2011年4月18日月曜日

保団連 東日本大震災 救援復興FAXニュース 20号

(4/14)岩手、避難所回って歯科医療進めたい

4月14日、保団連支援隊の2名<小林・耕・堀江(保団連)>は、岩手県の釜石市の被害の状況を把握するため市役所や医療機関を訪問し、支援物資を届け被災会員に見舞金を手渡しました。

岸壁の上に散らばった瓦礫
【行動参加者からの報告概要】
市内の医療機関の状況を確認するため、シープラザ釜石にある市の災害対策本部を訪問。バン1台分の医薬品・衛生材料、水などを対策本部に届けました。同市からは、市内医療機関診療状況一覧等の資料を入手。偶然、シープラザ釜石にて、市内の被災歯科医療機関と県歯科医師会との相談会が間もなく開催されるとの情報を得ました。相談会の合間に参加されていた井上宏紀先生、工藤英明先生、三浦孝先生、佐々木憲一郎先生(4医療機関とも釜石の沿岸部にあったため、壊滅)に個々に状況を伺いました。見舞金を手渡し、4月会費の免除措置をお知らせし、復興のための参考資料を差し上げました。4人の先生とも、異口同音に、見舞金や会費免除はありがたいと述べられました。
井上先生は、ご自宅は被災しておらず当面街の復興をみながら、仮設での再開を目指したいとのことでした。なお、この日の相談会開催の情報は、事務局が先生の医療機関の被災現場に掲示されていた連絡先に電話をした際にご提供いただいたものです。
工藤先生は、仮転居先である野田村の旧黒田医院に避難中であり、医院の復興は見通しが立たないと述べられました。
三浦先生は、ご自宅は大丈夫のようでしたが、今後の医院復興の見通しは立たないとのこと。
佐々木先生は、2メートルを超える浸水のため、釜石市内の知人宅に避難中。今迄の場所で再建したい。半年のうちには再開したいと意欲を語っておられました。
県歯科医師会との相談会に参加された関係者の話では、県歯からは、早急に仮設診療所開設をとのアドバイスがされ、県歯側は資材等の支援をしたいと表明したとのことでした。
 
被災後の釜石市内の被災医療関係者の動きについて、井上宏紀先生には、次のようにお話しいただきました。
被災一週間後から県歯より歯ブラシが届き、釜石市保健福祉課の歯科衛生士、保健師さんたちと避難所まわりを開始しました。そのころより、県歯からの依頼で、検死、検案を1週間ほど避難所でやりました。その後は県歯から歯科医師の派遣があり、検死、検案を替わっていただいたので、避難所まわりに力を注ぐことができるようになりました。被災された歯科医師は、皆さん週2~3回の避難所まわりをしています、釜石市内の60箇所程ある避難所をそれぞれ3~4箇所受け持っておられます。
5月末までの患者窓口一部負担なしの時期は避難所を回って歯科医療活動を進めたい。それ以降は、仮設での診療開始か、勤務医への転進を選択するかを個々の先生で決めていただくことになるでしょう。


