2011年5月23日月曜日

現地レポート35 協会と保団連は医療機関再建に全力を

518()は前日に引き続き、岩手県北上市内の会員医療機関2件を訪問した。訪問した会員から「協会・保団連の震災支援活動には頭が下がる」「今こそ結集して被災医療機関を支援して欲しい」など支援活動に感謝の声や地元協会・保団連へ今後の取り組みに期待の声が寄せられた。
大槌町避難所
午後からは、青森協会会員からの支援物資(衛星インターネットノートPC)を県沿岸部の大槌町で被災された会員(津波で診療所が全壊)へ届けるため車で約3時間かけ大槌町の避難所に訪問。避難所では、被災された会員が不在のため直接支援物質をお渡しすることができなかったが、医療支援のため現地入りした大阪の開業医から今後の支援活動の課題など話を伺った。以下、報告する。
1、M歯科
 被害は壁にヒビ、PC・照射器・バキュームなど機器が断線のため故障した。震災当初は、石油不足のためスタッフが通勤困難、連絡も取れず5日間休診した。被災患者を数人診ている。被災者には当面無条件で窓口負担を免除するべき。協会・保団連を通じて要請して欲しい。この間、沿岸部へ医療支援のため避難所を訪問したが、口腔状態が悪化した避難者が多数いた。口腔ケアまで手が回らないのではないか。限られた物資なので避難者に丁寧に診療ができなかったことが歯がゆい。被災者への医療支援は、今後も可能な限り続けたい。協会は沿岸部で被災された医療機関の再建に全力を尽くして欲しい。歯科医師の友人は、沿岸部で被災し診療所が全壊した。来月からその友人への支援も兼ねて当院で勤務医として受け入れる予定。厳しい状況だが、自分ができる支援は今後も続けたい。
2
M医院
 被害は軽微だった。震災当初は、停電したが診療に影響は特になかった。内陸に避難している被災者を10人程診ている。沿岸部の被災者はあれ程の被害を受けたにも関わらず、地元に帰りたがっている方が多い。また、避難者は独居の高齢者もおり心配。沿岸部住民のコミュニティが震災で破壊された。国は復興支援を急ぐべき。政府は、危機管理能力が欠如している。財源論を展開することは、全くナンセンス。被災者の窓口負担の問題も同様で7月で線引きならそれまでに被災者の生活基盤の整備をする事が大前提。この間の国の対応には憤りを感じる。
 それに対し保団連の支援活動には頭が下がる思い。今こそ保団連・協会の頑張りどき。県内陸部はいいので沿岸部の被災された会員の再建に全力を尽くして欲しい。内陸部の先生方は、沿岸部の先生方への支援は惜しまない。そう思う先生方を協会・保団連は、組織化して大きな支援の力として欲しい。
また、被災者の生活再建も今後の課題。自治体は、早急にグランドデザインを作成し、住民主体の町の再建に取り組んで欲しい。
3、大槌町避難所(弓道場) 避難所への訪問途中,被害が大きかった釜石市、大槌町の被害状況を確認した。津波により町は壊滅状態。町に人影はなく、数人作業員が重機で瓦礫の撤去作業を行っていた。残った建屋も3階近くまで浸水した形跡があり、沿岸部の津波被害の大きさが見て取れる。震災後2カ月経つが、瓦礫の多くは残ったままの状態。早急に撤去作業が必要である。
避難所である弓道場に到着し、青森協会からの支援物資を地元大槌町の会員I先生に届ける予定だったが、I先生が一週間不在にされていたため医療支援に来られていた大阪で開業のT先生に託けた。T先生より医療支援の有り方などお話いただけた、以下報告する。
 「大阪府医師会の要請でに518日から21日まで大槌町の避難所で医療支援を行う予定。阪神・淡路大震災の際も当時救急専門医だったが事も有り、避難所だった兵庫高校で3カ月常駐していた。多くの避難者は地域の先生方を頼りにしている。我々は、地域の先生方の再建のため影ながらサポートするスタンスで取り組むことがポイント。仮設であれ早期に診療所が再開されることが望まれる。大阪府医師会としての支援は5月末までとなる。組織的に継ぎ目なく支援を継続して行く事が重要である。

