2011年4月8日金曜日

(4/5~8) 保団連支援隊 岩手県沿岸地域を訪問

4月5日より朝8時45分より畠山事務局長と鳥取協会小田島事務局長と3人でミーティングを行う。
岩手協会では、被災会員を一回は会員訪問したとの報告を受けた。その上で被災地域の支援物資など必要なニーズを細かく把握するために、現地の役場の対策本部などを回り現状を掴むことを当面の任務とした。
会員訪問しての義捐金の配布については4月12日の協会常任理事会で取り扱いを決めていくのでそれを受けて次週以降の支援隊が対応していく。
畠山事務局長から、診療所が倒壊した被災会員が、学校などの避難所で救護室を設け診療を行っていることの情報を得た。医薬品や水など支援物資をレンタカーに詰め込み被災地のニーズ把握を行う。(保団連・本並)

4月5日は、宮古市、山田町を訪問。
4月6日は、陸前高田、大船渡市を訪問。
4月7日は、釜石、大槌町を訪問予定。
4月8日の午前 帰路へ  花巻空港 →羽田 

詳しい報告は以下の通り

★4月5日 1日目
[宮古市]
○道のり
盛岡から国道106号線を東にまっすぐ山を越えて一路太平洋を目指す。行けども海は見えず。途中は山々山々・・・ 気候はすっかり春でした。日中の気温は、15~17度くらい。寒いと思ったら暑かった。片側1車線なので自衛隊車両や支援物資を積んだ遅い車が前方にいる場合、速度が60kmぐらいに落ちます。片道2時間はかかる。

○地域と被災の状況
人口5万9千人 岩手県北部太平洋沿岸部の都市、市中心部が湾岸に近く津波の浸水や家屋倒壊などの被害が見られるが山沿いは家屋が残るなど比較的被害が少なかった。市役所の庁舎は1階が使えない状況だが、その他は機能している。
・市役所の高尾健康推進課長と懇談し医療供給状況のヒアリングと協会・保団連として何か援助できることはないかを聞いた。
・行政機能の損傷が少なかったため、被災状況の全体把握も早かったとのこと。また、盛岡と宮古を結ぶ国道106号線の損傷が少なかったことが幸いし、物資の補給や被災後1週間で路線バスが通った。
・医療の提供状況については、各地からの医療支援チーム(新潟DMAT、日赤、静岡)を保健所が中心となりチーム編成(医療班8チーム、心のケア2チーム、保健師6チーム)シフトを組み各避難所での診療を行っている。医薬品も9割が供給されてきており、水や電気も復旧した。ガソリンも今週になり手に入るようになっている。避難所から各家庭に戻る住民が出てきだしており、学校の授業再開を視野に、避難所の統合を検討している。仮設住宅はまだだが、各集落ごとに敷地を確保し山際などの高台を中心に建設する予定。
こうした状況から医療ニーズへの対応も在宅への支援体制に切り替わりつつある。
診療所も被災を免れたところを中心に再開を目指しておりそちらへの誘導を行っている。
保健所の担当者によると、各地からの支援によって普段以上の医療提供体制で助かっているが、これが日常に戻ると医師不足の状況に戻るのではないかとの不安もあるとのこと。実際に4月15日で国立病院機構や昭和大の支援チームは撤収するとのこと。
・現状では、ノロやインフルエンザなどの患者が出た場合の隔離する対応ができない。隔離や入院のための施設として沿岸部にあった県立病院の大半が津波被害で使えない状況のため、県立宮古病院しか残っていない。しかも宮古病院は350床のベッドがあるものの、かねてからの医師不足などで、60床しか機能していない。岩手県の医療提供体制では、予算削減のため稼動ベット数を縮小してきた。
太平洋沿岸部は医師不足がかねてから問題になっていたが、今回の津波が追い討ちをかけている状況のようだ。担当している保健師によると当面の救急医療などの支援、医薬品などの支援が途絶えた後の日常診療体制が維持できるのかなどの不安はぬぐえないとのこと。朝日新聞の4月6日付け社会面の記事「医療奪われた村」として釜石市の鵜住居村が紹介されているが、まったく同じ状況。沿岸部や岩手県の医療提供体制の問題点としてより津波で露呈した。


[山田町]
○道のり
宮古市から国道45線を南下、45号線はだいぶ復旧しているが沿岸沿いなので片側通行も一部あった。電柱の高い位置に漁網の浮きでボールのような丸いものが絡みついており、津波の高さがいかに高かったかを物語っている。不謹慎だが熟れた葡萄を創造してしまう。

