2011年4月18日月曜日

保団連 東日本大震災 救援復興FAXニュース 19号

(4/8~10)宮城支援に歯科医師送る…東京歯科協会

(*個人名は伏せ字にしています)
 東京歯科協会は4 月8 日~10 日にかけ宮城県に役員ら3 名を派遣し、東松島市、石巻市の避難所など4 カ所の状況を視察。また、その居住者で歯科治療の希望する方に対し、義歯の修理・調整、脱離冠の再装着、急性症状に対する投薬など必要な措置を行った。

東松島市 人口43,153人、世帯数15,075世帯
死者920人、避難者3792人、避難所58カ所(4/11現在)
石巻市 人口162,822人、世帯数 60,928世帯
死者2698人、避難者14776人、避難所125カ所(4/12現在)

概要
診察に当たる東京歯科協会の先生方
◆2団体を訪問、被災工業地域を視察
8 日には宮城県の保険医協会事務所を訪問した。森元主税協会副会長から震災への弔辞を述べ、野地事務局長から避難所や行政、会員の状況などの情報を提供していただいた。宮城県保険医協会として国や県に対し概算請求の要望書を出していること、県内では8 名の医師・歯科医師(協会会員4 名)が行方不明の状況であることが紹介された。また、宮城県歯科医師会会館にも訪れ、あいさつした。
その後、多賀城市に移動し視察した。仙台市内から多賀城市にかけて町並みは鉄筋コンクリートの建物がひび割れ、ガラスが割れている状況。工場地帯は本来海上にあるブイや積み重なった車、工場の部品などがあちらこちらにまみれ、いかに被害が激しかったかが分かる有様であった。この日は風が強く津波で陸上に上がった砂が風で舞っていた。
夜には齋基之協会理事(青葉区開業)と会い、県内の避難所の状況などの情報を得て、10 日の予定の参考にした。

◆避難所とデイケアセンターを視察・歯科医療支援
9 日、東松島市の避難所2 カ所(赤井・上町西両市民センター)とデイケアセンター(百合の里)を訪ねた。市の職員である保健師の●●さんが事前に避難所に連絡を取り、歯科医療の求めがあった方13 人に対し、必要な処置を行った。
しかし、事前に希望のあった避難所2カ所では求めのあった方が不在で、取りやめた。
歯科治療希望者の症状はう蝕、歯髄炎、義歯破損など。対応した歯科医師は患者さんに文書での提供を行い、地元の歯科医院に受診したら見せるよう話し、地元の歯科医院に引き継いだ。
デーサービスセンターでは、避難されている高齢者の飲み込みが悪いとの職員からの訴えに対し、馬場安彦理事が嚥下について診査し、利用者の首もとに聴診器をあて、職員に飲み込み音を聞かせるなど、今後の療養生活が改善されるよう分かりやすく助言をする場面もあった。
●●さんによると、震災後は内科系の訴えが強かったが、最近ではお口の問題もあるという方が増え始めている。東松島市全体で2 歯科診療所が再開をはじめたとのことだが、避難所には日赤や民医連が医療支援しているが歯科は入っていないそうだ。(死亡者数800 人、行方不明者数不明、避難所は80 カ所)
歯科医療支援の考えがあることを●●さんに伝えると、お礼を述べられ、「電気が復旧して避難所にいた方で自宅が残っている方は戻りはじめている。しかし家が流された人は避難所に留まるだろう。歯科医療の要望が今後、どれだけ必要になるかは見通しが立たない」と先行きは不明であるとのことであった。
昼には野蒜地区を視察し、津波で壊滅的な被害を受けた状況を確認した。●●さんによると、避難所に指定されている野蒜小学校に避難した方は「まさかここまで津波がくるとは思わなかった」が津波に飲まれた。「目の前で死んでいく人を見たという人、生き残っても大変な思いをする人ばかり。この辺は地獄でした」と伝え聞いた惨状を振り返った。
終了後、井上博之先生(協会副理事長)、●●先生(宮城県歯科医師会石巻支部被災担当*)に連絡を入れ、活動の報告をした。●●先生には、協会は現地の先生方が1日も早く再開できることを願っていること、今後とも継続した支援を検討している旨を話すと、「こちらは会員の安否状況をようやく把握しはじめた状況で、これから。支援いただけるのはありがたい」といわれた。翌日に河北総合センターに行くことを勧められた。
*宮城県歯科医師会石巻支部は石巻市、東松島市、牡鹿郡を範囲としている