2011.5.20
兵庫県保険医協会事務局 足立俊彦

現地レポート34 施設利用者の25%が死亡 壮絶な現場の実態

津波到来時で止まった時計
 5月10日も、被害の甚大だった気仙沼市と塩釜市、多賀城市、七ヶ浜町、大和町、大衡村の会員医療機関を愛知協会、富山協会、京都協会から参加した4人の事務局員が訪問。合計17人の会員に直接会い、お見舞金を渡すとともに、政府への要望などの聞き取りを行った。兵庫協会の平田と愛知協会の澤田事務局次長は人口比で死者・行方不明者の割合が一番高いといわれる山元町を訪問。同地で開業しているある会員は、診療所が冠水。診療所の中は泥だらけで、時計は津波が到来した午後4時2分を指したままとまっていた。震災後、栃木県から訪問診療車を借りて、避難所を回って診療にあたっている。ただ、診療所の復旧の見込みは立っていない。先生は「この地域は、震災後、最近まで立ち入り禁止区域だった。最近ようやく日中のみ立ち入りが許可されるようになった。多くの患者さんが亡くなったし、助かった患者さんも避難生活を送っている。現在診療所の近くを走っている常磐線も、震災を契機に内陸部を通すという話もある。そうなれば駅も移転してしまうし、地域が元に戻るのは難しいだろう。同じ場所で再開しても、患者さんが戻ってくるのか分からない。地域の患者さんが避難している地域には、すでに多くの歯科医院があり、そこで開業するのは困難」と今後についての不安を語った。また、「この地域では、建物を行政に取り壊してもらうのかを決める期限が迫っている。復興計画などが決まっていない中で、家や診療所をどうするか決めさせるのは酷だ」と述べた。先生は同地で開業して15年になるが、「あと5年で借金も完済するのに、また、大きな借金を抱えることになりそうだ」と先行きの厳しさを語った。
 診療所が冠水した会員は、5月20日から、診療所の隣に仮設診療所で診療を再開する予定。仮設診療所の設置に至った経緯について、「浸水した診療所の復旧には、建築用の部材が手に入らず、時間がかかる。それで、仮設診療所を設置した。診療所の復旧後には、仮設診療所に新しく設置するチェアを移設する予定」と述べた。仮設診療所は買取で設置する場合は、最低限の医療機器を含めても1000万円以上かかる。先生は、仮設診療所の建物をレンタルすることにし出費を抑え、診療所の復旧に注力する考え。診療所は、復旧作業がある程度進み、内部の泥は取り除かれていたが、泥をかぶったカルテはそのまま。「検死のために歯型がほしいという遺族からの問い合わせがあるが、なかなか見つけることができない」と述べた。
プレハブの仮設診療所
 また、名取市でオーナーを務めていた診療所、特養、ケアハウス、グループホーム全てが全壊した会員は、現在は、被害の少なかった若林区の特養に診療スペースを開設して、診療を再開していた。先生は当日を振り返り「名取市の診療所で診療を行っていたが、地震が発生した。地震で防災無線が破壊され、正確な情報が無かったが、地域で唯一の3階建ての建物であるケアハウスに、特養の入所者などを避難させるように指示をし、自身も特養に向かった。特養に入ったところで、津波に襲われながらも、流される入所者を助けた。津波は首までの高さに達し、それぞれの施設が孤立状態に。その後、入所者や他施設の利用者など特養にいた人を大広間に集めて、暖をとるために火をおこした。厨房にあった油を使ってたいまつを作り、明かりをとった。また、津波により自宅の2階などで孤立した人を、いかだを作り助けたりした。2日目には、流れてきた船を利用し、避難者全員を陸まで避難させた」と壮絶な体験を語った。「避難中に特養の中で、朝までに多くの人が亡くなった」とし、「医師は医療機器や薬が無ければただの人だということを実感した」と無念そうに語った。最終的には入所者など関連施設の利用者164人のうち25%が亡くなり、職員も4人が犠牲になったと悲惨な実態を明らかにした。助かった施設利用者は、現在は同法人の特養に入っているが、定員の140%になっているとのこと。「行政は、いつまでその状態を続けるのかといってくる」「名取市の施設は全壊ではなく、強半壊とされ、今後補助金の交付対象などから外れるのではないのか」と行政の対応に不満を述べた。
 
2011.5.11
 兵庫県保険医協会事務局 平田雄大