2011年5月23日月曜日

現地レポート34 施設利用者の25%が死亡 壮絶な現場の実態

津波到来時で止まった時計
 5月10日も、被害の甚大だった気仙沼市と塩釜市、多賀城市、七ヶ浜町、大和町、大衡村の会員医療機関を愛知協会、富山協会、京都協会から参加した4人の事務局員が訪問。合計17人の会員に直接会い、お見舞金を渡すとともに、政府への要望などの聞き取りを行った。兵庫協会の平田と愛知協会の澤田事務局次長は人口比で死者・行方不明者の割合が一番高いといわれる山元町を訪問。同地で開業しているある会員は、診療所が冠水。診療所の中は泥だらけで、時計は津波が到来した午後4時2分を指したままとまっていた。震災後、栃木県から訪問診療車を借りて、避難所を回って診療にあたっている。ただ、診療所の復旧の見込みは立っていない。先生は「この地域は、震災後、最近まで立ち入り禁止区域だった。最近ようやく日中のみ立ち入りが許可されるようになった。多くの患者さんが亡くなったし、助かった患者さんも避難生活を送っている。現在診療所の近くを走っている常磐線も、震災を契機に内陸部を通すという話もある。そうなれば駅も移転してしまうし、地域が元に戻るのは難しいだろう。同じ場所で再開しても、患者さんが戻ってくるのか分からない。地域の患者さんが避難している地域には、すでに多くの歯科医院があり、そこで開業するのは困難」と今後についての不安を語った。また、「この地域では、建物を行政に取り壊してもらうのかを決める期限が迫っている。復興計画などが決まっていない中で、家や診療所をどうするか決めさせるのは酷だ」と述べた。先生は同地で開業して15年になるが、「あと5年で借金も完済するのに、また、大きな借金を抱えることになりそうだ」と先行きの厳しさを語った。
 診療所が冠水した会員は、5月20日から、診療所の隣に仮設診療所で診療を再開する予定。仮設診療所の設置に至った経緯について、「浸水した診療所の復旧には、建築用の部材が手に入らず、時間がかかる。それで、仮設診療所を設置した。診療所の復旧後には、仮設診療所に新しく設置するチェアを移設する予定」と述べた。仮設診療所は買取で設置する場合は、最低限の医療機器を含めても1000万円以上かかる。先生は、仮設診療所の建物をレンタルすることにし出費を抑え、診療所の復旧に注力する考え。診療所は、復旧作業がある程度進み、内部の泥は取り除かれていたが、泥をかぶったカルテはそのまま。「検死のために歯型がほしいという遺族からの問い合わせがあるが、なかなか見つけることができない」と述べた。
プレハブの仮設診療所
 また、名取市でオーナーを務めていた診療所、特養、ケアハウス、グループホーム全てが全壊した会員は、現在は、被害の少なかった若林区の特養に診療スペースを開設して、診療を再開していた。先生は当日を振り返り「名取市の診療所で診療を行っていたが、地震が発生した。地震で防災無線が破壊され、正確な情報が無かったが、地域で唯一の3階建ての建物であるケアハウスに、特養の入所者などを避難させるように指示をし、自身も特養に向かった。特養に入ったところで、津波に襲われながらも、流される入所者を助けた。津波は首までの高さに達し、それぞれの施設が孤立状態に。その後、入所者や他施設の利用者など特養にいた人を大広間に集めて、暖をとるために火をおこした。厨房にあった油を使ってたいまつを作り、明かりをとった。また、津波により自宅の2階などで孤立した人を、いかだを作り助けたりした。2日目には、流れてきた船を利用し、避難者全員を陸まで避難させた」と壮絶な体験を語った。「避難中に特養の中で、朝までに多くの人が亡くなった」とし、「医師は医療機器や薬が無ければただの人だということを実感した」と無念そうに語った。最終的には入所者など関連施設の利用者164人のうち25%が亡くなり、職員も4人が犠牲になったと悲惨な実態を明らかにした。助かった施設利用者は、現在は同法人の特養に入っているが、定員の140%になっているとのこと。「行政は、いつまでその状態を続けるのかといってくる」「名取市の施設は全壊ではなく、強半壊とされ、今後補助金の交付対象などから外れるのではないのか」と行政の対応に不満を述べた。
 
2011.5.11
 兵庫県保険医協会事務局 平田雄大