*5月16日から19日にかけて3人の事務局が宮城協会会員支援に入った。16日と17日の2日間の報告を行う。
宮城:「もうこうなったら心機一転でやるしかない」5月16日から19日まで、今回の大震災で全半壊に遭われた宮城協会の被災会員の最終訪問行動のため、村上(愛知)、樋下(京都)、栗城(保団連)の各氏3名が宮城協会入りした。
5月16日午後3時に集合し、打合せを済ませ、亘理郡亘理町の被災会員を村上(愛知)、樋下(京都)チームが訪問し、お見舞金をお渡しした。
5月17日は、午前9時から仙台市青葉区、若林区、太白区 泉区の被災会員12人を村上(愛知)、樋下(京都)チームと宮城協会の事務局の方の協力もいただき、青井(宮城)、栗城(保団連)チームの2チームで訪問し、お見舞金をお渡しした。
5月18日は、仙台市宮城野区の被災会員の自宅と昨日訪問した仙台市青葉区のご自宅がお留守だった被災会員が石巻市の診療所の瓦礫の後片付けに行っていらっしゃるとの電話で、村上(愛知)、樋下(京都)チームが石巻市の診療所を訪問し、お見舞金をお渡しした。
5月19日は、今回訪問する予定名簿の最後の被災会員で昨日お留守だった仙台市宮城野区の会員と連絡が取れたので村上(愛知)、栗城(保団連)チームで自宅を訪問し、お見舞金をお渡しした。
今回の最終訪問行動では、14人の被災会員や奥様に直接お会いし、被災の状況、診療再開の見込みや現状、政府への要望などお聞きした。
以下に16~17日の概要を報告する。
◆行動日(5月16日)
◇行動地域(亘理郡亘理町)
◇訪問者名(村上(愛知)、樋下(京都))
◇訪問結果 訪問数 1件(面談 1件、不在等 0件)
◇被災状況(全半壊・流失 1件 、一部損壊 0件、その他 0件)
◇お見舞金支給(全半壊・流失 1件、一部損壊 0件)
【訪問の概要】
*M先生-医科-(仙台市青葉区の診療所は被災なし、自宅(亘理町内)を訪問)
<被災状況>津波が自宅一階に流入、全半壊状況。Ipodで自宅の様子を画像で見せていただいた。ログハウスの階段がはずれ、ピアノとともに壊れていた。現在、津波被害地域の再建計画が未定のため今後への見通しは立たず、アパートを借りている状況。
従業員2人の自宅が津波で被害を受けた。
<診療の状況>停電、断水にともない透析が不可能になった。12日は薬でしのいで13日に消防(応援に来ていた愛知の消防)から患者受け入れ可能な病院がある旨連絡があった。14日から本格的に患者を移送し、機材、スタッフも送ることで透析治療を継続できた。スタッフの人件費は持ち出し、3、4日で終わったので何とかなった。その後、電気が復旧し、水は給水車が手配でき、一週間後には自院で透析を再開できた。再開後の変化として、避難の影響で透析患者数が90人から80人に減少した。今は、夜間の透析は取りやめている。今は医薬品の供給には問題ない。
<要望>医療全体の連携、連絡体制の構築が必要。患者の移動の調整は大変。非常時に対応できるよう自家発電施設の必要性がある。30Aの発電機を借りてやってみたが、まったく能力不足で機械類を動かすことはできなかった。業者に調べてもらったら500Aの能力が必要だといわれた。高額な施設になるので個人では難しい。公的な補助があると助かる、と語っておられた。
◆行動日(5月17日)
◇行動地域(仙台市青葉区、若林区、太白区 泉区)
◇訪問者名(村上(愛知)、樋下(京都))
◇訪問結果 訪問数 9件(面談 8件、不在等 1件)
◇被災状況(全半壊・流失 9件 、一部損壊 0件、その他 0件)
◇お見舞金支給(全半壊・流失 8件、一部損壊 0件)
【訪問の概要】
*N先生-医科-(石巻市の診療所が全半壊、自宅(仙台市青葉区)を訪問)
ご自宅で奥様からお話を伺う。「石巻の診療所は津波被害2メートルで全壊。すべてひっくり返って泥をかぶっている。当初診療所まで往復5時間かかった。今はようやく1時間ちょっとで行くことができるようになった。ボランティアの方にもがんばってもらって、ようやく1階が見通せるようになった。地震直後は、自家発電が動いたので、なんとか診療所で出産できた。5分後に津波が来た。スタッフが10数人残ってくれたので手術ができた。患者さんは4人だった。
ちょっとしたことで生死が分かれてしまった。亡くなられた方は気の毒としか言いようがない。スタッフはすぐに解雇せざるを得なかった。えっ、という感じだったが、被害の大きさから納得してくれているのではないか。車がみんな流された。またスタッフ一人は家が流された。今後の見通しと聞かれても、まだ建てちゃいけないということで再開はペンディング。お国次第である。とりあえずバイトでしのごうかと考えている」と悲痛な思いを語られた。
*H先生-歯科-(仙台市泉区の診療所が全半壊、診療所を訪問)
被害状況をご本人と奥様から伺った。「診療所は地震でまるで爆弾を落とされたような被害で全壊。もとが田んぼだったので地盤が弱かったのか。家主から1ヵ月以内に出て行くように言われている。地震発生時は、休憩中で患者はおらず、奥様とスタッフの3人。幸いけがもしなかった。患者は近くの先生に場所を借りて継続して診ることができた。あと二人残っている」と語られた。
今後の見通しでは、「開業してまだ3年目で借金も2000万円残っている。次を始めないといけない。融資が必要になるが、以前事故をしているので保証協会がダメというかもしれない。そうなると国民金融公庫しかないか。とりあえず運送屋に機材を預けようと思っている。次の場所はまだこれから。市場調査もしないといけない。もう、心機一転やるしかないね」と懸念と意欲の複雑な思いを語られた。