協会などが主催する被災地コンサートが4月20~21日に、岩手県一関市、宮城県気仙沼市の仮設住宅2カ所で開催され、中国の伝統的な民族楽器「二胡」奏者の劉揚(りゅうやん)氏による演奏が行われ、仮設住宅居住者らが参加した。協会からは川西敏雄副理事長、広川恵一理事、中西透評議員が参加し、公立南三陸診療所などで懇談も行った。中西評議員と川西副理事長のレポートを掲載する。
再建のために医療へのアクセスを
三田市・歯科 中西 透
4月20日~21日の被災地訪問と仮設住宅でのコンサートに広川、川西先生と私、劉夫妻、事務局3人の計8人で訪問いたしました。
当日、東北地方の天気予報が、4月中頃にもかかわらず最低気温が0度近く、雪だと知り、服装にとまどいながら伊丹空港を出発し仙台へ。
初日は一関市千厩(せんまや、意味:千の馬小屋)中学校跡地の仮設住宅集会所で1回目の劉夫妻の二胡のコンサートを開催し、約40人の被災者の方々が集まり、二胡のあたたかい音色にリズムを合わせておられました。
その後、同市会議員の金野盛志氏、訪問看護ステーションの菊池優子さんとの懇談会を持ち、その中で被災地の復興が進んでいないのは、あまり報道されていないが、被害に遭遇されお亡くなりになられた人たちの相続が難航していることも、一つの原因であると述べられていました。
最終日は、気仙沼の山間部は白くなり、その山の中に市営テニスコートに作られた仮設住宅が現れました。そこはバス停も遠く、お年寄りには生活に無理が出るような場所でした。
集会所には20人ほど集まり、人の声に似ている、二胡のあたたかい音楽に聞き入っておられました。
コンサート後、仮設住宅の方との懇話会では、「財力に余裕のある方から退所され、老人・弱者が置き去りにされていく」と切実に話されていました。
国道45号線を、車窓から被災地を見ながら南下し、公立南三陸診療所(仮設)に着き、藤原靖士先生との懇談と見学をし、その中で休日・緊急・入院は約30キロメートル先まで搬送しなければならないと聞き驚きました。
また2年後には高台への再建をめざしておられるので、被災地の再建とアクセスを考慮して臨んでほしいと伝え別れました。
その後、帰路に向かう途中、巨大な自然エネルギーに直撃され、人工物の残骸が運び去られた風景を見ました。建造物を全て失った土だけを見ると、その風景が痛々しく感じ、車が行き交う国道45号線とさらに分岐する毛細血管的な道が、この被災地の生活の支えになっていることを痛感しました。
300キロを運転していただきました事務局の方、今回被災地訪問に関係していただいた方々に深く感謝いたします。
住民・被災者中心の復興を
副理事長 川西 敏雄
今回の訪問については、中西先生が詳細にご報告されているので、私からは特に印象に残ったことのみを述べる。
気仙沼訪問は〝桜満開と雪景色のコラボ〟 であった。
前回の訪問は昨年12月であった。中西先生の記事のごとく4月にも関わらず真冬の様相であったが、現地の仮設住宅の方々は(一見)元気そうで安堵した。
ただ、1~2日だけの訪問では表面しか見えないので、現実のご苦労は察することができるものではないだろう。
それにしても自治体・国の動きの遅さは目に余るというのが感想である。
中西先生の記述にあった、懇談会で「仮設からの転出では社会的弱者が取り残される」と危惧されたのは、気仙沼市の小野道子民生委員であった。
「神戸でも震災から20年近く経っても解決されていない問題がある。借上げ住宅追い出しなどが代表例。本当に困っている方々にお金がまわらずに多くの復興予算がハコモノに使われた」などと懇談した。
そんな中すでに、東北メディカルメガバンク構想がスタートしている。
神戸の医療産業都市構想と同じく、住民・被災者軽視の企画とならないことを祈るのみである。