◆避難所を視察・歯科医療支援
10 日には、石巻市河北地区の方が避難している河北総合センター(ビックバン)を視察(避難者は538 人・看護師は2 名常駐)。連絡を入れずにいったため、急遽、職員に対応していただいた近隣の本庁舎には歯科医療スタッフが期日を決めて入っているが、ビックバンには歯科医療チームは入っていない様子。歯科受診が必要であれば避難所で指定をされる歯科医院への受診を促しているようだ。(4/10現在9歯科医療機関が掲示されていた)紹介される先は曜日により指定される医院がかわり、必ずしも近医に受診できるとは限らない。この避難所には弘前大の医療チームが入っているようであったが、歯科医療チームは入っていない。東北大学が来る予定であったが、中止になったそう。
2階の部屋に歯科治療をする場所を設けたが、放送で呼びかけても当初は誰も来なかったため、看護師さんと協力して声を替えて回った。のべ12 名ほどの患者さんを診た。患者さんのほとんどが高齢者であった。
症状は義歯破損、脱離冠の再装着など。限られた歯科材料の中で、求められる急性的な措置を行った。中には「入れ歯はなくしたから」とあきらめる方もおられた。脱離冠の再装着の方もはじめは断っていたが、何とかできるかもと説得して受診につなげた。その方が待っている時に一昨日の地震の状況について尋ねると、3 月11 日に車で高台まで逃げたが、第一波がきたので車を捨てて、走って逃げたが、胸まで浸かったこと。第2波に飲まれたら死んでいたと、堰を切って話された。声をかけ話しをすることが被災者のストレスを解消されるとも感じた。
終了後には●●先生に報告をし、今後また連絡することを伝えた。


(4/12)宮城支援、「チリ地震の十数倍の津波だった」

 12日は、気仙沼方面に向け7時にホテルを出発。参加は、①谷川(保団連)、服部(愛知)班、②小川(兵庫)、寺川(群馬)、市川(東京)事務局班の2組5人。
多賀城方面は、8時30分に協会事務所を出発。参加は、①加藤(愛知)、滝沢(東京)班、②槇(栃木)、桐原(鹿児島)班の2組4人。

泥が溜まった待合室
 以下は、訪問結果の概要と被災会員からの特徴的な意見・感想などです。なお、訪問の後、見舞金を受けとられた会員から改めてのお礼や、不在だったので「訪問と資料を頂きありがとうございました」との電話が協会に寄せられました。

<気仙沼について>
 訪問結果は、訪問件数31件(面談21人。不在等9人)。
 被災状況は、全半壊・流出9件、一部損壊3件、その他5件。
 お見舞金支給は、全半壊10件、一部損壊7件。
*特徴的なこと
・一番困っていることは、「街の復興」だとして、復興への強い願いが寄せられていること。
・ご自身も全半壊なのに、大変な方がたくさんいることを心配され、「お見舞金」を遠慮される先生もいたこと(受け取っていただきました)。
・チリ地震を経験された先生からは、チリの時の10数倍の規模との感想で、激震災害の激しさを述べられ、訪問に厚い感謝の言葉をいただいたこと。
・湾の奥まった所までは来ないと思ったが、津波が押し寄せ被害に遭ったこと。
・全半壊された自宅には、避難や待機している旨を書いたプラスチックの箱が置いてあったこと。

<多賀城について>
 訪問結果は、訪問件数35件(面談28件、不在等5件)。
 被災状況は、全半壊・流失4件、一部損壊2件。その他1件。
 お見舞金支給は、全半壊5件、一部損壊2件。
*特徴的なこと
・医療機関の施設内が1.5メートルもの浸水に合い、被害を受けた様子の説明を受け、激しかった被害の実態を見たこと。
・「街の復興のシンボルとなるように、医療機関の再開をめざしたい」との強い思いを込めて活動されている会員がいること。
・多数の医療機関で、まだ泥水の被害がひどく、中和のための石灰が手に入らないこと。家電も周辺では買えず、山形までいって購入したこと。
・隣のビルが倒壊しそうな状態のため、退去せざるをえないと不安の声が寄せられたこと。
・高台等で被災の少なかった地域の医療機関は、患者さんが多数来ていて多忙をきわめていたこと。


