2017年11月6日月曜日

声なき声を届ける仕事

 2017917日から18日の間、東日本大震災被災地訪問事業に参加させていただいた。初日は宮城県気仙沼市にある仮設住宅の「水梨コミュニティー住宅集会所」を訪問して、現状をお聞きした。そこで高齢者の医療サポートをボランティアで震災以降続けている村上充さんとお会いし、気仙沼市の医療の現状を傾聴した。気仙沼市は医療圏が広く地域高齢者の受診控えが問題となっている。村上さんはいわゆるこれらのサイレントマイノリティに光をあて、無償で高齢者の診療の付き添い事業等を行なっている。気仙沼には基幹病院が市民病院しかない。このため診療が必要な気仙沼の高齢者は国民が自分の判断で自由に医療機関を選択できるフリーアクセス権が行使できない状況にある。
 国は震災医療対策として補正予算を組み、第1次補正予算として、医療・介護・障害福祉の利用料負担・保険料軽減措置に1142億円、仮設診療所等の整備に14億円、医療施設等の災害復旧に906億円、保健衛生施設等の災害復旧に13億円、社会福祉施設等の災害復旧に815億円、 福祉医療機構による医療施設・社会福祉施設等に対する融資に100億円が計上された。これらの災害支援政策はポプレーションアプローチとしては間違っていないが、サイレントマイノリティには、その政策は届かない。このギャップを埋めるのは、草の根運動である市民活動になる。
 2011311日に震災が発生した当時、筆者が関西労災病院勤務時代に労働者福祉機構より災害派遣医療チームの一員として仙台市の若林地区に派遣され、避難所の公衆衛生管理を行ったことがあった。震災直後の避難所は一般市民により管理され、行政の力は届いていなかった。未曾有の震災においても、日本にはコンティンジェンシー・プラン(不測の事態に備えた計画)が用意されていない。震災の復興においては、その多くが市民の無償の行為によって支えられている。復興の主体は政策ではなく、人の絆である。村上さんの活動はそう訴えているようだった。
 その後夕食を共にしたファミリーレストランにて塩釜市や気仙沼市で活動する、「ライフワークサポート響」代表の阿部泰幸さんと懇談した。災害復興住宅における住民同士のいさかい、社会福祉協議会の内部問題など、実地に活動をしている者にしか知り得ない貴重な経験を教授いただいた。災害支援の本質は声なき者の声をいかに行政に届けるかにある。阿部さんはその一点に活動を絞っている。行政が拾えない様々な陳情が阿部さんのところにやってくる。仮設住宅や復興住宅には問題が山積している。阿部さんは住民の訴え一つひとつを丁寧に傾聴して、関連機関と協力して解決方法を模索している。
 横浜市から定期的に被災地の在宅訪問診療をしている岩井亮先生にもお会いした。現状の医療制度では例え善意であっても、被災地で医療行為を行うのは困難を要する。多くの批判に晒されていても、孤立した高齢者に継続した支援を行なっている臨床医の姿勢と、それを陰に支えている気仙沼の医師会の現状に感銘を受けた。
 翌日18日は、福島県保険医協会理事長・松本純先生と事務局長・井桁さんに、福島県飯館村を案内していただいた。訪れたのは大久保金一さん(1940 年生まれの77歳)の自宅である。 1947 年に飯舘村に家族とともに入植し、以来 2011 年の 東日本大震災まで母親とともに同地区で生活していた。福島第一原子力発電所事故発生後、年老いた母コトさんを連れて避難地区の自宅に戻ることになる。汚染された避難地区において、様々な方とのかかわりから大久保さんは「マキバノハナゾノ計画」を立てる。桜やバラの苗木を植えれば、何年か後には一面に山間に咲き乱れることだろう。そう大久保さんは考えた。大久保さん宅には海外の取材クルーや大学の研究機関がよく訪れる。汚染された土地に住み続ける姿に、訪れたものは何を投影しているのだろうか。

 奉仕とは、報酬を求めず、また他の見返りを要求するでもなく、無私の労働を行うことをいう。震災支援における人々の取り組みは奉仕の枠組みを超えた「助け合い」「お互い様」地域の共同体意識から発生している。キリスト教に端を発する「慈善」(charity)という考え方とは異なる。震災に対する東北の方の無常観、共同体意識から発する「助け合い」の精神、これらの清廉な思想を震災支援の現場からは学ぶことができる。派遣させていただいた保険医協会に感謝を申し上げたい。

