いわき・湯本、仙台・宮城協会、陸前高田、盛岡被災地訪問報告
兵庫県保険医協会 西宮芦屋支部
広川内科クリニック 広川 恵一
広川内科クリニック 広川 恵一
目的
今回は兵庫協会としてできる震災対策の一環として
- 地震・津波・原発事故の被災地の課題をさまざまな立場から身近に聞かせていただくこと
- われわれのとりくみでできることを明らかにすること
- 被災地と兵庫協会・会員の距離をさらに近づけること
- 協会の10月の日常診療経験交流会での交流と講師をお願いする
- とりわけ協会および講演を引き受けていただける先生に現地で直接お願い~連絡を取る
- あわせて<被災地の生活と医療と看護>の講演をいただく先生方への献本と
- 西芦支部としては阪神淡路大震災後から交流のある旧名塩仮設住宅の自治会長・北田昭三氏が仮設在住時からいまも人々の交流の目的で手作りされている大きな24面体サイコロを二日前に託されそのうち7個を現地に届ける
参加者は清水映二研究部長と黒木直明次長と私の三名。
行程
(16日)東海道線→常磐線→いわき・湯本/湯本泊
(17日)湯本→いわき→郡山→仙台→仙塩街道→大和IC→関IC→陸前高田病院→花巻南IC一→盛岡南IC/盛岡泊
訪問先
16日(土)
ゆもと・新つた/女将・若松佐知子氏
17日(日)
宮城協会/北村会長・井上副会長・野路事務局長
陸前高田/青森協会 大竹会長・広野事務局長・中村前事務局長
盛岡/石木幹人県立高田病院院長
16日(土)は福島・いわき・湯本で原発事故現場から49kmのところです。
いわき・湯本には小学校時代からの友人がこちらの病院で勤めています。
新大阪を午後1時47分に発って湯本には午後7時9分の着でした。
湯本は事故現場から温泉地としては一番近いところにあり、住民は十分な情報がなく被曝の不安を大きくもって生活されています。
緊急時避難準備区域に指定されているおもに広野町からの人々(最大時80名余り現在49名)と原発関連で作業している人たち(最近では愛知県からの機動隊50名)を受け入れています。
ここでは3月11日以降繰り返す地震と原発事故被害について詳しく現場のお話しをうかがいました。
28軒ある旅館がすべて宿泊できない休館状態で営業再開の将来の見通しがもてない状態。
災害時での雇用保険の失業手当受給期限が来年5月まで延長可能となったことからそれまで再開は無理ということかとか、原発事故収束に数十年かかるということは再開は無理かとかという不安があり、毎日の生活のこととしては、一日前初めて戸外で布団を干したが大丈夫だろうかということをはじめとして 、被爆はどれほど深刻なものかなど情報が入っていないこと多くの問題がありました。
スーパーでの野菜は「福島県産」・「茨城県産」・「その他」と書かれていて、福島県産はただのような値段だそうです。
地震が続いていますがその中でも4月11日・7月11日(7月10日でなくその翌日)には湯本を震源地とする地震があったが全国的には大きく報道されず、それは原発が近くにあるからではないかとのことでした。
それに別に有名な人に来てもらおうとは思っていないが来てくれる人もなく、この地は忘れられているようでそれがさびしく感じられるということでした。
彼女には阪神淡路大震災でのボランティア活動以後、西芦支部での震災メモリアルでも協力を得ている二胡奏者・劉揚のCD二作目を前回5月の訪問時に手渡して館内放送をしてもらって、避難されている人たちに喜んでもらっています。
女将からも劉揚の奥さんに電話で話してその模様を伝えられています。
このたび一作目のCD(これは劉揚の手元にも在庫がありません)を届けました。
彼自身そのようなことがあったので現地で演奏会ができることをつよく希望しており、女将も場所や声かけなど市役所とも協力して日程を調整してコンサートを企画したいとのことです。
今回訪問の3名がその協力に当たることになりました。