(4/9-10)近畿などの歯科医師6人・医師1人が岩手支援

大阪歯科、兵庫、和歌山、京都歯科と福岡歯科の各保険医協会に所属する歯科医師6人・医師1人など12人のグループが4月9、10の両日、宮城県石巻市、名取市の避難所で医療支援に当たった。大地震に大津波、さらに余震のストレスで極限の状態にあり、依然として圧倒的なマンパワー不足にあることが分かった。参加した歯科医師らは「亡くなったり体調を崩す人をこれ以上出さないためにも、医師・歯科医師の派遣を急ぐ必要がある」と強調する。
避難所で歯科診療にあたる
9日は午前5時に東京を出発し、東北道を北上。同11時に仙台市内に。宮城県保険医協会で被災地の状況を聞いて、午後2時から600人が避難する石巻中学校、午後4時頃から300人がいる石巻高校に。3班に分かれ、体育館や各教室の避難者たち1人1人に声掛けし健康状態などをチェックした。
その結果、義歯を津波で流されたり、逃げる際に壊したり歯が折れたりして満足に食べられないなど、歯科に対するニーズが非常に高いことが分かった。また、多くの避難者で1週間前までは正常だったという血圧が高い数値を示し、歯肉が腫れるなど、震災から1カ月近くが経過して、健康状態が悪化した人が目立った。
避難所では、炭水化物に塩分を加えた食事が中心になっており、「残さず食べないといけない」という。偏食や栄養不良がうかがわれ、中には、持病の糖尿と高血圧などで17種類の薬を飲んでいたが、震災後は中断しがちで、偏食やストレスから血圧が200を超え、起き上がることも難しくなった女性も。体を適度に動かすことや食事指導をし、早急に専門医を受診するよう強く勧め、同行した市の保健師にもその旨伝えた。
翌10日は朝から400人余の名取市文化会館に。「掛かりつけの歯科医院が倒壊したため困っている」「支給された歯ブラシが硬すぎて歯肉から出血する」「子ども用の歯ブラシはありませんか」などの声が多く寄せられた。
「入れ歯が少し歯肉に当たって痛い」との男性の要望に、義歯を研磨するなどした。「歯肉からの出血がひどくなった」男性には歯科衛生士が歯間ブラシなどを用いて歯肉マッサージ。「これでようやく安心して食べられる」と笑顔が戻った。
避難所は1000カ所をゆうに超え、状況は異なるが、プライバシーもなくストレスは想像以上に大きい。また、自宅で1人で生活している高齢者も少なくない。医療、歯科医療を十分に受けられず、被害はさらに拡がる様相だ。参加した中津正二医師(脳神経外科)は「今行かないで、いつ行くのか。被災していない地域の医師、歯科医師の出番だ」と話す。(保団連理事・杉山正隆)


(4/13)宮城、厚労省通知などを丁寧に周知

歯科のユニットは塩水に浸かると、真水(河川の洪水等)での浸水と違って(真水の場合は修理可能とのこと)、細かい粒子が機械に入り込み、修理が困難とのことです(ユニットの修理のために派遣された保守担当者がそのように話したとのこと)。この点についても情報を収集し対策を講じる必要があるのではと思いました。
来週から(4月18日~)、4月下旬から、5月初めから、5月連休明けからと、診療再開を予定している医療機関が多くありました。これらの医療機関では、この間、診療室・受付・待合室の修繕・清掃、浸水したカルテの乾燥、電子カルテの復旧、医療機器の交換・修理等々に一所懸命取り組まれてきており(先生方・スタッフの注意が医療機関の復旧に集中)、情報不足も相まって、一部負担金免除の取り扱いへの窓口対応をどのようにしたらよいかなど、診療再開にあたって不安を感じているようでした。被災の状況(全壊・流出、半壊・床上浸水1m以上、一部損壊・床上浸水)によって、医療機関の復旧に時間差があり、それぞれがその時々によって意識や要求が異なると思われます。厚労省のこの間の通知など震災対応の特別な取り扱い等を、繰り返し丁寧に周知していく必要があると思いました。

保団連 東日本大震災 救援復興FAXニュース 19号

(4/8~10)宮城支援に歯科医師送る…東京歯科協会

(*個人名は伏せ字にしています)
 東京歯科協会は4 月8 日~10 日にかけ宮城県に役員ら3 名を派遣し、東松島市、石巻市の避難所など4 カ所の状況を視察。また、その居住者で歯科治療の希望する方に対し、義歯の修理・調整、脱離冠の再装着、急性症状に対する投薬など必要な措置を行った。

東松島市 人口43,153人、世帯数15,075世帯
死者920人、避難者3792人、避難所58カ所(4/11現在)
石巻市 人口162,822人、世帯数 60,928世帯
死者2698人、避難者14776人、避難所125カ所(4/12現在)

