2011年5月10日火曜日

保団連 東日本大震災 救援復興FAXニュース 25号

*協会・保団連は今週も岩手、宮城協会に事務局を派遣、会員医療機関を回る支援活動を継続している。25、26日の両県への支援活動を報告する。

(4/25、26)岩手・箱石会長「会員支援に全力を尽くす」

会員が再起できるよう全力を
尽くすと語る箱石会

 4月25日、26日、佐藤島根協会事務局長と工藤保団連事務局の岩手支援隊は、被災状況をお聞きし、お見舞金をお渡しするために、大船渡市(25日)と宮古市(26日)に被災会員訪問を行いました。また、26日には箱石岩手協会会長の診療所を訪れ、お話をうかがい、「全国からの支援で『気合い』を入れてもらった。心から感謝したい」と話されました。
 全半壊といった大きな被害を受けた会員にはすでに訪問しており、今回は一部損壊やこれまで連絡のとれなかった会員を中心に訪問しました。
大船渡市4件、宮古市7件の会員訪問を行い、お見舞金と被災会員に向けた岩手協会でまとめた医療支援、会員支援情報をお届けしました。
 大船渡市では、気仙医師会を訪れ、連絡先のわからなかった会員が盛岡市内に避難していることが判明、連絡先を把握することができました。
津波の被害を受けなかった地域では、停電、断水などで休診を余儀なくされた院所が多いようでしたが、現在では通常診療をしています。
 ある歯科の会員によれば、「市内6件の歯科医院が流された。1人の先生には自分の医院で診療してもらっている」と話されました。
 それでも津波が川の堤防を乗り越えたところもあり、「もうだめかと思った」と語られた会員もいました。
 宮古市では、院所は無事で、現在は通常診療を行っているところでも、自宅が津波で流されてしまい、寝泊りは院所でという会員が二人おられました。
 津波で床が浸水してしまい、被災直後は院所の前に机を出し投薬のみ行っていたところでも、現在では通常診療に戻っているようでした。
 大船渡、宮古では、津波の被害が甚大なところと、被害は受けなかったところがはっきりわかれていました。
 被害の受けなかった会員からは、「自分はよかったが、被害にあった医療機関はたくさんあって『よかった』と素直に思えない」と話されていました。
 箱石会長は、「被災直後から私も被災地に入り、会員の安否確認を最優先に全力で当たった。全国からの物資支援、応援の医師・歯科医師の派遣などで、協会も『気合い』を入れてもらった。全国のご支援に心から感謝したい。震災被害の犠牲になった人もおり、協会でどう対応したらいいか議論をしているところだ。自分の院所を失った会員もおり、そうした会員が再起できるよう協会として全力を尽くしたい」と話されました。


(4/25、26)宮城、「行政動かすために声を上げたい」

 4月25日より28日まで、9名の宮城支援隊は仙台市を中心に会員訪問を行っています。
今回は主に仙台市内と、その上部の3市の会員訪問を行っています。初日となる25日には、前回より恒例となっている被災地の見学から入り、仙台駅から車で10分ほどの若林区および宮城野区の被災地を見ました。
 翌日は青葉区、太白区、泉区の3区内で未訪問のところを回りました。対象医療機関は、すでに被災状況報告書を送ってこられたところで、実際に訪問すると、報告書では分からない先生方の切実な思いを聞くことが出来ました。
 市内のある歯科の先生は口腔ケアに非常に熱心だったが、珍しいという口腔内撮影テレビはすでに部品生産が終了しており、修理が出来ず諦められていた。ただ、近いうちに近所のホテルに県内の避難者が滞在することから、「県歯に入っていないので、避難者の口腔ケアを見られるような体制に協会から頼めないだろうか」との要望をいただいたため、ぜひ検討したいと伝えました。また先生は、「ガソリンや交通手段が復旧しても、住民は外に出るのを控えているため患者数は少ないまま」と述べ、街全体を明るくして欲しいと求めました。
 また整形外科の先生は、医師会で災害担当理事として奮闘しており、地震後はしばらく診療できませんでした。「ただ黙って踏ん張っているだけでは状況はよくならない。はっきり声に出して、具体的に要望を上げて頑張っていかないと行政も動いてくれない。これからも一緒にがんばりましょう」と強いメッセージをいただきました。
 ただ元気な先生ばかりではなく、中には不安が尽きないという先生もいらっしゃった。それでも事務局からは「とにかく色々と協力していきますので頑張りましょう」と励ましました。都市部の診療所は、見た目の被害は軽微だが、精密機械の破損で診療ができない、あるいは機械破損もなく通常診療が再開できても、市民のほうに外出・受診控えの意識がはたらき、患者数が震災前の半分になったとの声もありました。