宿泊は<新つた>に便宜的に泊めてもらいました。
朝は職員の方に挨拶して6時に出たところそれを聞いた女将が駅まで追っかけてきて、朝食に用意してくれていた握りたてのおにぎりを二個ずつ三人に届けてくれました。
17日(日)は午前6時30分に湯本を発って仙台に午前9時26分着。
午前10時から宮城協会北村会長・井上副会長・野路事務局長と1時間懇談・打ち合わせ。
診療はほぼ復旧していますが(診療科によっては無医地区状態のところはまだあります)、
仮設でのPTSD、アルコール・精神領域の問題や孤独死に対する対応をすすめるため震災を経験した兵庫協会からケアマネ・ヘルパー・保健師などスタッフにサポートができる医師などの派遣のお願いを受けました。
これはこちらの方で宮城協会と連絡をとりながら整理して具体的に対応できるようすすめたいと考えます。
阪神淡路大震災の経験や記録が十分に活かされているとは言い難く、一部負担金の免除の要件が厳しく失業手当をもらっている場合は免除の打ち切りとなるようで運動面で取り上げてほしいとのことでした。
この秋の協会の日常診療経験交流会にお話しに来ていただける歯科医師の紹介を宮城協会にお願いしていたところ、亘理町で津波に診療所を流された鳥の海歯科医院の上原忍先生より協会での会談の時間中に奥様から電話が入り、先生からの伝言で「これは被災を受けた私たちの義務と思います」と快諾をいただきました。
仙台から塩竃までの仙塩街道を通り大和ICから東北自動車道に入り一関ICで降り、午後3時過ぎに県立陸前高田病院の跡地で青森協会の大竹先生、広野事務局長、中村前事務局長と合流しました。
高速道路は一関IC出口混雑で2kmに半時間かかりました。
これも問題になっていることで、被災証明・罹災証明・罹災証明届出証明で申請すると自動車道が無料となることで(ETCはその点検ができないので)、通過する車はほとんど無く一般出口がその点検作業もあるので時間がかかった次第です。
県立高田病院の周囲は無人で瓦礫が所々に山のように寄せ集められ、それ以外に回りに何もなく荒漠とした状態で、太陽がぎらぎら照りつける中砂埃が舞いハエがまとわりついてくる中で立ったまま15分話し合いを行いました。
陸前高田の人口は2万4千人でうち死者・行方不明者およそ2千人、倒壊した家屋は3千戸。10人に一人が犠牲となるという大きな被害を受けています。
未だ荒漠とした病院前で意見交換を行った |
三陸での長期の医療支援が必要であることで、行政は1ヶ月の期間の医師支援がほしいとのことですが、それは診療の継続もさることながら交通費を気にしてのことのようでもあるようだ、とのことでした。
研修医の派遣という意見も出されているとのことですが、あくまで被災地の中で学ぶことのできる指導医などの条件と健康・精神面を支える体制があってのことで、単なる労働力にしないようにすることが大切で研修医派遣の場合はそのあたりの注意が必要になります。
岩手・三陸については青森・岩手協会と連絡をとりながら、医療ニーズをつかむことが課題になると思いました。
陸前高田は1mの地盤沈下がありもとの住所に戻りたいという人、戻りたくない人・決めかねている人たちさまざまで、陸前高田市の再建は極めて難しいものがあるようです。
大槌町の同じく医院を流され学校にあった机一つから仮設診療所を作って診療を開始された植田俊郎先生にその場で電話して快諾を得ました。
大槌町には車では午後5時到着となりその時間は植田先生にすでに予定が入っておられ、お会いできる時間がとれず電話でのお願いになりましたが、日常診療経験交流会の趣旨はじめ今回の目的について十分にお話しすることができました。
帰りは車の中にハエがたくさん入り込んでいて、すべて追い出すのに一関のインターまでかかりました。
青森協会はハエ取り紙を現地に届けて喜ばれたそうです。
現場に身を置くこと・話しをよく聞くことの大切さをあらためて感じました。
