2011年4月8日金曜日

(4/6)宮城協会・保団連支援隊 石巻市、七ヶ浜町、多賀城市を会員訪問

4月6日、宮城協会の鈴木さんと支援隊の4名<神藤(栃木協会)、伊藤(愛知)、小川(愛知)、里村(保団連)>は、住江先生と大阪の原さんを乗せて、石巻へ。石巻診療所の矢崎先生の診療所に車を置いて、2手に分かれて、石巻市内の38会員医療機関を訪問した。
前日の塩竈市とは違って、診療所が流されてご本人と会えないところや診療再開困難というところが多数あった。
宮城協会の青井さんと岩淵さんは、七ヶ浜と多賀城市の11会員医療機関を訪問した。

【行動参加者からの報告概要】
石巻地区を訪問。津波の被害が最も大きい地域では、建物の跡形もない焼野原状態。建物はあっても1階の天井近くまで浸水し、再開は困難。ライフラインも未通のところが多い。かろうじて残った2階自宅部分などに暮らしているが、再建のめどがたたず、日に日に意欲が失せている様子。(保団連:里村)
津波による被害の大きかった石巻市の会員訪問を行った。市内は道路はかなり通行可能な状況であったが、津波によって流された車や瓦礫などが積み上げられている状態だった。泥なども残っており、粉塵が巻き上がって空気も悪い状況。
多くの医療機関が被害を受けており、診療を再開していても、「薬の処方のみ」や「時間を短縮して診療」というところがほとんどであった。診療所の床や機器は泥にまみれたままの状態で、床にブルーシートを敷いて診療を再開している医院や、待合室に臨時の薬局をつくって処方を行っている医院もあった。診療所に被害がない場合でも、先生の自宅やスタッフの自宅などに被害があることなどから通常通りの診療はまだ難しい状況であった。
また、医療機関まで伺っても、診療の再開のめどが立っていないため、誰もいない医療機関もあった。
全国から集まった見舞金を持って訪問を行ったが、どこの医院でも非常に感謝された。
ある産婦人科では、1階に浸水し機器などはほぼすべて使えなくなったとのこと。診療再開のめどは立っていないが、石巻市内にある産婦人科4件のうち、2件が今回の被災を機に廃院をする可能性が高いため、自分のところはかならず診療を再開すると語っておられた。開業医で担っていたお産が拠点病院(日赤病院)に流れると拠点病院がパンクしてしまう恐れがあること、妊婦検診や乳がん検診など自治体の行う検診の受け皿がなくなる可能性があることなどを危惧されていた。石巻の地域医療を守るためにもぜひがんばりたいとのことであった。
ある歯科医院では、診療所自体には被害がなくすでに診療を再開していた。先生はPTAの会長をしていることもあり、避難所の責任者を引き受けており、被災後しばらくは診療どころではなかったとのこと。今、心配なのはヘドロなどによる感染症と、肉親や友達などを亡くした方々の心のケア。これから暖かくなると感染症が一気にひろがる可能性があり、早急な対応が必要と話されていた。また、心のケアの問題では、どの様な方法が必要か苦慮しているとのこと。被災者を元気付けるために餅つきを企画しようとしたが、この時期には不適切として開催できなかったことなどのお話を伺った。(愛知:伊藤)

[主な訪問結果(石巻市)]
■H歯科医院
診療所は全壊。先生本人は100メートルほど離れた自宅にいた。水道も電気もまだ回復していない。診療所はかろうじて倒れずにいるが、業者の話によると、2階の機械室が重しになっている状態だろうとのこと。自宅は1.5メートルくらい水没。床下にもヘドロが入り込み片付けが大変な状態。自宅の敷地内によその家の倉庫が流れてきていて撤去も困難。協会から来てくれただけでありがたい、歯科医師会からはまだ何の連絡も来ない、昨日からやっと郵便が届くようになったがとにかく情報が欲しい、とのことだった。
■M内科クリニック
診療室は天井まで水没。二階の自宅で生活している。電気、水道、ガス、電話とも不通。郵便は届いている。震災4日目から避難所で診療活動を始め、今は支援チームに引き継いだ。建物が残っているので、廃院するか再開を目指すか毎日迷っている。地盤沈下で大潮になると冠水する状態で、住民が戻ってくるのか分からない。患者さんに「いつから開くの?」と聞かれ、早く再開したい気持ちはあるが、日に日にやる気が失せていくのが分かる。再開するとしても来年で、それまでの日数や費用、その間の収入はどうなるのか不安だ。廃院か再開か、今が分岐点だと感じる。
■K歯科医院
玄関に当たる1階部分が水没したが、診療室は2階だったので機器は無事。だが、機械室とエアコンの室外機が1階にあり、全部交換しないといけない。水も屋上の貯水槽が壊れたらしく、駐車場にある水道1カ所しか出ない。周りの商店街の人は毎年津波警報があったことから慣れてしまって、今回も2階に上がった程度だった。そのせいで車や商品が流された人が多い。先生自身は地震の直後、患者と従業員を全員帰し、3階にいた母親を連れて山に逃げたため無事だった。5人の従業員のうち2人は逃げる途中に車を置いて逃げたが、車が流され診療所に来れない状況になっている。明日から清掃を本格化させたい。給与は補助を受けて全額を保障するつもり。
■S歯科クリニック
床上まで浸水したため、機器はほぼすべて取り替えなくてはならない。できれば診療を続けたいが、機器の調達などのめどがたっていない。休業補償を支給してもらえると、従業員への給料の支払いもあるのでありがたい。ぜひ検討してほしい。
■S歯科医院
診療所は床上浸水。機器はすべて水に浸かってしまった。診療再開のめどはたっていない。
歯科医師会の副会長をやっているが、連絡のとれない会員も多い。行政などには、きめ細かく状況を把握してそれに対応した支援策を講じてほしい。
死者の特定のために、検視結果とカルテの照合を依頼されることがあるが、カルテも水に浸かったため照合に相当な手間がかかる。後片付けなどもあるので、手伝ってもらえる人がいるとありがたい。
■I歯科クリニック
診療所は無事だったが、自宅が浸水したため、診療所で寝泊りをしている。
PTAの会長などを行っている関係で避難所の責任者も任せられ、しばらくは診療どころではなかったが、最近ようやく落ち着いてきたので診療を再開した。周辺はヘドロなどの影響で衛生状態が極めて悪くなっておいる。そのあたりの対策を行政にはぜひお願いしたい。
[主な訪問結果(七ヶ浜、多賀城市)]
■O先生 七ヶ浜
ライフラインは大変だが、診療をやられていた。建物が高台にあったため、被災を逃れられたとみられた。まわりはいたるところ、がれきの山だった。お見舞いをのべ、アンケートを頼んできた。薬で甲状腺の薬が手にはいらないと話されていた。
■S先生 七ヶ浜
地震の後片付け中に手を骨折され、ギブスをしていた。診療を再開しており、損傷は少なく思われた。先生もまわりが本当にひどいのでと話されたおられた。
■N先生 多賀城
診療所は浸水、T先生は避難途中でけがをして、入院中、従業員ともども、かたづけされていたが、かなりいたんでおり、再開まではかなり日数がかかると思われた。お見舞いとアンテートをお願いしてきた。融資の資料も聞かれたので、おいてきた。