歯科治療機器をレンタカーに搭載してフェリーで宮城県に入る
レンタカーで搬入した歯科機器で治療に当たった |
斉藤先生からの事前情報で現在 避難所(160名)にいる被災者の多くの方がご家族や親類・友人を亡くしているということ、口腔ケア、歯髄処置、レジン充填、義歯の修理等の要望があることを知った。この情報を元に治療機器・機材、薬剤、支援物質等準備してレンタカーに積載し、4月28日大分港をフェリーにて出発、翌29日神戸から14時間かけて夜8時に仙台市内のホテルに到着した。
次の日2時間かけて、南三陸町の鉄骨のみとなった総合防災庁舎や4階まで津波に襲われた公立志津川病院の横を通り、歌津中学避難所に到着した。
30日、1日と校舎2階の教室1室の仮歯科治療室に大分から持ち込んだ歯科用に改良した移動用の理髪用いす2台、ポータブルレントゲン、訪問診療機器、技工用エンジン、消毒器等重装備を設置し、16名の患者の治療(歯髄処置、レジン充填、義歯修理(床裏装含む)、義歯調整、除石、抜歯、口腔ケア等できる限り要望に対する歯科治療)を行った。設備の整った仮歯科治療室での診療が患者から大変喜ばれた。
また、避難所の被災者の方には口腔ケアの方法や大事さを指導し、必要な方に歯ブラシ等を配るなどした。心療内科医の竹内先生は、多くの被災者の方や近くの住人(家は流されていないが、生活物資がない環境にある)と話をされ、心のケアを行い、かなりの被災者が癒された。
歌津中学校避難所の帰りに、南三陸町災害対策本部のあるベイサイドアリーナの医療ボランティア本部に、歯科用薬剤(抗生剤、うがい薬等)、ペーパータオル、トイレットペーパー等々(台車2台分)の医療・生活支援物資を提供した。
5月2日、10時間かけて神戸港に到着し、フェリーにて5月3日朝6時に無事大分に帰着した。充実した6日間であった。もう一度何らかの形で訪れ、医療支援を行いたい。
「医療機関少なく、融資制度拡充で早急に立て替えをしたい」
4月25日より28日まで9名の支援隊(東京・盛、愛知・日下、静岡・村松、岐阜・福島、大阪・谷、兵庫・楠、鹿児島・生川、保団連・岩下・山田)は、26日に仙台市内の青葉区、泉区、太白区の3区を、27日は仙台以北の大崎市、栗原市、登米市を、3班体制で分担し、被害報告のある会員計75件を訪問、被災状況の把握とお見舞金を手渡した。
このうち、26日の仙台市内について「都市部の診療所は、見た目の被害は軽微だが、精密機械の破損で診療ができない、あるいは機械破損がなく通常診療ができても、市民のほうに外出・受診手控えの意識が働き、患者数が震災前の半分になったとの声もある。一方で、沿岸部の被災地域はもっと甚大な被害であり、都市部という点ではそういった悩みは言いにくく、先生方の行き場のない声も聞かれた。仙台市内は問題なく動いているように見えるが、完全な復旧・復興にはまだまだ時間がかかるし、対策も遅れているように感じられる」との報告が寄せられた。
27日の大崎、栗原、登米の三市は仙台から高速バスで1時間、更にタクシーで1時間が必要な遠方で医療機関数も仙台市内と比べて少ないことからこれまで訪問ができなかった地域で、今回初めて被害会員への訪問が行われた。訪問報告では「電気・ガス・水道などの復旧を待たずに診療を再開させて患者さんへの対応を行った先生がたくさんいたことに、地域医療を担う先生方の意気込みを感じた。」「『自分よりもっとひどい被害のところの支援を手厚くしてあげてほしい』とのメッセージを口々にしていたのも印象的」「4月7日の余震の被害も大きく、精神的なダメージも受けているようすが感じられた。」。「登米市は4月7日の余震の震源地にも程近く、2回の地震による被害は甚大かつ拡大している。建物はいずれも大小の亀裂が入り、簡単な修復では今後の大規模地震に耐え切れない。もともと医療機関が少ない地域で、建て替えを考えている医療機関も多く、地元の患者さんが行き場をなくすことにもなりかねない。医療機関再建のための融資制度拡充が急務と思われる。」との状況が寄せられた。
なお、宮城協会では、被害状況が把握できていない会員が残り約500件余り、また、被害報告はあるが未訪問の地区が仙台以南にまだあることから、これらの状況把握と会員訪問が今後の課題になっている。