2011年3月23日水曜日

現地レポート⑬ 福島協会、宮城協会を訪問(3/23) -支援の第三陣


 今日から現地に向かった兵庫協会事務局、保団連事務局で構成する第三陣が福島協会に到着。水と食品を届けた。

 「ガソリン不足、鉄道不通のため出勤出来ない事務局員もいる。FAXなどで安否確認含めて連絡がとれたのは三分の一程度しかいない。報道されていないが、沿岸部はかなりひどい。対象は400件ほど。今は物よりも安否確認に出ていく人が必要だ。」(菅原事務局長談)

 その後、宮城協会(仙台市)へ。街は見た目には変わらないように見えるが、協会が入っているビルもヒビが入っている。今日も余震が3回あった。今夜、拡大総務会議が行われる。会議室の壁には会員情報や被災現場の写真が貼られている。

2011.3.23
兵庫県保険医協会事務局次長 黒木 直明

現地レポート⑫ 坂総合病院(宮城県塩釜市)を訪問(3/21) -支援の第二陣


対策本部副部長を務める
高津政臣副院長(中央)
  保団連医療支援チームは21日、宮城県の沿岸部で津波被害の大きかった地域にある坂総合病院(塩釜市)に被災状況など聞き取りを行った。
 対策本部副部長の高津政臣副院長(産婦人科)は、「震災当初は、自家発電の電力とポンプでくみ上げたわずかな水で終日診察を続けた。近隣の開業医は、津波による被害で診療が行えない状況もあり、お産も受け入れていた。病院に搬送されなくなった方は、震災直後8人、その後10人で計18人。多賀城市が津波により水没、数百台の車が横転している。全日本民医連の支援を受け、トリアージブースを確保、震災後10日経ち緊急度は下がってきている。今後は、早く通常の診療体制に戻すことが課題。そのためにも開業医と連携して地域医療を確保していきたい」と述べた。
 検死を行っていた同病院佐藤明医師は「検死は12人、多くは溺死だった。身元は所持品などで確認した。搬送患者の多くは低体温患者、体温23?24度の重症者も搬送された。病院では24時間体制で対応している。ベット数も通常の350床から緊急で40床増やし390床受け入れている。看護師も通常の3交代から2交代で対応している」と述べた。
 広川恵一協会理事は「一日も早く地域の開業医とも連携し通常診療に戻すことが重要。我々も被災を受けた開業医の支援は惜しまない」と述べた。


医療支援で現地入りしていた
上田耕蔵協会評議員(右)

  その後、避難所の多賀城市立天真小学校を訪問、20日から医療支援で現地入りしていた上田耕蔵協会評議員と意見交換した。「津波により被害は甚大、阪神大震災と比べて広範に及んでいる。物資の不足、特に石油不足は深刻だ。災害医療で低体温症はいままで経験したことがない。震災後低体温により10人近く亡くなっている。信じられない事態がおこっているが東北の皆さんはよく耐えている。この避難所には避難者が1000人いる。多くの方が津波で家を流された。生活再建が今後の課題」と述べた。


   その後、避難所の仙台市南部の亘理町立吉田小学校を訪問、亘理町保健師の星野素子さんから被災状況、避難所の状況など聞き取りを行った。 被災当初は、医師がいなかったため、頻繁に救急車を呼んでいた。現在は岐阜県の医療支援チームが常駐しており助かっている。電気はきているが水はまだきていない。トイレはプールの水を利用してる。他の避難所では衛生時状態の悪化によりノロウイルスが流行しているので心配。 被災当初は1700人の被災者がいたが、現在は550人。身寄りのある方は帰られたが、家が流された方、特に高齢者が残られている。避難者には高血圧・風邪・糖尿病の患者が多く、対応に苦慮している。物資も不足しており、特に歯ブラシ、紙コップが不足している。 
仙台市南部の亘理町立吉田小学校

  学校との関係は今のところ良好でだが、今後避難生活が長期化することでその関係も心配。震災時は自らも被災し、近所の高齢者を送迎中に津波が襲ってきてずぶ濡れになった。津波で多くの 方が被災した。 布団や靴も流され、ずぶ濡れのなかビニールを被り、裸足で歩いていた。宮城にこ んな津波がくるとは思っていなかった。亘理町はイチゴの産地だが、多くの畑は津波により潮をかぶり、再開まで2?3年はかかる。これからの生活をどうしていくかストレスを感じている住民が多い」と窮状を述べた。


2011.3.21
兵庫県保険医協会事務局 足立俊彦