2011年6月下旬から外来を、翌年1月17日から入院を再開。現在は急性期病棟と認知症病棟の各60床・2病棟。福島県立医大災害医療支援講座からの派遣医師も含めた4人の常勤医と、週末や当直の非常勤医師らがいる。震災直後の患者の転院などに奔走した、県精神病院協会会長でもある熊倉徹雄氏が今年4月より院長に就任。熊倉院長を先頭に、精神医療の提供を通じて地域の復旧・復興に取り組んでいる。

(全国保険医団体連合会発行 全国保険医新聞 2014年7月15日付掲載)

2014年6月4日水曜日

現地レポート51(2)

東日本大震災 現地レポート51(2)
現状を知り、思い新たに

兵庫協会は4月27日〜29日、東日本大震災被災地を訪問。前回に続き白岩先生のレポートを掲載する。

2014年4月26~29日東日本大震災被災地訪問(前)


2014年4月26~29日までの4日間、東日本被災地訪問に参加した。今回の被災地訪問では、保団連会長・住江先生が、私たち兵庫県保険医協会の28回目の訪問に初めて同行された。つぶさに兵庫県保険医協会の結束力と被災3県協会との連携と交流の深さに驚かれ、今後の東日本被災地への復興支援運動に弾みがついたといえる。            

憲法25条における「生存権」の重みを実体験し、常に憲法理念のもと、兵庫県保険医協会として医療運動を実践しているが、今回の被災地訪問の一番の目的に、憲法を守り抜く立場を鮮明に解き明かしていくことを念頭に置いた。
しかしながら被災地では、「受け入れていただく」「関わらせていただく」「学ばさせていただく」という気持ちが常に必要で、継続した訪問活動がどのように展開させなければならないかを考えていかなければならない。下記報告は、前半の2日間である。

■岩手県野田村
今回の被災地訪問では、2つのグループに分かれて、視察及び訪問を行った。私の参加したグループでは、4月26日青森県八戸市に現地集合し、広川理事を団長に即座に結団式を行い、決意表明のごあいさつがあり本格的に被災地訪問が始まった。
26日の初日は、広川先生から青森県保険医協会の紹介があり、原発に対する住民運動の実態を学んだ。明くる日27日。午前6時50分に八戸市を出発。南下して岩手県に入り、広川先生から岩手県保険医協会の紹介があり、現地の復興支援を学んだ。具体的には、まず最初に野田村役場を表敬訪問し、行政の立場から復旧・復興支援の具体的政策を、小屋畑勝久教育次長からお聞きした。
野田村は、昨年NHKの朝の連続ドラマの「あまちゃん」でも一部紹介された。野田村では、三陸鉄道の早期復旧再開、応急仮設住宅から公営復興住宅への居住区移設充実、医療施設の公営にて再開など衣食住の充実が震災約2年で行われており、被災地の中では急速に復興の進んだ市町村である。平成の大合併に参加しなかったことが、復旧・復興が進んだ要因と、教育次長は結んだ。
市町村合併をしなかったことから約4900名の住民が震災前から声かけ運動が進み、都会のような隣近所の交流がないわけでなく、一人一人の責任がコミュニティーを形成していった過程が推測される。
私たちが野田村を訪問したあと、安倍総理大臣が野田村を視察し、野田村を例に政府の被災地政策が進んでいると発表した。一部分の復興成功例を取り、被災地全域の復興が進んでいるかのようなコメントは、やめていただきたいと思った。
次に南下し、田野畑村に入り、江戸時代に多発した飢饉の際、住民団結による一揆の歴史を学んだが、今の時代のように、署名運動の大切さ、住民の度重なる嘆願書提出、住民による住民のための命を守る運動の基本を学んだ。