【西宮市・医師 林功】

2017年9月26日火曜日

2017年9月の被災地訪問

2017916日~18日。兵庫協会の継続事業である、東日本大震災被災地訪問事業に参加した。被災地の方々と、今までに築かれた交流の新たなる発展と課題を見つけ出すという目的が、出発前から課せられていた。
個人的には、毎日懸命に地域社会で、歯科医師として、他職種の方々と連携して、医療・介護・福祉に従事していることを、被災地訪問で生かすことができるかどうかを、自問自答しながら参加した。日常生活のありのままの、自分が、被災地でも同じ課題に遭遇するのでないかと予感しながらの3日間であった。
 初日の16日(土)。八戸市に集合して、3日間の事前の行程の確認と、参加する目的意識の確認、今までの事業の経過と問題点を、広川先生が説明された。
17日(日)、午前6時30分に、八戸駅を出発して海岸沿いに南下した。最初に訪問したのは岩手県田野畑村にある宝福寺。2年前の2015年9月19日にご逝去された、開拓保健師、岩見ヒサさんの3回忌に、偲ぶ会が執り行われており、お参りをした。岩見ヒサさんは、同村に持ち上がった原発招致の反対運動を先導された。多額の補償金にも揺れることなく、終始一貫原発招致に反対を貫いた人生を、村で全うされた。3年前の訪問した時に、直接お話をお聞きしたが、お亡くなりになり、ヒサさんの一貫した生涯は、やはりすごく偉大な功績だったんだと、思いを新たにした。
 田野畑村を後にして、宮古市、三陸海風を経営する山口様から、今年の不漁の実情をお聞きした。漁業の不振は、岩手県や宮城県でも、深刻な状況が今年の特徴であるという。
 次に、宮城県気仙沼市では、仮設住宅の「水梨コミュニティー住宅集会所」を訪問して、現状をお聞きした。横浜市から定期的に訪問して、入居者の健康を見守る、緩和ケア専門医師、岩井亮先生ともお会いした。さらに、仮設住宅の入居者の自立支援をサポートする、医療施設や介護現場と市役所等の公的相談場所との架け橋で、兵庫協会との交流も5年目を迎える村上充さんとお会いし、塩釜市や気仙沼市で活動する、「ライフワークサポート響」代表の阿部泰幸さんと懇談した。
阪神・淡路大震災後の見落とされた、報道されない現実と似通った詳細な、お話には、今後の問題が山積みだった。現代の日本中に潜在する問題が、明らかに、被災地では、強く顕在化してきていることに気付いた。
 3日目の18日(月)は、福島県保険医協会理事長・松本純先生と事務局長・井桁さんが、福島県飯館村を案内してくださった。
3日間を通して、被災地の状況は、どんどん真実が報道されなくなる傾向にあり、兵庫協会や保団連や、被災3県の保険医協会が、今後も交流を深めつつ、記録を、文章と写真や懇談の内容を公開して、世界中に発信していかなければならない。
絶対に他人ごとで済まない。そして、今後の課題を、医療運動対策として、政府や自治体に請願していくことも必要不可欠である。
しかしながら、冷静に着目すると、これらの問題は、全国規模で顕在化している問題で、医療運動にしやすいのではないか?むしろ、さらに深刻化し、潜在化して見落とされる問題だけは被災地を訪問しないと全然分からないこと、問題が多すぎることを学んだ。今後も、必ずあらゆる場所で伝えていかなければならない。節目節目でのシンポジウムを開催することも必要と思う。
特に、松本純先生は、兵庫県の活動記録にも、目を向けてくださるので、定期的に、兵庫協会にも来ていただいて、講演もお願いしたい。兵庫協会独自の被災地の物産展の定期開催継続も、今まで以上に効果的でかつ被災地との交流が身近となる。
あと3年半で、東日本大震災は被災10年を迎える。全ての記録を、書物にすることも、政府への直訴には有効と思う。被災者の苦しみを公開して、交流を発信するだけでは、上から目線で、人権を共有しているとはいえない。開業医の団体だからこそ、全国民に知っていただき、医療運動対策として、どんな政府であろうが、訴えていくことが可能となる。被災10年には、大きな事業を、被災3県と保団連と兵庫協会が先導して、実現していくことで、後世に受け継いでいかれるものと強く信じてやまない。
それには、毎日の地元で、懸命に歯科医療に従事して、他職種連携の医療・介護にも、積極的に参加したいと思う。地元で、医療貢献することが、被災地医療貢献につながり、根深い問題点を顕在化させて、医療運動に変えることができると信じている。さっそく、明日からと言わず、今日から輝ける医療従事者になりたいと感じた。被災地訪問に参加の機会があるならば、地元医療と両立させて、必ず参加したいと心に誓った。参加の機会をくださった兵庫協会には、常に感謝の気持ちを持ち続けていることを、最後に申し伝えたい。

【赤穂郡・歯科 白岩 一心】

第38次東日本大震災被災地訪問レポート

 兵庫県保険医協会は916日~18日の3日間、岩手県・宮城県・福島県の被災地を訪問した。広川恵一顧問、白岩一心理事、林功先生と、兵庫協会事務局4人、保団連事務1人が参加した。
 東日本大震災発生から6年半を経ての現在の課題を見出すと共に、日常診療経研交流会やプレ震災企画、そして東日本大震災10年のつどいに向けて、被災地の方々との繋がりを維持・発展させることを目的に訪問した。

