2013年1月29日火曜日

現地レポート45 12/22~24被災地訪問参加記2

 12月22日から24日にかけて、伊賀幹二先生(西宮市・伊賀内科・循環器科)、川西敏雄先生、広川恵一先生(西宮市・広川内科クリニック)、協会事務局で被災地を訪問。現地の現況や、生活、医療の課題を地元協会の協力も得て伺った。参加した広川恵一先生からのレポートを紹介する。


2012年12月22日~24日 被災地訪問報告
広川 恵一


【今回の目的】
 ①県立陸前高田、大槌町の被災地の課題を青森協会のとりくみも含めてうかがう
 ②気仙沼での生活医療課題をボランティア医師・地元ボランティア・訪問看護師・民生委員から伺う
 ③気仙沼では宮城協会の参加を得て今後地元でのとりくみに役立つ機会としていただく
 ④南相馬市・大町病院での現在の医療課題を伺う
 ⑤阪神淡路大震災の記録の一部を持参して可能なものは役立てていただけるようにする
 ⑥これらを通して被災地医療への兵庫協会のかかわりを少しでも高める機会とする
 これまでも被災地の訪問では関係協会への事前の連絡・相談をさせてただいていて、今回は青森協会と宮城協会の協力・参加をいただいた。


【参加】 伊賀幹二、川西敏雄、広川恵一
     事務局:黒木直明、楠真次郎 (敬称略)


【行程】 
22日(土):伊丹(16:30)→花巻空港→(タクシー)→盛岡(19:00)
23日(日):盛岡(7:13)→(新幹線)→新花巻(7:28)→(タクシー)→釜石(9:10)/レンタカー
     →大槌町(9:30)・植田医院(10:00)→陸前高田市・県立高田病院(11:30)
     →気仙沼市・赤岩松沢仮設住宅(13:20~15:30)→仙台空港経由(18:30)
           →南相馬市・大町病院(20:30)
24日(月):南相馬市・原町(7:00)→(仙台代行バス)→仙台(9:00)(広川)


   
【内容】

22日(土):盛岡市
陸前高田病院院長・石木幹人先生、青森保険医協会・大竹進先生、事務局藤林渉氏と懇談

<出された意見>
①復興・医療状況
  旧病院跡地はじめ被災地の残骸の建て壊しが1月中の予定で始まった
 県立高田病院では41床の8割が稼働、多くは感染症の患者
 呼吸器疾患患者の受け入れとリハにも力を入れている
 大船渡病院(80床)が急性期・リハの対応を行い連携したとりくみをすすめている
 移転後の高田病院は、予測よりはマイナスだが経営的には成り立っている
 病院のリハスタッフは減って他の地域でも足りない
②医師不足について
 全国から医師が支援に来てもらっていてその継続が課題
 東北・被災地は医療過疎で例えば気仙沼には産科がなく看護師の確保も難しい
 陸前高田の住民はすべての診療科を求めて平成15年に病院縮小に反対する会ができた
 卒後研修の一環として研修医を現地に派遣して学んでもらうことは大切と考える
 被災地支援で開業医、ベテラン開業医が役割を果たせるようにしたいと考えている
 自治体でのコンビニ受診を控え医療守る市民条例が例があり(延岡市など)参考にしたい
③原発事故・原発建設への対応
 函館市の人たちと連絡を取りながら大間原発反対の取り組みを行っている
 同時に原発反対・原発賛成にかかわらず原発について考える会をすすめている
④被災地支援で漠然とした募金だけでなく目に見える募金活動が大切という意見の中で
 陸前高田では流出したこども達の図書館の再建に取り組んでいる紹介をいただいた
 具体的に今後の協力の一つとしたいことが話し合われた
⑤被災地での希望という話しの中で
 人間が生きていく上で希望が大切
 地元の餅屋さんが建物・道具流されてすっかり元気をなくしているところ
 地元の餅米と小豆と道具を用意してお客も待っている状態で餅をついてもらうとりくみ を行ったところとても元気になってくれた
 地域で医療をすすめる上でそのような視点・こころはとても大切
 (研修医にはそのマインドを学んでもらいたい)