○被災地域の状況
人口 1万8千人 過疎化と人口減少が続いていた。
被災状況は街中の中心地が津波による被害とその後発生した火災で黒焦げになっていた。戦後の焦土のようでした。丸1日火が消えなかったようです。山田線の陸中山田駅の駅舎も焼け具合が状況を物語っています。
・津波や火災の被害を免れた山田町役場の健康保険課を訪問した。医療支援体制は、宮古市とほぼ同じく、日赤や国立病院系のチームが支援に手厚く支援に入っている。
県立山田病院(新しい建物であった)は1階が浸水被害で使えなくなったため、2階で外来のみ昭和大のチームによる救急医療のみ行っている。
水道もようやく復旧したので、衛生状態は改善した。山田南小学校で仮設の薬局を設立し供給している。他の地区も同じ様子。
・地元の薬剤師(内田さん、近藤医院の門前薬局)の方が責任者をされており話を伺った。現状は医薬品や人的支援も充足しているが、今後の体制として地域の再生とともにがんばらないといけないと語られていた。
山田町で、牡蠣、ホタテ、ホヤの養殖を営まれていた方が多く、壊滅的な打撃を受けた。再生には最低でも3年かかるので、その間の食いぶちがない。商店街も元々シャッター通りだったので津波で崖っぷちに立たされた感じだと語られていた。親戚のところへの避難などを含めて人口が1万8千人→1万人ぐらいに減少すくるのではないか、そうなれば、医療ニーズ自体が皮肉にも少なくなるので足りるのではないかとのことも語られていた。
状況は悲壮感が漂ってますが、外人部隊による医療支援にいつまでも頼れないとのことで地域医療再生に向けた動きも点の動きだが出つつある。
旧山田病院を使用し、自身の診療所も被災した近藤医師が仲間を集めて医院を再開したいとのこと。早ければ4月11日にも診療を再開予定とのこと。

3日前 山田町
 再び山田町を訪れ山田小学校で診療を続けている近藤先生を訪問したが残念ながら会えなかったため、近藤先生と一緒に震災後直ちに、被災者医療に献身された後藤先生の診療所を訪問し、その時の様子伺った。後藤先生は被災後3日間は寝ずに診療に取り組んだこと、従業員全員で避難所の医療に懸命に取り組みんだ様子を聞くことができた。また震災直後に岩手協会の箱石会長が訪問してくれて勇気付けられたことが述べられた。
山田町の医師たちは、自身が被災している中で住民の命を守るため、献身的に取り組まれてており、診療所が被害に遭い地域の再生がままならない中でいち早く仮設診療所の開設や、旧山田病院の跡地を活用した共同での医院開設など急ピッチで準備が行われている。後藤医師が今一番気にされていることは、震災後一定期間が経過した現在、被災民の中でいろんなことを考える余裕が出てきただけに、将来に対するさまざまな不安が表面化しており、飛び降り自殺も起こっている。早く、町民の不安(職の不安、地域復興の不安)に対して早く、明るい展望が持てるようにしてほしい

★4月6日 2日目
[陸前高田]
○道のり
盛岡から東北自動車道に乗り、花巻まで高速で南下。その後、国道をひたすら東へ進む。激甚被災地の一つである陸前高田まで車で2時間半くらいかかった。帰りは別コースであったが、同じぐらいの時間で帰れた。
市役所も含めて街の主要部分が壊滅的に破壊されため、高台にある給食センターに仮の庁舎を設立し行政機能を回復させた。職員も死亡・行方不明も多数あり。
本日の報道では、戸羽太市長がやっと行方不明になっていた妻の遺体を確認されたことが報告されてきた。市長は自身の家族が行方不明になっているにもかかわらずこの間奮闘されている。頭が下がります。