■岩手県田野畑村
岩手県には原子力発電所が建設されていない。しかしながら政府案では岩手県にも建設計画があった中、事前に建設反対運動を発展させた開墾村に居住して、医療の立場から運動主導をされた保健師の96歳・岩見ヒサさんのご自宅を訪問した。
貧困の戦時下の国民生活から医療の充実を行い、開墾して理想の村をつくる苦悩、子育て支援の大切さ、社会保障の充実こそが開墾していく場合には必要であり、家族制度の在り方などの総合的思考が、岩手県に原子力発電所建設をストップに導いたのではないかと察しつつ、約2時間お聞きしたが、96歳とは思えない語り口。そして女性の社会進出にも言及され、胸を強く打たれた。社会資本の充実は、今の福祉の原点となり、フォーマル、インフォーマルの整備が、介護の充実につながるという、介護保険法成立にも関与している貴重な体験談を聞く機会となった。開墾村の歴史を知ることで、被災地となる現在、生きる喜びも重ねて学んだ。

■岩手県陸前高田市
こうした学びの中で、陸前高田市や気仙沼市の津波被害と復旧・復興支援体制を見ると、兵庫県保険医協会の医療訪問の活動が、継続的に計画される理由が自然と噛み砕かれていく。
陸前高田市では、ベルトコンベアによる盛り土政策や奇跡の一本松が、日本中で有名となる中、被災者の皆さんが、全国からの支援金で建設された、「朝日のあたる家」を訪問した。
知的障碍者の方々、発達障碍者の方々が、地域の方々と一体化して自立支援組織化され住民の憩いの場所となり、健常者と精神的に悩みのある方々、被災以後の心の悩みを共に分かち合う組織及び施設が、「朝日のあたる家」である。継続した兵庫県保険医協会の訪問により、いつの間にか初対面の私にも温かい目を向けていただいた。
「朝日のあたる家」では、音楽を通しての交流も行われている。兵庫県保険医協会も、音楽交流訪問をしており、幅広い活動こそが、被災地の方々と心が一つになれることを確認した。

■宮城県気仙沼市
このようにして、岩手県をあとにして宮城県に入り、まずは広川先生から宮城県保険医協会の紹介があり、次に訪問させていただいた気仙沼市では地元医師会長・森田潔先生との懇談、さらに気仙沼市での地元ボランティア、仮設住宅自治会・自治会長、ボランティア医師、管理栄養士の方々を交えての懇談会で、気仙沼市の復興の現実の隠れた問題点が浮き彫りとなる。
例えば、地元の住民の懇願とは違う県知事や県の被災政策。個人情報保護法の為に、住民自治が機能しない重大事項、仮設住宅を分散化したために、仮設住宅同士の問題などである。計画的な復興のため、新しい町つくりは必要不可欠であるが、気仙沼市のような津波被害の大きな町では、敢えて遺産として建造物を残して、建造物と共存しつつ再生の議論も必要でないかと個人的に感じた。

森田医院を訪問







気仙沼市内での懇談











■訪問前半を通じて
今回の被災地視察と医療訪問で、明白となったのは、仮設住宅の分散化による住民の心理の分散化、プライバシーの保護の名のもと、政府や都道府県単位の行政の対応の遅さ。特に仮設住宅の劣悪な住居から起きる健康被害は、震災関連死の原因ではないかと思われる。
完全に憲法25条の生存権を無視した、劣悪な仮設住宅から早期の公営住宅転居を進めなければならない。
今回の訪問で感じたキーワードは、「分断」である。家族の分断、住民の分断、職場の分断、教育の分断、医療福祉の分断、行政の分断など。これらは、目に見えない部分が多く、高齢化する家族崩壊や高齢化率30%を超える超高齢化市町村の現状を、さらに悪化させて心労の疲弊につながっていく。
これは、被災地に限ったことではなく、全国的に潜在する問題である。そして兵庫県保険医協会として、開業医の権利や生活の保障を主張する中では、エゴに取られないよう、市民や国民を巻き込んだ市民運動の重要性を訴えつつ、他府県でありながらも東日本被災地では、阪神淡路大震災を経験した兵庫県保険医協会ならではの医療運動の中に、被災地医療支援策も練り、盛り込み、全国的な社会保障制度充実を強く継続して訴えていかなければならない。
兵庫県保険医協会、個々の会員の意見集約をしつつ、被災地訪問を通しての住民との連携の重要性を学びつつ、マスコミの報道しない部分にも着目しなければならない。全国10万人の会員を抱える保険医協会ならではの被災地医療支援策も熟慮断行しなければならない。
人は窮地に立たされた時に、振り返って見つめる人たちに会釈を忘れることさえ有り得る。歴史上のキリシタンの踏み絵のような政府政策にも挑んでいかなければならない。
まだまだ被災地訪問では語り尽くせないことばかりであり、前半の2日間だけでもまだ語り尽くせない。後半の2日間も大きな体験となった。
訪問先で合流した福島県保険医協会・菅原浩哉事務局長、京都府歯科保険医協会・平田高士理事・浜辺勝美事務局長、宮城協会・北村龍男理事長・鈴木和彦事務局長、保団連・住江憲勇会長への感謝の念は言うまでもない。
日常の地元地域医療充実に微力ながら尽力しつつも、訪問にも継続して参加させていただきたい。

