2011年5月26日木曜日

保団連 東日本大震災 救援復興FAXニュース 30号

*前号に続き、宮城県に入った事務局が会員の先生方を訪問した。

宮城のM先生「津波に襲われたが、流される入所者を助けた」

5月12日は被害の甚大だった仙台市内、名取市、山元町の合計16人の会員を訪問。14人の会員に直接会い、お見舞金を渡すとともに、政府への要望などの聞き取りを行った。

行動地域(仙台市、名取市、山元町)
訪問者名( 1班:澤田(愛知)、平田(兵庫)名取市、山元町、仙台市
2班:土井野(富山)、花山(京都)仙台市)
訪問結果 訪問数  16件(面談 14人、不在等 2人)
お見舞金支給(全半壊・流失 16件)
●5月13日は被害の甚大だった仙台市内の合計5人の会員を訪問。4人の会員に直接会い、お見舞金を渡すとともに、政府への要望などの聞き取りを行った。
行動地域(仙台市青葉区)
訪問者名(1班:小林登(保団連)、平田(兵庫) 2班:土井野(富山)、花山(京都))
訪問結果 訪問数  5件(面談 4件、不在等 0件)
被災状況(全半壊 5件 、一部損壊 0件、その他 0件)
お見舞金支給(全半壊 4件)
【訪問活動のまとめ(訪問活動参加者の感想)】
・会う先生会う先生から歓迎され、喜んでいただいた。「保険医協会にはいつもお世話になっています」という声が多数寄せられた。
・普段の協会活動が会員に支持されていることが実感できる訪問活動であった。・再開に向けて頑張っておられる時期であったので、とても歓迎された。
・ケータイがつながれば救えた命がたくさんあったとの声が印象に残った。ケータイ番号を会員管理のうえからも今後は検討していく必要があると感じた。
・都市計画が決まらないと再開のめどが立たない医療機関もあり、行政への働きかけが非常に大切だと感じた。
・厚生労働省の通知は評判が悪かった。場当たり的対応との批判。                     
M先生(名取市・内科クリニック)
 名取市でオーナーを務めていた診療所、特養、ケアハウス、グループホーム全てが全壊した。現在は、被害の少なかった若林区の老健施設に診療スペースを開設して、診療を再開している。先生は当日を振り返り「名取市の診療所で診療を行っていたが、地震が発生した。地震で防災無線が破壊され、正確な情報が無かったが、地域で唯一の3階建ての建物であるケアハウスに、特養の入所者などを避難させるように指示をし、自身も特養に向かわれた。特養に入ったところで、津波に襲われながらも、流される入所者を助けた。津波は首までの高さに達し、それぞれの施設が孤立状態に。その後、入所者や他施設の利用者など特養にいた人を大広間に集めて、暖をとるために火をおこした。厨房にあった油を使ってたいまつを作り、明かりをとった。また、津波により自宅の2階などで孤立した人を、いかだを作り助けたりした。2日目には、流れてきた船で、避難者全員を陸まで避難させた」と壮絶な体験を語った。「避難中に特養の中で、朝までに多くの人が亡くなった」とし、「医師は医療機器や薬が無ければただの人だということを実感した」と述べた。最終的には入所者など関連施設の利用者164人のうち25%が亡くなった。また、職員も4人が犠牲になったと悲惨な実態を明らかにした。助かった施設利用者は、現在は同法人の老健施設と特養に入っているが、定員の140%になっているとのこと。行政は、いつまでその状態(定数超過)を続けるのかなどといってくるとのこと。また、「名取市の施設は全壊ではなく、強半壊とされ、今後補助金の交付対象などから外れるのではないのか」と懸念を表明した。
O先生(山元町・歯科医院)
 人口比で死者・行方不明者の割合が一番高いといわれる山元町で開業しているO先生は、診療所が冠水。診療所の中は泥だらけで、時計は津波が到来した午後4時2分を指したままとまっていた。震災後、栃木県から訪問診療車を借りて、避難所を回って診療にあたっている。ただ、診療所の普及の見込みは立っていない。先生は「この地域は、震災後、最近まで立ち入り禁止区域だった。最近ようやく日中のみ立ち入りが許可されるようになった。多くの患者さんが亡くなったし、助かった患者さんも避難生活を送っている。現在診療所の近くを走っている常磐線も、震災を契機に内陸部を通すという話もある。そうなれば駅も移転してしまうし、地域が元に戻るのは難しいだろう。同じ場所で再開しても、患者さんが戻ってくるのか分からない。地域の患者さんが避難している地域には、すでに多くの歯科医院があり、そこで開業するのは困難」と今後についての不安を語った。また、「この地域では、建物を行政に取り壊してもらうのかを決める期限が迫っている。復興計画などが決まっていない中で、家や診療所をどうするか決めさせるのは酷だ」と述べた。取り壊しを認める場合は、赤紙に名前を記入して貼り付けることになっており、先生の廻りの民家にはかなりの赤紙が貼られていた。先生は同地で開業して15年になるが、「あと5年で借金も完済するのに、また、大きな借金を抱えることになりそうだ」と先行きの厳しさを語った。
N先生(山元町・歯科)
 診療所が冠水したN先生は、5月20日から、診療所の隣の仮設診療所で診療を再開する。仮設診療所の設置に至った経緯について、「浸水した診療所の復旧には、建築用の部材が手に入らず、時間がかかる。それで、仮設診療所を設置した。診療所の復旧後には、仮設診療所に新しく設置するチェアを移設する予定」と述べた。仮設診療所は買取で設置する場合は、最低限の医療機器を含めても1000万円以上かかるそう。先生は、仮設診療所の建物をレンタルすることにし出費を抑え、診療所の復旧に注力する考え。診療所は、復旧作業がある程度進み、内部の泥は取り除かれていたが、泥をかぶったカルテはそのまま。「検死のために歯型がほしいという遺族からの問い合わせがあるが、なかなか見つけることができない」と述べた。