2011年5月16日月曜日

現地レポート30 宮城県東松島市と石巻市の避難所を巡って

宮城県東松島市と石巻市の避難所を巡って
       —5月3〜5日の支援活動報告—


「保険でより良い歯科医療を」兵庫連絡会
神戸市北区開業 井尻博和


 去る5月3〜5日の3日間、小寺修先生 (三田市)、川西敏雄先生(中央区・兵庫県保険医協会理事)、都築紀子先生(美馬市・徳島県保険医協会会員)と私の4名の歯科医師と協会事務局の黒木氏、岡林氏の2名の合計6名のチームで、宮城県東松島市(4カ所)と石巻市(3カ所)の7カ所の避難所を巡って支援活動を行なったので、ここに報告する。
 準備にあたっては、飛行機による現地入りで持って行けるものが限られ、思いつくものは出来るだけ滞在する予定の仙台市内のホテルに宅配便で事前に届けた。歯ブラシ、スポンジブラシ、ディスポミラー、ディスポピンセット、紙コップ、ティッシュコンディショナー、ネオダイン、水硬性セメント、ゴム手袋等である。出発前日には技工所である六甲歯研の橘田氏からは充電式モーターを含むデンチャー修理道具一式が完備されたケースをご厚意で提供していただいた。また、神戸常磐大学の高藤真理先生から誤嚥性肺炎を起こさないための被災者啓蒙用ポスターの雛形の情報をいただき、出発当日の朝にポスターを作成して備えた。
 5月3日9時30分仙台空港着のJALの臨時便で宮城県入り。仙台空港から滞在する仙台市のホテルにタクシー2台で向かったが、途中海岸から離れていくにもかかわらず田んぼの真ん中でひっくり返っている車がいたるところにあり、津波の被害が広範囲に渡っていることをあらためて実感した。
 ホテルにチェックインして、届いている物品を整理してタクシー2台で活動拠点となる東松島市の保険相談センターをめざした。タクシーの中で、川西先生がレンタカーを借りた方が活動しやすいのではとご提案。持参したiPad2で調べて問い合わせると奇跡的に6人乗りの車が塩竈市に夕方1台戻ってくるという。東松島市からの帰りは塩竈市をめざすことを決定。毎日タクシー2台で避難所を移動するというのはかなり無理があり、活動するにあたって非常に助かった。川西先生の大英断である。

 東松島市保健相談センターでは、井上博之先生(宮城協会副理事長)と保健師の桜井さんがお出迎え。お二人の指示に従って、東松島市内の矢本東市民センター(総数13人の避難者)に向い、川西先生のご提案で4人の歯科医師を2班に分けて活動することになった。この避難所ではちょうど2部屋あったので、ペアになった小寺先生と私は奥の部屋を担当した。奥の部屋では、92歳の元気なおばあちゃんとお孫さんの二人だけ滞在されていた。以前にも歯科医療チームが入ったことがあるようで、特に口腔内に問題はなかったが持参したスポンジブラシを手渡し歯石の付着したデンチャーを小寺先生が研磨。この日はこの1カ所だけで活動を終え、帰りはJR代替えバスとJRを乗り継いで塩竈市までレンタカーを取りに行った。
 5月4日は、東松島市の保険相談センターで診療所が津波の被害で診療不能となられた五十嵐公英先生(宮城協会理事)とお会いして、先生の案内で午前中は東松島市の関の内学供(33人)、石巻市の釜小学校(144人)の2カ所、午後からは釜会館(19人)の1カ所で活動した。途中、青葉中学校(419人)にも行ったが国際援助隊の支援活動が昼から来るとのことで重なり、活動は控える。


 関の内学供では、53歳の男性が左上4番の咬合性外傷によるPの急性発作を起こしていたので、この日ペアとなった徳島の都築先生持参の5倍速のマイクロモーターで咬合調整を行いジスロマックとボルタレンを投薬。咬合調整では私の持参したライト付きの2.5倍率の拡大鏡もたいへん役立った。