2014年4月26~29日東日本大震災被災地訪問(後)

兵庫県保険医協会の被災地訪問に、昨年の11月に引き続いて参加した。貴重な経験を通して、被災地の現状から、いかにして復興対策を医療運動に転換すべきかを考える日々となった。前半2日間の参加記に引き続いて、後半2日間の参加記を綴らせていただく。

■福島県へ
4月28日は、岩手県や宮城県とは全く異なる福島県に入った。岩手県や宮城県は、大震災による津波被害による復興支援対策が急務である。特に劣悪な仮設住宅から公営住宅への移転が急がれるが、福島県では大震災による津波被害だけでなく、世界最大規模の福島第一原発事故による生活再建が急がれる。ところが、東京電力の無能さ、政府の情報公開をしない姿勢でなおかつ秘密保持体制。放射線被曝という目に見えない怪しい悪魔との戦いが目に付く。

■雲雀ヶ丘病院
福島県南相馬市・雲雀ヶ丘病院を訪問すると、昨年11月に面会してくださった副院長・堀有伸先生と再会出来て嬉しく感じた。保団連会長・住江憲勇先生、京都歯科保険医協会・平田高士理事、浜辺事務局長、兵庫協会から藤田事務局長と楠課長と合流した。福島県保険医協会事務局長、菅原様とも合流した。
堀先生から病院長、2人の常勤医師、鎌田看護師長を紹介された。雲雀ヶ丘病院では、保団連住江会長から、「現地を訪問して、現地の方々と共感して、共有した全てを全国に必ず発信していく」と、心強いご挨拶をしていただいた。この病院は、精神科の専門病院であるが、堀先生のお話では、原発事故によるPTSDの患者さんは見られない。三世代同居だった多くの多人数家族が分断され、核家族化された影響による高齢者の認知症患者さんが圧倒的に増えたとの解説をしていただいた。支援者の支援の必要性を訴えられた。つまり、医師看護師は、患者さんの医療支援を行っているが、医師看護師不足による、医療従事者が疲弊しない政策を訴えられた。
政府が介入するならば、必ず継続性ある安心安全な対応及び政策を取っていただきたいとの熱い現実をお聞きした。
昨年訪問した時から堀先生が、たった半年間で変わられた。東大病院や東大研究所から、南相馬市に、原発事故以後に飛び込んで来られた堀先生が、半年前、本当に東大病院を辞めて南相馬市に来て良かったのだろうか、哲学を専門に研究を継続しておけば良かったのではないかという迷いの吹っ切れておられる姿が印象的だった。堀先生のような全てを放り出して、原発事故以後に敢えて被災地に飛び込んでいかれる医師に、憧憬の念が強くなった。


