2011年5月28日土曜日

保団連 東日本大震災 救援復興FAXニュース 33号

*前号に続き、宮城協会に入った事務局の51819日の行動を報告する。

宮城県E先生「復興は産業優先。医療機関が抜けている」

行動日(5月18日)
行動地域(仙台市宮城野区、石巻市)
訪問者名(村上(愛知)、樋下(京都))
訪問結果 訪問数 2件(面談 1件、不在等 1件)
被災状況(全半壊・流失 1件 、一部損壊 0件、その他 0件)
お見舞金支給(全半壊・流失 1件、一部損壊  0件)
【訪問の概要】
E先生-医科-(石巻市の診療所が全半壊、昨日仙台市青葉区の自宅を訪問したが不在。電話連絡で診療所の片付けに行っていらっしゃるとのことで石巻市の診療所を訪問)
<被害状況>「診療所兼自宅の1階診療所部分が全壊。内視鏡、レントゲン等機器も全滅。1階の天井まで水が来たので、その後ぼろぼろと天井が落ちてきている。開業11年目で、機械もちょうど入れ替えたところだった。
 地震当日は、直後に従業員を帰し、高いところへ避難するよう指示。自身は母親とともに家に残った。北上川からあふれた津波が徐々に周囲に押し寄せてきて、水かさが増していった。川上に向かって避難する車が渋滞を作っていたが、川上からも水が押し寄せてきて車は流されてしまった。そのうち階段も2階まで残り2、3段のところまで水がせまってきたので、母親をロフトに避難させた。突然知らない人が二人ベランダから入ってきたので、えらく早く救助が来たかと思ったが、車がたまたまうちの家に流れ着いて、そこから脱出してきた人だった。結局そこで水は止まった。その後第二波、第三波と津波が来るたび、家がぎしぎしと揺れて、火事も見えていた。
 はじめの1週間は、冷蔵庫の中身でしのいだ。しかし飲み水がなくて大変困った。外に出られるようになって裏の山の沢水を汲みに行った。3日間水が引かなかったが、4日目からは港小学校の診療支援に入った。避難所も当初は極度に飲み水・食糧が不足していて、一日二口分くらいしか水がなかった。支援に入ったことで、水を少しもらうことができたが、そのような状況なので申し訳なかった。1週間後でも一人一日おにぎり一つだった。」と甚大な被害の状況を語っていただいた。
<今後の見通し>「はじめは再開しようと思いヘドロを掻き出していた。同級生や助かった患者さんからも再開して欲しいという要望がある。しかし、新しい都市計画がどうなるのか。診療所前の国道から川よりは住居が建てられないと聞いている。人が住まないとなると診療圏がなくなってしまう。患者さんもたくさん亡くなった。昨日、宮城県のガスが復旧して支援組織の解散式があったが、ここはまだガスが復旧していない。結局港の近くは再建対象ではないということか。私はここで育った。私もがんばらなくちゃと思うが、今の状況を客観的に考えると、ここでの再建は99%無理だと思うようになっている。当初は、その日毎にがんばろうと思うことと、無理だと思うことが変わり、夜中に目が覚めてそのことを考えて眠れなくなっていた。従業員は一時解雇とした。再開するときには声をかけると言ったものの・・・。
 しかし、いまだ瓦礫に取り囲まれ、満潮時には周囲は冠水し、長靴でも歩けない。医療機関なので優先的に撤去してもらえないかと行政に陳情もしたが、道路の復旧が優先だとして、要望としてお聞きしますという程度。いままで市に対して健診や予防注射など協力してきたが、結局そのことは考慮されない。行政の受付もよそからの応援隊で、これまで繋がりがある健診担当部署と、瓦礫対応の部署が違うからだろうか。
 病院でもない診療所は、結局個人商店の一つとして考えられている。医師会もクールだ。被災者支援は呼びかけるが、被災会員を助けようという機運はない。
 瓦礫と水を毎日見ているともう嫌になる。こんなところにどうやって年寄りが歩いてくるのか。診療所を直して再開しても収支は合わないでしょう。会計士もいままでと同じ体制では無理と言っている。
 復興は産業優先で、医療機関が抜けている。結局ここは無医地区になる。はかなく消えるしかないのか。個人商店でもこれまで地域医療を担ってきたのに」と語られた先生と石巻市の瓦礫の山の現状を目の当たりにして言葉がない。
<協会への要望>「休業保障の保険料は、そのまま引き去られ続けるのか。口座に入金がない中で不安だ。また、天災での休業は対象にならないと聞いて、使えればずいぶんと助かるのにと思う」と話されていた。

行動日(5月19日)
行動地域(仙台市宮城野区)
訪問者名(村上(愛知)、栗城(保団連))
訪問結果 訪問数 1件(面談 1件、不在等  件)
被災状況(全半壊・流失 1件 、一部損壊  0件、その他  0件)
お見舞金支給(全半壊・流失 1件、一部損壊 0件)
【訪問の概要】
T先生-歯科-(多賀城市の診療所が全半壊、仙台市宮城野区の自宅を訪問)
<被害状況>多賀城市のジャスコ内で診療していて、被災。本人、家族、従業員はみんな無事。
<今後の見通し>ジャスコの再開が不明なので、そのまま再開する目途がつかない。他所での診療再開を考えて探した。中野栄駅前に3年前から空いている歯科医院(後藤歯科)があり、銀行から融資もしてもらえることになった。6月を目処に診療を再開する。
<協会への要望>取りあえず、銀行から融資を受けられたが、無利子の融資などがあれば、助かる。
 「6月に診療再開」とうれしそうに語られた先生の笑顔が印象的だった。