23日(日)
植田俊郎を訪問(23日、大槌町の植田医院)
■大槌町

大槌町被災地訪問
街中は建物はおおむね解体撤去されて更地化
植田クリニック訪問し植田先生に当日の状況の映像での説明と現状と課題についてうかがう
いつもの快い受入れにしっかりと地域の医療を担い暖かい支えとなっているのを感じる







■陸前高田市


津波被害にあった旧高田病院。
取り壊しが作業が行われていた(23日、陸前高田市)
県立陸前高田仮設病院で石木先生に院内の説明と旧高田病院・被災地を案内を受ける
地盤沈下での浸水地域が広範に拡がり土嚢で臨時の堤防が作られている状態は変わらない
積み上げられてまだ残っている瓦礫が全体に雑草が覆われている 
旧高田病院の建物も取り壊しが始まっていて1月中には更地になる予定
水田の土の入れ替えが進み、来年には田植えが出来るようになる
稲は塩分には意外と強いが土にガラス片が混じっていたため今年は使えなかった
 

仮設の高田病院前にて(同上)

避難されほとんどの方が亡くなった市民体育館や陸前高田駅前のロータリー跡地案内を受ける
今回案内していただいたことで駅が高田病院のすぐ近くにあったことが初めてわかった











■気仙沼
山梨市立牧丘病院・古屋聡院長、菊池優子訪問看護師(一人訪問看護ステーション)、地元の村上充ボランティア、小野道子民生委員、宮城協会・井上博之副理事長、鈴木和彦事務局長と懇談

<出された意見>
①ボランティア医師
 当仮設には隔週で横浜市からの岩井亮医師がボランティアで医師会の承諾を得て整形疾患の治療をされ湿布処置や風邪などでは3日分程度の投薬もされている。古屋先生は本吉病院の非常勤職員の立場で地元医療に協力・参加。山梨から車で7時間かけて(このたびは笹子トンネル事故で列車で)隔週に訪問されている。
②ボランティア活動
 ボランティアなどの中で健康問題をとりあげてくれる方が少ないのが問題。被災者のニーズの量がどれくらいのものかを見極めコーディネートするボランティアが少ない。仮設住宅での医療支援は普段の主治医との関係の調整が大事。
③地域の医療状況
人口7万の気仙沼市内で積極的に訪問診療をされている医師は1名。訪問リハもは1月前まではPTが1人しかいなかったが現在は3人。気仙沼市内に耳鼻咽喉科、皮膚科の開業医ない。気仙沼市は震災前から医療機関の数が全国平均の半分で震災後減少してさらに深刻な状態となっている。
④仮設での生活環境
 当仮設は独居、高齢者が多く市中から離れていて、通院・買い物に不便で週1回移動支援のボランティアの方に来てもらっている。
 仮設住宅は岩手県では寒冷地仕様であるが宮城県は普通仕様。気仙沼市は宮城県の北端で、昨冬に零下15℃まで気温が下がり水道・トイレ自体の凍結・破損が相次いだ。修理に係る必要は全て個人持ちになっている。結露のためにカビにも悩まされている。気仙沼は「陸の孤島」という気持ちになる。
 仮設入居者に心療内科に受診している人が増え自殺者も増えつつあるという。在宅酸素
療法を受けている呼吸器疾患のひともメンタルケアがとても重要であるとわかる。
被災のレベルが人それぞれ違い、仮設住民の間での温度差がでてきている。発災から1年9カ月たち、家族を亡くされたことなどストレスがたまり精神的につらくなっている人が多い。自殺者が出ている。
⑤一人訪問看護ステーション
 一人訪問看護ステーションは市の認可(菊地看護師は一関市での認可)のため、一関市内の仮設には2000人が居住しているが、一関市民ではないため訪問看護の対象にならない。一関市に住民票を移すと気仙沼市からの情報が届かなくなるため移せないという問題がある。しかも一人訪問看護ステーションは被災地特例措置で来年4月以降継続出来るかどうか未定。また、訪問看護に行けるのは要介護1~5までの利用者で医療保険での訪問看護は出来ないという制限がある。
⑥インフルエンザ予防接種
 市内の仮設住宅入居者を対象にインフルエンザの予防接種が一斉に出来ればよいが実施できず接種率が悪い(市から離れた場所にある当仮設では接種率が高かった)。
⑦宮城協会では仮設住宅入居者を対象に一部負担金免除に関するアンケートと負担金免除のためのとりくみを行っており1月には記者発表の予定にしている。宮城協会のアンケートに、当仮設でも協力いただいて被災地域の一つの連絡先としていただく。今後の関係をつづけてもらう。
⑧今後の課題
 来年3月末で、一部負担金免除が打ち切られると、現在受診している人が受診出来なくなることで、さらに状態の悪化が懸念される。心療内科にかかる患者が増えているなか患者負担が3割になれば、受診が抑制されてしまう。今は戦後よりひどい。土地もお金も仕事も家もすべて失った人が多く、医療費免除が終わりさらに消費税もあがると被災者は大変で自殺者増えることが予想される。