 釜小学校では、管理されている職員の方に歯ブラシや含嗽剤を手渡したのち、私のチームは体育館を半分に分けて右側のエリアを担当した。声を掛けて回ったが東北人の控えめな気質なのか、なかなか心を開いてくれない。奥の方に進んでようやく一人、59歳の女性より「入れ歯がゆるいのでみてもらおうかな」と要望があり、ティッシュコンディショニングをして喜んでいただいた。それを見ていた隣の人がやってきて、「では私もお願いしたい」と言い出して同様の処置をする。この体育館の職員の方に許可をいただき、啓蒙用のポスターを洗面所に貼らせていただく。


 お昼は五十嵐先生の案内で津波により壊滅した石巻市内が見下ろせる日和山公園において、コンビニで買ったおにぎりで昼食をとった。午後は被害のさらに大きかった地区にある釜会館へ移動した。車を止めてドアを開けたとたんに、あまりの悪臭に思わず急いでマスクを装着。なんでも海岸沿いにあった肥料工場が流されたとのことで、肥料の混じったヘドロが充満していたのである。この会館では4メートルまで津波が襲ってきたとのことで、2階のぎりぎり近くまでその後が残っていた。この避難所でも、入れ歯がゆるいということで私のチームは宮大工のお仕事をされている75歳の男性の上下総義歯のティッシュコンディショニングをする。小寺先生とその患者さんと共に、4人で一緒に記念撮影。 
 ホテルへ向かう帰りに、五十嵐先生の案内で被災されたご自身の東松島市鳴瀬歯科診療所を訪問する。肩の高さまで泥を被り診療不能となっていたが、先生の明るく気丈なお人柄に東北人の力強さを感じた。


 5月5日は、保険相談センターの桜井さんの指示で東松島市の小松学供(37人)と中下地区センター(41人)の2カ所で活動。小松学供ではリーダーの64歳男性の下顎のデンチャーがゆるんでいるとのことで、診ると唯一残存している鉤歯である右下3番の動揺が著しくティッシュコンディショニングを行った。この方も自宅が流されてしまったということで、新聞で報道されたご自宅のあたりの悲惨な写真を拝見。誤嚥性肺炎のことをお話させていただき、啓蒙用のポスターを貼って頂くようにお願いした。中下地区センターでは、特に問題のある方はなく、67歳女性の汚れていたデンチャーの研磨を行った。
 午後からは、五十嵐先生の診療所にこの日に届いたばかりの診療バスを見学しに再び訪問した。いきさつは聞きそびれたが、京都府歯科医師会から無償、無期限で貸し出してくれたとのことである。1台のみのチェアーではあるが、これでさっそく診療が出来ると大喜びされていた。使わなかった歯科材料や薬などすべて先生に託し、小寺先生からは購入したばかりの携帯用モーターが寄贈された。全員で診療バスの前で記念撮影。先生にお湯を沸かして頂いた、カップうどんが最高においしく感じられた。

   
 レンタカーを空港近くの営業所まで返し、仙台空港から帰路についた。3日間で避難所7カ所を巡り、合計歯科医師4名で口腔内診査を含めて28名の診療をして、その内容をカルテに記載。今後につながるようにと原本のカルテは保険相談センターの桜井さんに手渡し、複写したカルテは記録用に持って帰った。3日間とも天気が良かったので、各避難所とも自宅の片付けやお葬式で出かけている方が多く滞在している方々は少なかった。その分、じっくりと被災された時のお話を聞きながら診療できたのは、幸いであった。
 今回の避難所での活動を終えて、役立ったものを思いつくまま以下に列記する。
 レンタカー、充電式モーター(ハンドピースと5倍速マイクロモーター)、切削用バー、研磨用バー、ディスポミラー、咬合紙、ティッシュコンディショナー、デザインナイフ、トリミング用の曲ハサミ、ライト付き拡大鏡、カルテ1号用紙と複写用のカーボン紙、筆記用具、手鏡、ゴム手袋、マスク、白衣、啓蒙用ポスター。
 今回の避難所巡りにおいては、事前の事務局の宮城協会との打ち合わせがあったからこそ活動が成り立った。とても単独で出来る事ではないことが実感された。震災後2カ月近く立つが、宮城県内においても牡鹿半島あたりの避難所などまだまだマンパワーの行き届いていないところが多く存在するという。足立了平先生(神戸常磐大学教授)が指摘される福祉避難所として要介護者が多く搬送されている介護施設などへのケアも今後の課題であろう。
 私自身、「保険でより良い歯科医療を」兵庫連絡会の「被災者に歯ブラシを届けよう」募金を企画した一人として、どうしても東日本大震災の被災者に直接歯ブラシ等の口腔内ケア用品を届けたいという強い思いを実現できたことが、何よりも大きな喜びであった。
 最後に私のわがままな直前の支援活動チームへの参加の申し出にもかかわらず快く送り出していただいた藤田事務局長と、現地での活動を支えていただいた宮城協会の井上先生、五十嵐先生、当協会の黒木氏、岡林氏に深く感謝を申し上げたい。