こちらのハエはそう大きくはなかったですが大竹先生によると、釜石のハエはかなり大きいそうです。
また青森協会はインターネットでの通信環境をととのえるということで、連携のとれる医療機関にパソコンの提供などすすめて情報の収集や対応に役立てているとのことでこのことも学ばせてもらいました。
花巻南のインターに向かい盛岡南で降り、午後7時に盛岡で待ち合わせして陸前高田病院の石木幹人院長とお会いできました。
病院の被害は甚大で津波は病院の4階の高さまで押し寄せ、15人の患者さん・8人の職員が犠牲になり、病院の屋上で160名が取り残されました。
陸前高田市は先に触れたようにもともと2万4千人の地域で高齢化率34%。
市民の76%が被災し(南三陸町、大槌町は被災率50%、)開業医が7人中2名がなくなり、県立高田病院の先生一人が辞職され、「陸前高田から高校も病院もなくなるのではないか」と心配する市民の声もあるとのことです。
医療課題も医療への期待もきわめて多く、石木先生は職員と力を合わせて被災地医療の責任を果たされています。
この模様はNHK・ETV特集<失われた3万冊のカルテ~陸前高田・ゼロからの医療再生~>で報道されています。
被災の状況とわれわれが何かお手伝いできることなどうかがい、兵庫県保険医協会日常診療経験交流会についてこれまでの歴史から説明させていただき、あらためてこの秋に来ていただけること快諾をいただきました。
(個人的なことですが、私が中期研修にお世話になった指導医の野宮順一先生が彼のいとこにあたることが分かりお互いにとても身近な感じを持つことができました)
翌日は午前7時半に盛岡を発ち車で仙台に、仙台から東北新幹線で帰りましたが、おそらくは<東北六魂祭>と三連休ということもあってか、東京駅まで指定席は終日満席でした。
被災地の課題の多さに16年前を思い出しますが、広域であり津波被害に加えて原発事故でもともと医療過疎であったところでの災害だけにその被害の実態には依然として筆舌に尽くせないものがあります。
これは自分たちの課題であり、考えられることをすすめていくことができればと思います。
宮城協会での会議で繰り返しお話ししたことですが 、今回の日常診療経験交流会への講師のお願いということでおわるのでなく、震災へのとりくみは長期につづきこれからもさまざまな形で交流を続けていくことができればと考えています。
今回は実にいろいろな意味で大切な機会になったと考えています。
震災・災害対策は発災後からはじまるのでなくそれまでからあるということを今回のいわき・宮城・陸前高田・盛岡の訪問でまた痛感した次第です。
今回を踏まえてこれからのとりくみ
- 宮城協会から依頼があったPTSD・精神疾患・孤独死などについてのケアマネ・ヘルパー・民生委員・保健師サポートのための講師派遣
- 日常診療経験交流会の東日本大震災企画のとりくみ 1)前夜の座談会・交流内容 2)翌日の講師の移動にあわせたプログラム編成
- いわきでの(原発事故にかかわる)講演会とコンサート(”ほっと一息コンサート”)と健康相談(健康と医療を語る会) ボランティア活動をはじめとしてさまざまな形のかかわりについて検討することなど。 とくに健康相談では地域の医療課題が鮮明に見いだせる場所であることを位置づける。 1)該当協会への報告・相談と協力をいただく 2)保団連・被災地各協会からの協力をいただくようにする 3)地元・行政との協力を得るなど 4)兵庫協会の震災対策で位置づけ
- 被災地から日常診療経験交流会に来ていただく先生とこれからの交流
- 青森協会・宮城協会・岩手協会・福島協会との連絡・連携
- その他
おわりに
東北は遠く移動にとても時間がかかります。
従って現地では事前に準備しておいて短時間に要件をすませていく段取りが重要になり同時に(逆に)移動の時間を使って問題点の整理や共通の認識を深めることもできます。
今回は三名の参加メンバーでこの二つがきめ細かくできてよかったと思います。