(4/9~10)近畿と福岡歯科の役員、宮城支援に入る

 近畿と福岡歯科の保険医協会有志とともに行った活動は、歯科支援第一弾としても取り組まれ、兵庫協会から加藤擁一副理事長、中津正二先生(三田市・中津クリニック院長)、藤田典子歯科衛生士(加古川市・うちだ歯科)、楠・山田事務局員が参加。大阪歯科協会から山上紘志副理事長と後藤剛事務局次長、京都歯科協会から平田高士理事、福岡歯科協会から杉山正隆副会長と大水継圭理事、和歌山協会から小谷隆久先生と上野佳男事務局長で総勢12人。

4月9日(土)
 5時に東京を出発し、11時頃に仙台市入り。宮城協会事務所を訪問し、野地事務局長から被災地の状況などについて説明を受けた。北村龍男理事長や井上博之歯科代表らと電話で表敬、激励しあった。
 14時に石巻中学校へ。約600人が避難している。3班に分かれ、2時間ほどかけて各教室や体育館にいる避難者に声をかけて回った。
 加藤擁一先生が一人ひとりに「歯はちゃんとみがけていますか」「入れ歯をなくしていませんか」「痛いところはありませんか」と声をかけて口腔内を見て回ると、「入れ歯用の歯ブラシと洗浄液、ケースがルしい」「柔らかい歯ブラシはないか」など声があがった。
 阪神・淡路大震災のときに多くの避難者が誤嚥性肺炎で亡くなられた経験から口腔ケアの大切さを説明すると、避難者らは熱心に聞き、自分の歯の状態なども訴えた。
 加藤先生は、「避難所での歯科ニーズは非常に高い。当面大切なのは、避難所で困っていることを手助けすること。フロスがほしい、歯磨き粉がほしいという人も多かった。入れ歯があたって痛いという人がいたが、少し削ってあげるとQOLがずいぶん向上する」との感想を話した。
 16時からは石巻高校へ。約300人が避難している。ここでも3班に別れ、1時間半ほどかけて巡回した。

被災者一人ひとりの相談に乗る中津正二先生
 中津正二先生は血圧を測定して回ったが、多くの避難者が高い数値を示した。中津先生は一人ひとりに「野菜を食べろ、塩分をとるなと言ってもこのような状況だから難しいでしょうが、できるだけこまめに血圧を測定してもらう機会をもってくださいね」と声をかけて体調の相談に乗り、持参した痛み止めや降圧剤などを必要に応じて提供した。
 中津先生は、「一週間前に測ったときは正常だったという人が多かったが、今日は多くの人が高い数値だった。この一週間ほどで事情が変わってきている。炭水化物に塩分を加えて食べており、また『残さず食べる』ことが言われている。野菜もなかなか口にできない。余震の恐怖で夜は眠れず、運動不足、避難所生活でのストレスなどが血圧を高めている。開業以来10数年使っている血圧計で測定したが、こんなことは初めて」と感想を話した。
 
4月10日(日)
 2日目、9時30分頃に名取市文化会館へ。414人の方が避難している。初日同様、3班に分かれて1時間半ほどかけて巡回し、医療ニーズを探った。
 中津先生は避難所に詰めていた看護師と共に巡回。「子どもが日に何度も鼻血を出す」「足がパンパンにむくんでいる」などの訴えが避難者から出され、看護師と相談しながら対応していった。
 また歯科では避難所に詰めている歯科衛生士と共に巡回。「治療通院していた歯科医院が地震で潰れてしまった」「歯医者さんの所においてあるハブラシが欲しかったところ」「小さい子ども用のハブラシを下さい」などの相談を受けた。
 「保険でより良い歯科医療を」兵庫連絡会も、歯ブラシ1000本を寄付した。