雲雀ヶ丘病院で堀先生からお話を伺った













■大町病院
次に訪問した南相馬市・総合私立病院・大町病院では、猪又義光院長先生と藤原珠世看護部長が対応をしてくださった。猪又院長先生は、南相馬市から病院を無くさない、そして地域に根付く医療をという、原発事故以後も変わらぬ医療方針で、必死に患者さんと向き合う姿が印象的だった。老人保健施設を、南相馬市に必ずつくるという壮大な夢も持ち続けておられる。  
藤原看護部長は、看護師不足解消のため、毎日病棟とあらゆる対策のため奔走されている。南相馬市は、福島第一原発から20キロ圏内の避難地域も抱えている。避難区域の方々は、仮設住宅から今後、公営住宅に移住される。
しかしながら病院の医師看護師不足が顕著だと医療の質が落ちかねない。政府は、社会保障改悪を断行しているが、原発事故は人災であり、本気で福島県の実情を改善する気持ちがあるのかと思ってしまう。猪又院長先生は、兵庫協会のように、処方箋調剤薬局の重要性、管理薬剤師の方々との協力も訴えられた。
大町病院では、南相馬市内に住ながら原発事故後の住民の分断を研究している元高校教師で、現在詩人の若松丈太郎様を交えて詩を朗読しながら議論を展開した。原発事故は政府による人災で、ありのままの事実を情報公開しながら、全国に真実を発信していく責任が、地元住民として、地元行政として、政府としてあり、相互交流の必要性を意見交換したことは、貴重な体験となった。
福島県でもキーワードは、「分断」である。家族の分断、自治会の分断、教育の分断、職場の分断、地域コミュニティーの分断、などは被災地に共通している。後半初日は、南相馬市の病院を訪問して、保団連会長・住江先生のご挨拶が重みを持ち、兵庫県保険医協会の継続性ある支援体制に対して驚かれていた。
大町病院で懇談したみなさんと














■飯舘村
4月29日。飯舘村を、いいの診療所・松本純先生が案内してくださった。飯舘村の復旧・復興の遠いかげりを感じた。飯舘村の現実問題に、どうしようもない苛立ちを覚えた。放射線線量が高く、住民はいつ自宅に戻れるか、全く予想もつかない。飯舘村は、全国的にも救済の声が高い村である。自然の美しい村である。原発対策を考えるのは、医師歯科医師も、国民の命を守る職業人として、政策を立案し、政府に訴えていかなければならない。その前に、確実に事実を全国に発信していく必要性も高い。
飯舘村を松本純先生(右)に案内していただいた















■被災地訪問を通じて
今回の被災地訪問に参加して、兵庫県保険医協会の結束力が被災地の方々の閉ざされた心を、少しずつ溶かしているように思う。兵庫県民ならば心を開こうとされる被災地の人たちの姿が目立った。
けれども、被災地に入った限りは、私たちも必死で、本気で、体当たり。継続した事業であるからこそ、見えてくる真実がある。保険医協会会員は、全国に10万人いる。みんなが被災地医療の現況を知り、共有し、発展展開していくことで、潜在的な問題も顕在化していく。
福島県では、福島県保険医協会事務局長・菅原様に2日間大変お世話になった。福島県保険医協会と兵庫県保険医協会の信頼関係も強くなっていくと確信した。保団連・住江会長が、兵庫県保険医協会の真剣そのものを、目の当たりにされたことは、今後必ず実を結ぶと信じて止まない。

■宮城県亘理町・鳥の海歯科診療所
私たちのグループは、合流したグループと飯舘村で分かれ再度北上、宮城県仙台市に入り、仙台市や亘理町の防潮堤を見学し、亘理町の鳥の海歯科診療所を訪問した。所長の上原忍先生と、宮城県保険医協会理事長の北村龍男先生・鈴木事務局長と懇談させていただいた。
鳥の海診療所は仮設診療所なのに、歯科診療所として最高最新の設備にびっくりした。技工室の充実にも愕然とした。歯科医師の上原先生の歯科医療の充実に賭ける夢や希望を心底感じた。
宮城協会理事長、北村先生のぬくもり、鈴木事務局長のご配慮にも感謝している。
鳥の海歯科診療所で上原先生(後列中)と














■さいごに
岩手県、宮城県、福島県の被災3県保険医協会に共通して、2014年3月11日、震災3年の日に兵庫県保険医協会が贈った哀悼及びエールのメッセージを喜んでくださったことを、お会いして身に染みて感じた。
私は、昨年に引き続いて被災地訪問に参加させていただき、兵庫県保険医協会には深く感謝している。
被災地医療に携わっておられる先生方は、全国の医師歯科医師の代表として、命がけで被災地医療に従事されている。私は、必ず兵庫県民として、兵庫県保険医協会会員として、引き続いて被災地の生活再建に向けて、被災地の皆さまと共に、立ち向かって行きたいと思う。
かけがえのない尊い命を共に感じて‥……。

兵庫県赤穂郡上郡町 歯科医師 白岩一心