2011年5月11日水曜日

現地レポート29 厚生労働省の場当たり的通知に募る不安

干されているカルテ
 前日に引き続き5月11日も、被害の甚大だった気仙沼市と塩釜市、多賀城市、七ヶ浜町、大和町、大衡村の会員医療機関を、保団連支援隊として愛知協会、富山協会、京都協会事務局員4人が訪問。合計17人の会員に直接会い、お見舞金を渡すとともに、政府への要望などの聞き取りを行った。
 兵庫協会の平田と愛知協会の澤田事務局次長とが訪れたある会員は、地震当時を振り返り、隣のセブンイレブンは跡形もなく流された。地震が起こったあと、すぐに停電し、防災無線も聞こえなかった。携帯電話でワンセグを見た患者さんの、『津波が来る』との声で、スタッフと患者さん全員で高台に逃げた。危機一髪だった」と述べた。海水の影響で、水につかった医療機器はすぐに錆びて使えなくなってしまったそう。多くの患者さんが亡くなったため、家族から歯型の提供を求められるが、PCが水没し、データの復旧を急ぎたいと述べた。また、「震災に関する厚生労働省の通知が、場当たり的でよくわからない。今後、当分診療できないので、その間の情報不足が不安だ」と語った。協会からは、これまでの厚生労働省の通知を解説した資料をお渡しするとともに、宮城協会に電話いただければ、いつでも疑問に答えると説明した。
 また、診療所が冠水したある会員は、5月23日には部分的にでも診療を再開したいと、本日もスタッフの方と、診療所の復旧活動を行っていた。完全な復旧は10月までかかるそう。「医療機器やPCも全て壊れて、患者さんのデータも全て復旧できなくなってしまった」とのべ、水につかったカルテを集めて、干しておられた。


2011.5.11
兵庫県保険医協会事務局 平田雄大

現地レポート28 民間医療機関の再建にも公的補助を

 5月10日、宮城協会の被災会員訪問活動支援として、これまでの訪問活動で確認された医療機関もしくは自宅が全半壊した会員にお見舞金を渡すため、愛知協会、富山協会、京都協会から参加した4人の事務局員が、宮城県石巻市、東松島市の合計21人の会員を訪問。19人の会員に直接会い、お見舞金を渡すとともに、政府への要望などの聞き取りを行った。
 兵庫協会の平田と愛知協会の澤田事務局次長とが訪れたある会員は、地震で診療所が全壊したものの、4月18日から、近くの小野市民センターの応接室で診療を再開していた。同センターは地域の避難所になっており、この日も多くの患者さんの治療を行っていた。この会員は、「阪神淡路大震災のときは民間医療機関の再建にも補助が出たと聞いた」とし、「今回も同様の措置が必要だ」と述べ、政府への働きかけを協会として強めるようにと訴えた。
 また、ある先生からは「多くの患者さんが現在も避難所生活を送っており、診療所を再建したとしても今後、地域に戻って来ないのではないか」と懸念が寄せられた。
 自宅マンションが全壊した石巻市の会員は、震災が起きた翌日から被害が軽微だった診療所に住み、日の光だけで診療を開始。翌々日も、当番医としても診療を行うなど、震災直後から地域医療に奔走された。診療所のある地域は、比較的被害が少ないので、現在も多くの地域住民が、沿岸部の被災地域の知人や親戚の生活支援を行っているが、支援による疲れも出てきており、支援する人の健康管理にも注意が必要だと述べた。また、地域医療について、近隣の石巻赤十字病院が、災害対応で手をとられ、従来果たしてきた地域の中核病院としての役割がなかなか果たせていないと、現場での困難を訴えた。

2011.5.10
 兵庫県保険医協会事務局 平田