概要
診察に当たる東京歯科協会の先生方
◆2団体を訪問、被災工業地域を視察
8 日には宮城県の保険医協会事務所を訪問した。森元主税協会副会長から震災への弔辞を述べ、野地事務局長から避難所や行政、会員の状況などの情報を提供していただいた。宮城県保険医協会として国や県に対し概算請求の要望書を出していること、県内では8 名の医師・歯科医師(協会会員4 名)が行方不明の状況であることが紹介された。また、宮城県歯科医師会会館にも訪れ、あいさつした。
その後、多賀城市に移動し視察した。仙台市内から多賀城市にかけて町並みは鉄筋コンクリートの建物がひび割れ、ガラスが割れている状況。工場地帯は本来海上にあるブイや積み重なった車、工場の部品などがあちらこちらにまみれ、いかに被害が激しかったかが分かる有様であった。この日は風が強く津波で陸上に上がった砂が風で舞っていた。
夜には齋基之協会理事(青葉区開業)と会い、県内の避難所の状況などの情報を得て、10 日の予定の参考にした。

◆避難所とデイケアセンターを視察・歯科医療支援
9 日、東松島市の避難所2 カ所(赤井・上町西両市民センター)とデイケアセンター(百合の里)を訪ねた。市の職員である保健師の●●さんが事前に避難所に連絡を取り、歯科医療の求めがあった方13 人に対し、必要な処置を行った。
しかし、事前に希望のあった避難所2カ所では求めのあった方が不在で、取りやめた。
歯科治療希望者の症状はう蝕、歯髄炎、義歯破損など。対応した歯科医師は患者さんに文書での提供を行い、地元の歯科医院に受診したら見せるよう話し、地元の歯科医院に引き継いだ。
デーサービスセンターでは、避難されている高齢者の飲み込みが悪いとの職員からの訴えに対し、馬場安彦理事が嚥下について診査し、利用者の首もとに聴診器をあて、職員に飲み込み音を聞かせるなど、今後の療養生活が改善されるよう分かりやすく助言をする場面もあった。
●●さんによると、震災後は内科系の訴えが強かったが、最近ではお口の問題もあるという方が増え始めている。東松島市全体で2 歯科診療所が再開をはじめたとのことだが、避難所には日赤や民医連が医療支援しているが歯科は入っていないそうだ。(死亡者数800 人、行方不明者数不明、避難所は80 カ所)
歯科医療支援の考えがあることを●●さんに伝えると、お礼を述べられ、「電気が復旧して避難所にいた方で自宅が残っている方は戻りはじめている。しかし家が流された人は避難所に留まるだろう。歯科医療の要望が今後、どれだけ必要になるかは見通しが立たない」と先行きは不明であるとのことであった。
昼には野蒜地区を視察し、津波で壊滅的な被害を受けた状況を確認した。●●さんによると、避難所に指定されている野蒜小学校に避難した方は「まさかここまで津波がくるとは思わなかった」が津波に飲まれた。「目の前で死んでいく人を見たという人、生き残っても大変な思いをする人ばかり。この辺は地獄でした」と伝え聞いた惨状を振り返った。
終了後、井上博之先生(協会副理事長)、●●先生(宮城県歯科医師会石巻支部被災担当*)に連絡を入れ、活動の報告をした。●●先生には、協会は現地の先生方が1日も早く再開できることを願っていること、今後とも継続した支援を検討している旨を話すと、「こちらは会員の安否状況をようやく把握しはじめた状況で、これから。支援いただけるのはありがたい」といわれた。翌日に河北総合センターに行くことを勧められた。
*宮城県歯科医師会石巻支部は石巻市、東松島市、牡鹿郡を範囲としている

