*5月9日から13日まで、5人の事務局員が宮城協会に支援に入った。そのうち、10日と11日の行動の概要を報告する。
宮城県S会員「協会はいつも早く対応してくれる」と述べる5月9日から13日まで、宮城協会被災会員訪問のため、澤田(愛知)、土井野(富山)、花山(京都)、平田(兵庫)、小林登(保団連)の各事務局5名が宮城協会入りした。
5月10日、派遣された事務局員は、被害の甚大だった石巻市と東松島市の会員医療機関や自宅を訪問した。被害状況報告に基づいて医療機関もしくは自宅が全半壊した会員にお見舞金を渡すため。
この日は、4人が2チームに分かれて、合計22人(石巻19人、東松島3人)の会員を訪問。20人の会員に直接会い、お見舞金を渡し、政府への要望などの聞き取りを行った。
以下に概要を報告する。
◇行動地域(石巻市、東松島市)
◇訪問者名(1班:澤田(愛知)、平田(兵庫) 2班:土井野(富山)、花山(京都))
◇訪問結果 訪問数 22件(面談 20件、不在等 2件)
◇お見舞金支給(全半壊・流失 20件)
【訪問の概要】
*S先生(東松島市・現在診療している小野市民センターを訪問)
東松島市で開業していたS先生は、地震で診療所が全壊した。その後、4月18日から、近くの市と交渉し、小野市民センターの応接室で診療を再開している。同センターは地域の避難所になっており、この日も多くの患者さんの治療を行っていた。S先生は国への要望として、「阪神淡路大震災のときは民間医療機関の再建にも補助が出たと聞いた」とし、「今回も同様の措置が必要だ」と述べた。なお、全壊した診療所は、現在再建中で、早ければ5月末にも診療再開の予定だという。
*S先生(石巻市・内科クリニック〔分院の内科医院を訪問〕)
S先生は、石巻市中心部で開業していたが、診療所が津波により流失。弟が院長を務める比較的被害の軽微な分院で診療を再開している。「本院で診ていた患者さんの十数パーセントの患者さんが今回の震災でなくなった」と述べた。本院は、現在政府による建築制限がかかっている地域で、再建のメドも立っていない。さらに、「多くの患者さんが現在も避難所生活を送っており、本院を再建したとしても今後、地域に戻って来ないのではないか」と懸念を語った。
*M先生(東松島市・歯科医院)
東松島市の診療所と隣接する自宅が床上浸水したM先生は、「家族を連れて逃げようと思った時には、すでに周囲の道路が冠水しており、自宅の2階へ非難した」「浸水せずに助かったが、その後3日間、水が引かず、家族とともに自宅の2階に閉じ込められた」と当時の様子を語った。診療所は医療機器が全て使えなくなり、大変な損失だ。先生は、「自宅の再建だけでなく、診療所などの再建にも政府の補償が受けられるようにしてほしい」と訴え、7月中には診療を再開させたいと述べた。
11日は、気仙沼市、塩釜市、七ヶ浜町、多賀城市、大和町、大衡村の合計20人の会員を訪問。17人に会ってお見舞金を渡すとともに要望などの聞き取りを行った。
◇行動地域(気仙沼市、塩釜市、七ヶ浜町、多賀城市、大和町、大衡村)
◇訪問者名( 1班:澤田(愛知)、平田(兵庫)→塩釜、多賀城、七ヶ浜、大和、大衡
2班:土井野(富山)、花山(京都)→気仙沼)
◇訪問結果 訪問数 20件(面談 17人、不在等 3人)
◇お見舞金支給(全半壊・流失 17件)
*K先生(気仙沼・クリニック)
医療機関は全壊で火災が発生した地域。5月22日より移転、再開。
*M先生(気仙沼・医院)
震災2~3週間後から、軽傷者を対象に診療再開。完全復旧ではない。
*M先生(気仙沼・外科クリニック)
再開の意志はある。場所は決定したが、再開時期は未定。
*S先生(気仙沼・小児科)
4月20日より移転、再開。 こどもに勇気づけられながら“楽しく”やっている。協会はいつも早く対応してくれる、と非常に頼りに思っておられた。
*M先生(気仙沼・整形外科)
4月26日より週4日で再開。津波で医療機器関係がすべて水に浸かりだめになり、現在借り物を使っている。