■南相馬・大町病院

大町病院の猪又義光院長、藤原珠世看護部長、
生田チサト看護師らと(23日、南相馬市)
猪又義光院長、藤原珠世看護部長、生田チサト看護師と懇談

<出された意見> 
①医療体制
 全国からの協力の位置づけを深めることや医療機関の質向上目的に外部研修のとりくみがすすんでいる。看護師がいなければ医療ができない。看護師に来てもらうには住居を確保することが重要。それを踏まえて看護師確保に努力してきたが、現在はあわせて医師確保に力を入れている。交通手段の確保も重要で、空路、新幹線のいずれかを選択してもらい送迎もしていることで安心感を持って来てもらえるよう配慮を行っている。このたびは21歳の救命救急士がボランティアで病院に来てもらえる。救急搬送に大きな力になりありがたい。救急車の乗務を考えている。
 当日は猪又先生は当直中で前日より2人の緊急入院があったとのこと。
②被災地の状況
 発災後、警察に引っ張られてもいい覚悟で、大胆に判断した。被災者はいつまでたっても仮設住宅入居のままでは復興にスピード感がない。迅速さが必要。いま医療費の免除措置が継続するのかどうかが大きな問題。安心して医療を受ける保障が必要。被災者は1年9カ月たち疲れがどっときている。元気になるまで、医療支援が不可欠。
③今後の課題
 全国からの参加を適切に受け入れていくことと看護の質的向上に力を入れること、医師確保をすすめることと窓口負担の署名を再開すること。


【その後】
植田先生より
「・・ 岩手、宮城の沿岸部は医療過疎地です。なかなか解消できない古くからの問題です。医師の適正配置を抜本的に考え直さなければ・・・来年度は復旧から新生へと踏み出す時期だと考えています・・」
石木先生より
「・・遠いところありがとうございました。先生たちと話していると、しぼみそうなやる気に火がつけられます。子供の図書館の件は、主催者が動き始めています。近いうちに実現に向けた動きが出てくるはずです。これも先日の話の結果です・・」
村上ボランティアより
「・・今、私たちは、何も立ちゆかない状況にあります。そして私自身、被災地で暮ら
す同郷の身として、何ができるのか暗中模索の日々でございますが、・・私がしなければいけないことを、これからも追い求めていく所存でございます・・」
 とそれぞれお便りをいただきました。励まされるのはむしろこちら側で、毎日の仕事に・被災地のとりくみ少しでも関わらせていただきたいと思います。
 「東日本大震災被災者並びに福島原発被災者の医療費負担免除を復興終了まで延長し、対象を抜本的に拡大すること」(兵庫県保険医協会・第948回理事会声明)のとりくみを全国の連携の中ですすめていきたいと思います。