◆避難所を視察・歯科医療支援
10 日には、石巻市河北地区の方が避難している河北総合センター(ビックバン)を視察(避難者は538 人・看護師は2 名常駐)。連絡を入れずにいったため、急遽、職員に対応していただいた近隣の本庁舎には歯科医療スタッフが期日を決めて入っているが、ビックバンには歯科医療チームは入っていない様子。歯科受診が必要であれば避難所で指定をされる歯科医院への受診を促しているようだ。(4/10現在9歯科医療機関が掲示されていた)紹介される先は曜日により指定される医院がかわり、必ずしも近医に受診できるとは限らない。この避難所には弘前大の医療チームが入っているようであったが、歯科医療チームは入っていない。東北大学が来る予定であったが、中止になったそう。
2階の部屋に歯科治療をする場所を設けたが、放送で呼びかけても当初は誰も来なかったため、看護師さんと協力して声を替えて回った。のべ12 名ほどの患者さんを診た。患者さんのほとんどが高齢者であった。
症状は義歯破損、脱離冠の再装着など。限られた歯科材料の中で、求められる急性的な措置を行った。中には「入れ歯はなくしたから」とあきらめる方もおられた。脱離冠の再装着の方もはじめは断っていたが、何とかできるかもと説得して受診につなげた。その方が待っている時に一昨日の地震の状況について尋ねると、3 月11 日に車で高台まで逃げたが、第一波がきたので車を捨てて、走って逃げたが、胸まで浸かったこと。第2波に飲まれたら死んでいたと、堰を切って話された。声をかけ話しをすることが被災者のストレスを解消されるとも感じた。
終了後には●●先生に報告をし、今後また連絡することを伝えた。


(4/12)宮城支援、「チリ地震の十数倍の津波だった」

 12日は、気仙沼方面に向け7時にホテルを出発。参加は、①谷川(保団連)、服部(愛知)班、②小川(兵庫)、寺川(群馬)、市川(東京)事務局班の2組5人。
多賀城方面は、8時30分に協会事務所を出発。参加は、①加藤(愛知)、滝沢(東京)班、②槇(栃木)、桐原(鹿児島)班の2組4人。

泥が溜まった待合室
 以下は、訪問結果の概要と被災会員からの特徴的な意見・感想などです。なお、訪問の後、見舞金を受けとられた会員から改めてのお礼や、不在だったので「訪問と資料を頂きありがとうございました」との電話が協会に寄せられました。

<気仙沼について>
 訪問結果は、訪問件数31件(面談21人。不在等9人)。
 被災状況は、全半壊・流出9件、一部損壊3件、その他5件。
 お見舞金支給は、全半壊10件、一部損壊7件。
*特徴的なこと
・一番困っていることは、「街の復興」だとして、復興への強い願いが寄せられていること。
・ご自身も全半壊なのに、大変な方がたくさんいることを心配され、「お見舞金」を遠慮される先生もいたこと(受け取っていただきました)。
・チリ地震を経験された先生からは、チリの時の10数倍の規模との感想で、激震災害の激しさを述べられ、訪問に厚い感謝の言葉をいただいたこと。
・湾の奥まった所までは来ないと思ったが、津波が押し寄せ被害に遭ったこと。
・全半壊された自宅には、避難や待機している旨を書いたプラスチックの箱が置いてあったこと。

<多賀城について>
 訪問結果は、訪問件数35件(面談28件、不在等5件)。
 被災状況は、全半壊・流失4件、一部損壊2件。その他1件。
 お見舞金支給は、全半壊5件、一部損壊2件。
*特徴的なこと
・医療機関の施設内が1.5メートルもの浸水に合い、被害を受けた様子の説明を受け、激しかった被害の実態を見たこと。
・「街の復興のシンボルとなるように、医療機関の再開をめざしたい」との強い思いを込めて活動されている会員がいること。
・多数の医療機関で、まだ泥水の被害がひどく、中和のための石灰が手に入らないこと。家電も周辺では買えず、山形までいって購入したこと。
・隣のビルが倒壊しそうな状態のため、退去せざるをえないと不安の声が寄せられたこと。
・高台等で被災の少なかった地域の医療機関は、患者さんが多数来ていて多忙をきわめていたこと。