岩手県田野畑村・宝福寺。故岩見ヒサさんの仏前にお参りし、親族を訪問した

岩手県宮古市の三陸海風代表取締役山口さんに、ウニ養殖の取り組みや課題について伺った

気仙沼市の医療・生活の現状や課題について、医療コーディネータの村上さんや、ライフワークサポート響の阿部さんから伺った

福島県飯舘村小宮で、薔薇や桜、水仙を育てる大久保金一さんを訪問。近くには花畑を見通せる高台もある。

福島県川俣町にある、草野、飯樋、臼石の3小学校の合同仮設校舎





2017年3月24日金曜日

第37次東日本大震災被災地訪問レポート

 兵庫県保険医協会は3月19日~20日の2日間、岩手県・宮城県・福島県の被災地を訪問、広川恵一顧問、松岡泰夫評議員、村上博評議員が参加した。声楽家のバイマー・ヤンジン氏が同行し、2か所でミニコンサートを開催した。
 大地震・津波・原発災害から6年を経ての地域の暮らし・健康の課題を学び今後に役立て、情報発信を行うこと、それらを通してこれまでの被災地で関わらせていただいた方々との関係をよりしっかりしたものとすること、ミニコンサートを通じて地域の人々との交流を深め課題を見出す機会とすることを目的に訪問した。

岩手県田野畑村・宝福寺で故岩見ヒサさんの親族を訪問した(3/19)

岩手県宮古市の三陸海風でカキ小屋などを営む山口さんに水産業の復興の現状と課題について伺った(3/19)

岩手県陸前高田市の子ども図書館「ちいさいおうち」で近況を伺った(3/19)

岩手県陸前高田の光照寺では高澤公省住職から、犠牲者を弔うために建立した慰霊館の前でお話を伺った(3/19)


岩手県陸前高田市・普門寺で熊谷光洋住職から被災直後からこれまでの状況などについて伺った(3/19)

宮城県気仙沼市・南郷復興住宅では、村上先生が笑いを取り入れた体操で参加者と交流した(3/19)
南郷復興住宅ではチベット出身の声楽家バイマー・ヤンジンさんのミニコンサートを開催、最後は「ふるさと」を参加者とともに歌った。軽妙なトークと合わせ和やかなコンサートとなった(3/19)

気仙沼市の医療・生活の現状や課題について、医療コーディネーターの村上さんや民生委員の小野さん、自治会の役員の方からお聞きし懇談した(3/19)

福島県南相馬市の大町病院で猪又院長・藤原看護部長・生田看護師、詩人の若松氏と懇談、現在の医療状況やこれからの展望などについてお伺いした(3/20)

福島県内の常磐自動車道沿いの帰還困難区域には、山積みにされた除染後のフレコンバッグにシートがかけられている土地が至る所に見られた(3/20)


福島県楢葉町・法鏡寺の早川住職から福島第一原発事故による避難指示が解除された現状についてお聞きした(3/20)

法鏡寺では、彼岸のお参りの方や早川住職のお話を聞くためお堂に集まった方がヤンジンさんのミニコンサートを楽しんだ(3/20)

震災直後に避難者へ宿泊先を提供した福島県いわき市の旅館新つたにて近況を伺った(3/20)

2017年3月15日水曜日

【談話】東日本大震災6年

【談話】東日本大震災6年

暮らしの復興をこそ優先すべき

兵庫県保険医協会理事長 西山 裕康


 地震、津波、原発事故により、死者1万5894人、行方不明者2561人を出した東日本大震災から6年が経過しました。自死や孤独死を含め、震災関連死者数は3500人を超えて増え続け、いまだに災害は進行中と言えます。
 暮らしの基盤である住居を奪われ、依然として約13万人が応急仮設住宅や避難先で不自由な生活を強いられ、時には不条理な扱いを受けている状況は、速やかに改善しなくてはなりません。
 しかし、災害復興住宅建設や高台集団移転、住民生活の再建・復興は遅れに遅れています。特に、放射能汚染により故郷を追われた福島からの県外「自主避難者」の家賃免除打ち切りは、看過できません。福島県では、約半数の県民が「元のような暮らしができるのは、今から20年より先」と答えています。
 協会は、東日本大震災後、被災地への訪問活動、健診やコンサート開催などを継続し、兵庫県内では福島県外避難者の健診事業に協力し続けています。
 また、阪神・淡路大震災から22年を経た現在も、借り上げ復興公営住宅からの入居者の追い出し問題や、災害援護資金の返済免除問題に取り組んでいます。
 どのような災害であれ、その復興施策では、インフラ投資、新産業育成などといった「創造的復興」ではなく、失われた被災者の健康、生活、仕事の再建が最優先されるべきです。
 これからも「人間の復興」を求め、すべての被災者の最後の一人まで、その命と健康を守り、暮らしと生活の再建に努力していきたいと考えています。
 皆さまのご理解とご協力をお願いします。