・避難所の一つである高田一中に仮設の診療所があるため、そちらにいる菅野健康推進課長を訪問した。
医科の方は、日赤などの支援チームで対応されているが、仮設の歯科診療所も開設されており、協会会員で地元の歯科医院を経営されていた大和田剛史先生が従事されていた。
・大和田先生は自身の診療所も被災されているものの、応急処置を中心に対応されていた。訪問した際には、奥州市から若手の歯科医師の方3名がボランティアで支援に入られており、全体で写真撮影させてもらった。取り急ぎ欲しいものとして診療室のスリッパを送ることにした。欲しいものとしてユニットや器具など言い出せばきりがないが、現在できることは歯科の応急処置のみであり、学校の仮設診療所もいつ終了するか不明とのこと。
岩手協会の吉田副会長によると陸前高田地域で開業されている9名すべての歯科診療所がすべて津波被害で診療所機能の回復は当面難しい状況だ。近隣の歯科医院で勤務医として様子を見られる方も折られるようだが、中には、歯科ユニットを3台増やし、増築した矢先に津波に襲われ跡形もなくなってしまい、借金だけ残ってしまった悲惨な方がおられるようです。
いずれにしても歯科診療所にとって二重ローンの問題、再建のための融資等については、ニーズが高まっているが、融資では対応できないので、もっと大きな視点での公的な支援を要請するか、借金を棒引きにするぐらいでないと難しいというのが実情のようです。

[大船渡]
○道のり
陸前高田から30分ぐらいで着いた。
漁村で沿岸部地域は市場なども含めて繁華街の津波被害が激しい。すぐに高台になっており、被災の明暗が分かれた。ガソリンなどはスタンドが壊れなかったので支障がなかった。断水が続いているので水が喜ばれた。市役所の担当者に水と、お茶製造機を渡した。お茶製造機は、お茶葉と水だけを入れるだけで、暑いお茶が作れる機械だが、喜ばれた。鳥取協会の小田島さんからのご提供です。岩手協会からは、すでに歯ブラシが大量に持ち込まれております。
医療チーム等の支援状況は他と同じです。
市街地は湾の向かって緩やかな傾斜地となっているが市役所を含めた市中心部は壊滅した10M以上の津波が押し寄せ、雇用住宅の4階まで津波の猛威が及んだ。

★4月7日 3日目★
[釜石市、大槌町]

物資が充足しているとの2日間で物資が充足しているとの情報が得られたが、小規模な避難所のニーズを把握し物資援助についての方向性を確認するために釜石市、大槌町を訪問、釜石市では、災害対策本部を訪問し、医療ニーズなどを把握した。対応いただいたのは、釜石市医師会の寺田尚弘先生、自身のクリニックを運営しながら、医療部門の本部長を努められている。医療のニーズについて尋ねたところ、だんだん医療ニーズは減っているが、実際には、各避難所のニーズは掴むことは困難である。開業医の半数が残っているので仮設診療所を立てる予定。保健師が足りず衛生管理の充足など必要性はよく理解しているが、ニーズの評価ができていないこと、取りまとめしている人が多忙のため、統括したり組織化することができない。その結果、さまざまな支援が無駄になってしまうのでしばらく静観して欲しい。現場段階でなかなか掴みかねていることから、県はなおさらだ。大槌町は役所機能自体が崩壊したため、ニーズ把握ができていない状況はより深刻だ。

[大槌町]
町船体が湾岸から近く平野部のため津波の影響を諸に受けた。低層の建物も多いため逃げ場がない状況。大槌湾に浮かんでいた大きな漁船が建物の上に乗っかったまま手がつけられていない。
造船所に勤務していた避難所の町民によれば、防波堤が壁になり、津波が来ていることが見えなかった。地震で停電になり津波警報は一切聞こえなかった。津波後、大規模な火災が発生しており、焼失状況も激しい。町長も死亡した。行政機能が崩壊したことが大きく復興が遅れている原因か。小規模な避難所では、孤立している様子。避難所は残った家に帰ったり、親戚の家に移動したりとどんどん人員は減少している。地域から離れないという方もいる。

 ○全体を通して
 今週時点で、ライフラインが回復しており、物資や医薬品はほぼ充足している。医療の提供体制も当面は整っており、即物的に必要なものがないため、協会・保団連としての取り組みは会員訪問と医療機関再生のためのニーズ把握と具体的な要望と解決していくことが求められる
個別の要望として、野菜などの生鮮食品や中古車(保健所の巡回用として)が要望されたが、直接は提供できないので、何らかの発信し支援を募る他ない。
 医療提供体制が4月中は予定されているが、GW明け以降の体制などは避難所のニーズを見ながらという状況だが、息の長い支援体制が必要なため、地域での医療スタッフの確保もしくは、隣接地域、特に内陸部からの支援が不可欠である。(簡単にはできないが・・・)
歯科医療の支援について県歯科医師会は、巡回車を準備し、口腔ケアや歯科治療などの体制を送ればせながら組んでいくとのことだが歯科診療所に平日を中心とした体制を組むことを予定しており、休診手当てなどがないと近隣とは言えなかなか取り組みにくいのではないかとのこと。