(4/9~10)近畿と福岡歯科の役員、宮城支援に入る

 近畿と福岡歯科の保険医協会有志とともに行った活動は、歯科支援第一弾としても取り組まれ、兵庫協会から加藤擁一副理事長、中津正二先生(三田市・中津クリニック院長)、藤田典子歯科衛生士(加古川市・うちだ歯科)、楠・山田事務局員が参加。大阪歯科協会から山上紘志副理事長と後藤剛事務局次長、京都歯科協会から平田高士理事、福岡歯科協会から杉山正隆副会長と大水継圭理事、和歌山協会から小谷隆久先生と上野佳男事務局長で総勢12人。

4月9日(土)
 5時に東京を出発し、11時頃に仙台市入り。宮城協会事務所を訪問し、野地事務局長から被災地の状況などについて説明を受けた。北村龍男理事長や井上博之歯科代表らと電話で表敬、激励しあった。
 14時に石巻中学校へ。約600人が避難している。3班に分かれ、2時間ほどかけて各教室や体育館にいる避難者に声をかけて回った。
 加藤擁一先生が一人ひとりに「歯はちゃんとみがけていますか」「入れ歯をなくしていませんか」「痛いところはありませんか」と声をかけて口腔内を見て回ると、「入れ歯用の歯ブラシと洗浄液、ケースがルしい」「柔らかい歯ブラシはないか」など声があがった。
 阪神・淡路大震災のときに多くの避難者が誤嚥性肺炎で亡くなられた経験から口腔ケアの大切さを説明すると、避難者らは熱心に聞き、自分の歯の状態なども訴えた。
 加藤先生は、「避難所での歯科ニーズは非常に高い。当面大切なのは、避難所で困っていることを手助けすること。フロスがほしい、歯磨き粉がほしいという人も多かった。入れ歯があたって痛いという人がいたが、少し削ってあげるとQOLがずいぶん向上する」との感想を話した。
 16時からは石巻高校へ。約300人が避難している。ここでも3班に別れ、1時間半ほどかけて巡回した。

被災者一人ひとりの相談に乗る中津正二先生
 中津正二先生は血圧を測定して回ったが、多くの避難者が高い数値を示した。中津先生は一人ひとりに「野菜を食べろ、塩分をとるなと言ってもこのような状況だから難しいでしょうが、できるだけこまめに血圧を測定してもらう機会をもってくださいね」と声をかけて体調の相談に乗り、持参した痛み止めや降圧剤などを必要に応じて提供した。
 中津先生は、「一週間前に測ったときは正常だったという人が多かったが、今日は多くの人が高い数値だった。この一週間ほどで事情が変わってきている。炭水化物に塩分を加えて食べており、また『残さず食べる』ことが言われている。野菜もなかなか口にできない。余震の恐怖で夜は眠れず、運動不足、避難所生活でのストレスなどが血圧を高めている。開業以来10数年使っている血圧計で測定したが、こんなことは初めて」と感想を話した。
 
4月10日(日)
 2日目、9時30分頃に名取市文化会館へ。414人の方が避難している。初日同様、3班に分かれて1時間半ほどかけて巡回し、医療ニーズを探った。
 中津先生は避難所に詰めていた看護師と共に巡回。「子どもが日に何度も鼻血を出す」「足がパンパンにむくんでいる」などの訴えが避難者から出され、看護師と相談しながら対応していった。
 また歯科では避難所に詰めている歯科衛生士と共に巡回。「治療通院していた歯科医院が地震で潰れてしまった」「歯医者さんの所においてあるハブラシが欲しかったところ」「小さい子ども用のハブラシを下さい」などの相談を受けた。
 「保険でより良い歯科医療を」兵庫連絡会も、歯ブラシ1000本を寄付した。