【おわりに】
 このたびはご多忙の中にも関わらず青森協会・宮城協会からのあたたかい協力をいただくことができた。この場を借りて感謝申し上げます。被災地の訪問は地元のとりくみによって支えられることから、できるだけ各協会への事前の連絡・相談をさせていただいており、無理のないところでの参加・協力・交流(医療企画・文化交流の企画含めて)をお願いしています。今後とも被災地協会からの支え・ご尽力をいただきたく思っています。
 このたびの訪問で、被災地の訪問活動をより多くの人たちで継続していくこと、地元医療機関と協力して医療支援を様々な形で継続していくこと、阪神淡路大震災の経験も共有して仮設住宅を内外の人々の交流・文化的なとりくみやと情報の豊かな場所として人々の生活再建の場にしていくことの必要などを感じた。医療・福祉の現場は待ったなしである。被災地の医療費負担減免や被災地特例一人訪問看護ステーションなど地域に求められるいのちと暮らしに関わる制度は地域の実際・ニーズをもとに守られるべきであり、さらに必要なものは迅速に大胆に形作られ実行していくことが大切で、そのための住民・医療関係者の今後のいっそうの連携ととりくみの大切さを感じた。
 今回のメンバーは5名。伊賀先生、川西先生とは移動の車中、被災地のことをはじめ日々の問題、政治や経済、TPPについても大いに話し合うことができ、印象的な被災地の訪問をさせていただくことができた。事務局の黒木さんは事前手配はじめ十分な段取りをおこなってもらい、楠さんには時間通りの安全で運行を行ってもらえた。お互いの気持ちが通いあわせられた中での訪問となった。
 今回の訪問でも被災地にとりくむ方々と個人的にも思いを通わさせていただくことができた。また地域の医療の灯台としての医療を担う人たちのこころざしと誇りをこのたびも胸に深く刻ませていただくことができた。
 今後とも被災地の方々に思いを深くして、①受け入れていただく、②学ばせていただく
 ③関わらせていただく、この気持ち・姿勢で今後とも訪問させていただきたい。


【そのほか】
 2月9(土)-11日(月・休)に個人で気仙沼を中心に被災地訪問させていただきます。その中で、阪神淡路大震災・旧名塩仮設の自治会長と相談・協力を得て3年半にわたる名塩仮設住宅の記録のスライド上映を仮設住宅でさせていただくこと、文化企画の相談・打ち合わせなど予定しています。

現地レポート44 12/22~24被災地訪問参加記1

 昨年12月22日から24日にかけて、協会の川西敏雄副理事長、広川恵一理事、伊賀幹二理事らが岩手、宮城、福島の被災3県を訪問した。22日は岩手県立高田病院の石木幹人院長、被災地支援に取り組み続けている青森県保険医協会の大竹進会長らと懇談。被災した高田病院の現状と、青森協会の大間原発建設反対への取り組みなどを交流した。23日は岩手県大槌町の植田医院、県立高田病院、宮城県気仙沼市の赤岩牧沢テニスコート仮設住宅、福島県南相馬市の大町病院を訪問。現地で奮闘する医療関係者やボランティアらから話をうかがった。伊賀理事と川西副理事長のレポートを掲載する。

参加記(1) 自分の目で確かめた被災地の現状
西宮市  伊賀 幹二

 3・11原発事故後の福島の状態を新聞やテレビで見聞きすることは多い。原子力問題を考えると、どうしても福島やその他の被災地の状況がどうであるかをこの目で見たいと思うようになった。
 私の関与するメーリングリストなどでいろいろと知り合いのつてをさぐった。しかし、土地勘がない私が一人で福島に行っても「広すぎて何もわからない」のでは、との否定的な意見を多くいただいた。どうしようかと思案しているときに、保険医協会が震災地を訪問する計画があることを知った。福島限定ではなかったが、「渡りに船」とはこのことですぐにお願いした。テレビでみたあの風景は、自分の目で見ればどんなだろうか? 実際に見てみるとどんなことを感じるだろうか?
 12月22日夕方に伊丹空港から花巻空港へ、翌日は車で釜石市、大槌町を通って、陸前高田市、気仙沼市を訪れた。気仙沼では仮設住宅をケアしている人たちと懇談し、5人のメンバーのうち私は、23日の夜に西宮に帰った。

岩手県立高田病院の石木幹人院長(右2人目)、
青森協会の大竹進会長(同3人目)らと懇談(22日、盛岡市内)

 22日の夜には青森協会の大竹会長と、被災した県立高田病院の石木院長と会談した。津波の当日、高田病院が孤立したのはテレビで知っていた。しかし、実際にそれを体験した人から、当時の話をうかがい、また翌日に現場を見せていただいて、テレビとはまったく違ったものを感じた。
 被災直後、病院は多くのボランティアを受け入れた。いや、彼らに来てもらわなければ病院運営はできなかったという方が正確かもしれない。しかし、ボランティアに来られたほとんどの人は、いろいろなことを教わり何物にも代えがたい貴重な経験をさせてもらったと言われ、一方、ボランティアを受け入れた病院側の人たちも、ボランティアの方から学べたことも多かったとのことであった。彼らとの懇談の中で、卒後の地域医療研修枠として被災地の地域医療研修を1カ月義務にすべきではないかという話におよんだ。
 翌日に、すべてが破壊された町を見ると、石木先生の、被災地の人はまったく希望を持てなくなっているという話も納得できた。コンクリートの基礎のみ残している広大な古代遺跡のようにみえた。例外的に残っていた鉄筋コンクリートの建物でも、1〜2階は完全に破壊されていた。訪問した町はすべて同様であり、例外なく破壊されたことを理解できた。涙が出そうになった。
 地元で餅を作っていた両親が津波で死亡された後に、その娘さんに「がんばってまた作れ」といってもできない。餅米を、餅つき道具を準備して、そしてお客さんを紹介して初めて一歩前に進める。希望をどうやって持ってもらうかという話もあった。
 広々とした土地をどう再生させるかはリーダーシップを持った行政の青写真なしには不可能である。私たちは、日本人として、同じ人間として、東北の状況を自分の目で見たり、東北の産業の顧客になることで彼らの背中を少しは押せるかもしれない。
 西宮に帰ってからテレビで放送されている東北の番組に、訪問する前とまったく違った感情を持って見ている自分に気がついた。



参加記(2) 仮設所から垣間見える日本福祉の未成熟
中央区・歯科  川西 敏雄


 3日間の詳細は伊賀理事の記事に委ね、このレポートは2点に絞り込みます。

(1)赤岩牧沢市営テニスコート仮設住宅(宮城県気仙沼)

赤岩牧沢テニスコート仮設住宅で古屋聡先生や
ボランティアの人たちと懇談(23日、気仙沼市内)
気仙沼市自体が、過去から地域的に岩手県と宮城県との行政の狭間にあったという経緯が、今回の訪問で判明した。同行した井上博之宮城県保険医協会副会長ですら数十年ぶりの訪問であることから、ご本人も地元ながら認識を新たにされていた。その流れの中で、当仮設住宅も自治体の狭間での苦労を味わっていた。
 当日の施設側のメンバーは、ボランティアの村上充氏、住民で民生委員をつとめる小野道子氏、訪問看護師の菊池優子氏、山梨市立牧丘病院院長の古屋聡先生。
 特に民生・児童委員である小野氏は、せきを切ったように現状を語られた。仮設建屋自体が寒冷地用でなく、結露のため室内はカビだらけであり、同じく便器も水道管も寒さ(マイナス15℃になる時もあるとか)で破損し、おまけにその修理費は自腹であること。高齢者が多く亡くなった際に身寄りがないため、葬祭費など委員が自費負担しており、自分も年金生活でさすがに金銭的にはもたないこと。精神的な安心が欲しい...などなど。
 以上のような窮状を救うのが自治体であり国の責務であるが、今日までも住民のためという立場で動いているとはいえなかった国の福祉行政の問題が、ここに凝縮していると感じられた。

(2)福島第一原子力発電所帰還困難区域

 去年(12年)4月、同発電所災害対策本部は汚染地区を3区域に見直した。今回は旧警戒区域20㎞付近の地域、特に浪江町の海岸線を中心に訪問した。
 道路の整備・がれきの処理・破損した防波堤の仮修復など最低限の対応はされていたが、多くの家屋が全壊・半壊のまま放置され、復旧すらままならない状態であった。
 しかし同地区での空気線量は0・1μシーベルト毎時と決して異常に高いわけでなく、放射能汚染の複雑さ、そしてその対策の難しさを改めて認識できた。

まとめ

 「被災者はその地域での対応を、自分たちで考えることが筋である」という考え方はあるが、兵庫県保険医協会は東日本大震災発生以降、迅速かつ強力に今日まで支援活動を続けてきた。協会第948回理事会(2011年12月2日)は、「東日本大震災被災者並びに福島原発被災者の医療費負担免除を復興終了まで延長し、対象を抜本的に拡大すること」という理事会声明を発している。
 今回、広川団長は、地元・宮城協会の井上副会長に同行いただくという卓抜したアイディアを用意していた。ボランティアに手慣れておられ、さすがと感心させられた。
 最後に南相馬市大町病院・猪俣義光院長の言でまとめる。
 〝政治よ もっと迅速にもっと大胆に〟